2018-12-14
最後のチャンス(妻鹿寛史)
私は高校時代を、島根の立正大学淞南高校で過ごした。お世辞にもとても素晴らしい3年間だったとは言えない。1、2年の頃は試合に出られず、常に応援の日々を過ごし、「妻鹿くんにキーパーはできない」とまで監督に言われ、フィールドプレイヤーをしていた時期もあった。
精神的に幼かった私は、「フィールドができる。ゴールを決められる。」と喜んでいた。紅白戦でFWとして出場し、ボレーシュートを決めたことは、今でも忘れられない。今、考えればただのバカでしかない。
2年生の冬の選手権に負けて、当時の3年生が引退し、新チームが始動した。もちろん、私はAチームでスタートできるわけもなく、1番下のチームだった。そこからなんとか這い上がり、3年生ではトップチームの試合に出続けることができた。
当時の私は、関学サッカー部に入るどころか、高校でサッカーを辞めようと考えていた。そのため、進路希望表は全て指定校で提出していた。しかし、同期の仲間が関学のセレクションを受けることになったので、それにくっつくように私もセレクションを受けに行った。
その時は、地元に帰省できるし、ついでに大学のサッカーのレベル見てきたろ、という程度に考えていた。
しかし結果は、本命で狙っていた仲間は落ち、あろうことか、私が受かってしまったのだ。こうして私は関学サッカー部に入部することができた。
入部してからは、B→C2→C1→B2→B1→A→B1→Aという波乱の4年間を送って来た。カテゴリーが上がった時は、日頃の練習が評価されたというより(そういう面ももちろんあるのだろうが)、怪我人が出て、その穴埋めで上がるか、ダービーで上がるかのどちらかしかなかった。強運の持ち主なのか、と自分でも思うぐらい運良く進んできた。
4回生になり、卒業後はプロになりたいと思っている。最初は、自分は運が良いからなんとかプロにもなれるだろうと考えていた。しかし、プロはそんなに甘い世界ではなかった。運だけで生きてきた私は、本当にちっぽけな人間だと思い知らされた。もっと早く現実と向き合い、自分に矢印を向けていれば、この段階でプロが決まっていたかもしれない、違う形の幸運が転がってきたかもしれない、と後悔している。
ただ、幸運なことにまだ後悔を取り返せるチャンスが残っている。
今シーズン、関学は全員の力でインカレ出場権を獲得できた。インカレでは後悔するつもりはない。そしていつも必死に応援してくれている人に恩返したい。
今まで、ミスをしても負けてもやってくることができたのは、どんな時もみんなが応援してくれたからだ。どんな時でも声をかけて支えてくれ、時には厳しい指摘もしてくれた。本当にみんなには感謝している。
インカレはそんな最高の仲間と一緒に戦える最後の舞台だ。みんながいてくれるだけで、負ける気がしない。インカレは、思い出作りでも運任せでもなく、今まで支えてくれた全ての人に、日本一という最高の結果で恩返しをする。そのために死ぬ気で戦う。
関学全員の力で必ず日本一を獲る。
男子チーム4回生 妻鹿寛史