部員ブログ
法政大のみなさん、日本一おめでとうございます。
そしてみんなの部員ブログ、めちゃくちゃ感動した。自分も思いをぶつけたいと考えていたが、まずは来年に繋げるためにも冷静に振り返ってみようと思う。
今年度の関学サッカー部は「共に闘う人の原動力であり続ける」という目的(チームのありたい姿)を掲げ、スタートした。
「共に闘う人」とは自分と共に闘う人全員、
「原動力」とは「自分も頑張らなきゃ」と思ってもらえるような姿勢や行動のこと、
「あり続ける」とは何度も原動力になるように挑戦することが自分たちを成長させてくれるという願い、である。
スタート当初は単なる言葉に過ぎなかったが、日を追うごとに「原動力」という言葉が関学サッカー部の多くのストーリーと重なり、自分たちにとってかけがえのないものへと成長していった。
例えば天皇杯。ガンバ戦での勝利。大学サッカーチームがJリーグチームを撃破してインパクトを与える、まさに自分たちが求めていた筋書きだった。ベンチでアップをしながら見ていた私は圧倒的少数のなか、チームの勝利を信じて応援し続けたメンバーと、その期待に応えようと死に物狂いで闘うピッチ上の11人が互いに原動力になっている姿をみて、鳥肌が立った。
この経験を通して、原動力とはどちらか一方的なものではなく、双方向的なものであると知った。
チームの中で考えると、公式戦すらないC2,C3チームの存在はチームに大きな原動力を与えたと思っている。C3最後の試合で、キャプテンの伊瀬からのアーリークロスを、同じく4年生小寺が豪快なヘディングシュートを上のカテゴリー相手に決めたシーンは、今でも忘れられない。2人が本当に悩んでいたことを知っているし、それでも努力していた姿もみていたので自分にとって大きな原動力だった。
彼らの姿から、上手い、下手とか、カテゴリーが上だとか下だとか関係ない。目の前のサッカーに本気で熱く取り組む姿に心を動かされるのだと学ばせてもらった。
そしてインカレにCBで出場していた粟田。4年生のスタートのとき、こいつはCチームだった。Bに上がったけど、すぐにCに落ちた。そしてもう一回Bに上がった。しかし、Iリーグは予選敗退が決定した。普通はここで引退がよぎる。なのにこいつは努力を続けた。その結果、最後の最後にAに上がってきた。インカレで負けた後に粟田を称えたけど、「Cからとか関係ないねん、出た奴が結果残さなあかんねん」って泣いていた。
原動力への道は地味で、しんどくて、心が折れそうになる日々の連続だ。それでも諦めずに闘い続けられた奴にチャンスがやってくる。粟田からそう教えてもらった。
確かに私たちが欲しかった日本一には届かなかった。でも自分たち4回生の生き様を後輩は目に焼き付けてくれたはずだし、果たせなかった目標は彼らが果たしてくれると信じている。
大学サッカーの本質は「揺れ動き」と向き合うことだと私は思っている。
私自身、この4年間は常に“なにかが欠けている”と思い知らされ、絶えず動揺してきた。
自分のプレーが通用しない。試合に出られない。
日本一になっても、それを知らない関学生がたくさんいる。
いいスタジアムで、試合ができるのにお客さんが全然いない。
来年自分はどうなるのかという漠然とした不安。
「本当にこのままでいいのかな?」この思いが何度も頭をよぎった。
それでも、自分のなかで「こうする」と腹を決めて前に進んできた。ここに価値があったと今思っている。
そして常に自問自答してきた、「何のためにここまでして大学サッカーを頑張りたいのか?」この答えを明確にすることが全てなんだと思う。
サッカーそのものが好きだから?
キャプテンだから?
就職に有利だから?
