部員ブログ
今年も春の訪れを知らせる美しい桜が咲いた。夏には向日葵が太陽に向かって大きな黄色い花を咲かせ、秋には綺麗なコスモスが、冬には可憐なシクラメンが咲くだろう。