違う。関学サッカー部とそのメンバーが大好きだからだ。いい思いも、辛い思いも共にしてきた。先輩方の意志も引き継いできた。一生懸命みんなが頑張ってることも、この目で見てきた。だからなんとしてもこのチームを勝たせたかったし、全員を幸せにしたいと思ってやってきた。
みんなが俺の原動力だった。
俺のプレーは、見てて笑ってしまうほど不細工だったと思う。でもどんな姿を見せようと勝ちたかったんだ。それでみんなが喜んでくれると思ったから。
正直、法政大に負けて死ぬほど悔しい。本気で日本一とってみんなと喜びたかった。でも今年は日本一をとれるチームまで成長できなかった。だから来年は自分たちの学年の良いところと悪いところを客観的に分析して、来年の目標達成に繋げて欲しい。
最後にお礼を言わせてほしい。
今年の関学サッカー部と共に闘ってくれた皆さん。本当にありがとうございました。多くの方々に支えられて、応援されて毎日を過ごした時間は何にも変えられない宝物です。
後輩のみんな、本当にありがとう。上手くいかないことでみんなに迷惑かけて、申し訳なかった。だけど、みんなとこんなにも熱くなって、高みを目指して進んでいけることが楽しくて仕方がなかった。みんなが成長していくのを俺は楽しみにしているよ。
4回生のみんな。本当にありがとう。
問題児の俺を主将として受け入れてくれてありがとう。本音でぶつかり合って、励ましあって、高めあって、最高だった。
別々の道へ進むだろうけど、これからも原動力であり続けられたらと思ってる。
こんなチームで主将をすることができて幸せだった。これからも私は高みを目指し、ひたむきに努力し続ける。
男子チーム4回生藤原樹
私の大学サッカー終了のホイッスルが、まもなく吹かれようとしている。「なじ〜!」と怒号を聞くのも無くなると思うと、少し寂しくも感じる。みんなと馬鹿したりするのも無くなると思うと、本当に寂しい…。
何より第4フィールドでみんなと汗水流しボールを追いかける事が無くなると思うと、泣きそうになる…。
私はサッカー部での4年間が本当に濃いものであったと感じる。1回生の頃、大きな自信を持ち入部するも、気がついたら1番下のカテゴリーにいた。2回生の頃は、Bチームですら中々試合に出れない日々が続き、3回生の時には、Iリーグで日本一を経験した(ちなみに、高校の時にも2回日本一になりました)。4回ではトップチームで試合に出場でき、インカレという舞台で戦う事ができている。苦難の方が多かった4年間ではあったが、私は「与えられた場所で全力を尽くす」この軸を大切に過ごした来た。これだけは自信を持って言える。
そうやって頑張れたのは、スタンドから聞こえる声援、Iリーグで頑張るみんな、KGリーグで頑張るみんな、そしてスタッフとして働いてるくれているみんながいたからだ。そんな姿こそが私の原動力であった。私が頑張れたのは間違いなく関学サッカー部があったからだ。最後は私がみんなの原動力となれるよう、いかなる立場であろうと全力を尽くす!
これが私のみんなへの感謝の体現である!
ありがとう関学!
ありがとうサッカー部!
ありがとう可愛い後輩たち!
ありがとう最高のスタッフ!
ありがとう最高の同期!
最後に言わせて欲しい。
サンキューな!みんな!
男子チーム4回生南島彰人
「コンダクターってなんなんやろう…」
毎年、関学サッカー部は、2回生が学年ミーティングにて、コンダクターという役割のスタッフを決める。
ぼくも2年前に選手をやめてコンダクターになった。
この疑問にこの場を借りて、「コンダクターとは何か」について、ぼくなりの答えを述べたいと思う。
「コンダクター?ってなにするん?」
とサッカー部でない人から、よく聞かれることがある。
いつも決まって「学生コーチ兼トレーナーみたいな感じかなあ」と答える。まあ、間違ってはいない。事実、チームの練習を考えたり、メンバーを決めたり、テーピングを巻いたり、怪我人のリハビリを一緒に行ったりと、それはもう多岐に渡る。
だが、この答えにいつも違和感があった。
「果たして本当にそうか?」と。いや、そうやけど違うよね、と。
ぼくはコンダクターとは、一言で言うと「引き出す人」だと思っている。
それは、意識、感情、想い、そして能力さえも。
選手の課題に対して選手自身が克服するように働きかける。土足でその課題に踏み込むのではなく、選手自身が選手自身の力で、その課題と向き合うよう、強い覚悟を決められるようにすることだと考えている。
そしてチームと、学年と、サッカー部と、社会と、向き合っていく。そしてその過程で自分と向き合い続け、自分の新たな可能性すら引き出せるんだと思う。
そこから先は、もう無限に広がっている。なんでもできるし、何にだってなれる。自分の思うままやればいい。自分のしたいことを思い描いて覚悟を決めてやればいい。
「決断には51%のメリットと、49%のデメリットがある」というぼくの好きな言葉が意味するように、自分の道を自分で正解にしていけばいい。こんなことに気付かせてくれた。
ああ、なんてコンダクターは最高なんだろう。大学サッカーってこんなに素敵なんだろう。
とまあ、こんなええ風なこと言うてますけど、コンダクターになった当初は苦しかったんです。
プレーできないことがこんなに苦しいことだとは。なんで選手をやめたんだ。なんでプレーしていないんだ。選手としてピッチに立って、日本一になるんじゃなかったのか。おれって何者なんだ。何ができるんだ。何がしたいんだ。それでも最後は自分で決めたじゃないか。いや、でも…でも、でも、でも…。
毎晩のように考え、泣きじゃくり、泣き疲れて、いつの間にか寝る。それがずっと続いた。
心が折れそうになった。一緒にコンダクターになった、けんととこうだいが羨ましかった。キラキラして見えた。嫉妬だってした。
なんなら、嫌いだったかもしれない。
正直、地獄だった。目の前が真っ暗だった。
そう見せないようにグラウンドで振る舞うのも、ストレスだった。
でも、そんなとき光が射した。
隣を見れば必死に闘う仲間がいることに気がついた。
誰よりも早くグラウンドに来て、練習の準備をする。誰よりも遅くまでグラウンドに残って、自主練をする。誰よりも声を出してチームを引っ張っていく。たったひとつのプレーに対して熱くなり、意見し合い、時には喧嘩する。
そんなみんなにとっての、当たり前で、特に気にも留めない、何気ない日常が、そのちっぽけな瞬間が、みんながサッカーに没頭している姿が、ぼくにとってはマリア様のようだった。
それは大袈裟だと、みんなは思うかもしれないけれど、みんなの存在がぼくにとっての原動力なんです。みんながいるから頑張れるんです。みんながいないとダメなんです。
暇人暇人と揶揄されますが、それを見るために、ぼくはグラウンドによく出没するんです。
グラウンドには、やっぱり色々な発見があります。宝物が、夢がいっぱい落ちています。日常の中で見つけたぼくの宝物を少しだけ紹介させてください。
Iリーグも終わり、C1、C2、C3チームで行われるKGリーグも終わり、インカレだけとなった11月後半のある日。練習が終わった後も、いつもと変わらず黙々と自主練に励む選手がいた。C3チームのキャプテン伊瀬竜一である。
C2、C3チームはIリーグに出場できない。その中でも文句一つ言わず努力を続けてきた。チームを引っ張ってきた。少しでも1ミリでもサッカーが上手くなるために努力を続ける。
ああ、なんて輝いて見えるんだろう。
こちらも、IリーグもKGリーグも終わった、C1チームのコンダクター西田健人。残すはインカレとなった時期にも、C1チームの4回生がサッカーから心が離れないように、少しでもサッカーが上手くなるために、どうすればいいかを、考え続けていた。自分だってすごくしんどくて、悔しいはずなのに。
ああ、なんて輝いて見えるんだろう。
もっともっと宝物はあるのですが、長くなってしまうので、ぼくの宝物紹介はここまでにしたいと思います。
そして、いつも多大なる責任と、期待と、プレッシャーに煽られながら、闘うAチームのみんな。毎試合毎試合、187人の想いを背負って闘うことは本当にキツい。だけど、それがAチームなんだよな。 そしてみんなにはそれをやりきる力がある。楽しむことすらできる。だって、みんなはおれの誇りだから。
でも、キツくなったらスタンドに仲間がいるよ。ベンチには、おれが座っているよ。
ね、みんなとなら大丈夫。
おれらにしかできないことがある。それをみんなで成し遂げよう。そして思いっきりサッカーを楽しもう。今に没頭しよう。共に闘う人たちと。
さあ、またみんなで走ろうか。
男子チーム4回生山口嵩弘
(この文章は法政大学戦前に書かれ、本日投稿予定だったものです)
4年間で初めて部員ブログを書くことになった(2年生のときにインカレで負けてお蔵入りになった)。書きたいものがたくさんありすぎて、何を書こうか迷ったが、関学で自分しか経験できなかったことを伝えたいと思う。
私は、1年生の時に四冠を経験した。入学当初から開幕スタメンで出させてもらい、小さい頃からの夢だった、プロサッカー選手にもなることができた。正直、順風満帆な4年間だったと思う。
そんな4年間で1番私が感じたことは「勝つことの難しさ」である。当たり前だと思うかもしれないが、1年生の当時は、大学生との試合の中で負けたのは立命館大学だけで、結果の面から見ても、今との差が顕著に出ている。だからこそ、勝つことの難しさをより一層感じた。
今と何が違うかと考えた時に、私は練習の質の差を挙げる。もちろん、その当時の選手の能力は高く、1年生の時の私は、ただひたすらにただがむしゃらにワンプレーワンプレー本気でプレーをしていた(なぜかと言うと怖い先輩が大声で怒ってくるから)。どの相手と試合をするよりも、練習の方がレベルが高く、緊張感もあった。
3年前の4年生は、このような練習の雰囲気を毎回作り出していたことに、4年生になって気付いた。そして、3年前とは違う尊敬を抱いた。
今その雰囲気を作り出せているかはわからないが、キャプテンの藤原を中心に、毎週ミーティングをし、より良くなる方に試行錯誤してきた。最初は課題だらけで、大した案は出てこず、早く帰りたいと言う人もいたが、樹が辛抱強くチームの為に頑張ってくれたおかげで、良いチームが出来上がったと思う。
そして、4年間のラストの大会、インカレが始まった。関学には1年の時から良い思いをさせてもらってきた。大学に入り、関西の洗礼を受けながらも、素晴らしい仲間達に出会うことができた。大学4年間の集大成として優勝し、関学に恩返しをする。
最後に今まで支えてくれた家族にありがとうと伝えたい。中学、高校の時にやる気ないプレーを見せて、恥ずかしい思いをさせてしまったことを未だに後悔しています。大変だったと思うけど、送り迎えをしてくれてありがとう。これからも応援よろしくお願いします。
男子チーム4回生髙尾瑠
この4年間はあっという間だった。入部2週間でCチームからBチームに上がれたこと、2回生の春にサイドバックにコンバートされたこと、リーグデビューがほぼノーアップだったこと、人生初の長期離脱に数々の体調不良。全てが最近のことに感じるほど、あっという間だった。
そうこうしているうちに、大学サッカーも残すところ、あと1週間で終わってしまう。
この少ない残りの期間で、自分は何ができるだろうか。それはいつも通りを貫くことだけだ。周りが少しでも楽になれるようにその分、自分が苦しいことをする。これが自分にとってのいつも通りであり、同時にこれまで関学サッカー部で実践してきたものだ。今までの、マイペースで自分のペースを乱さないという性格に加え、自分の状況や感情よりも周りの要求に優先して応える。そうして自分をコントロールできるようになった。
面倒臭いと思うような頼み事も嫌がらず引き受ける、何されても嫌な顔しない、周りが楽できるよう自分の体力を削ってドリブルでボールを運ぶ、悠樹に囮に使われるとわかっていながら、オーバーラップをする。誰でもできるがしたくないプレーの積み重ねで、自分より勝利に直接的な貢献ができる人の余力を残し、チームを勝利に導いてもらう。それが自分にできることである。樹のようにチームを引っ張ったり、克哉のように得点を決めてチームを勝たせたりすることに比べると、ちっぽけかもしれない。しかし、貢献度の問題ではなく、関学サッカー部のために何ができるかを考え、行動することが大事だと思う。
このチームを勝たせたいというより、このチームで勝ちたい。そのために遂に 始まったインカレでもいつも通り自分らしくプレーする。そして必ず日本一を獲る。
男子チーム4回生 藤田大輝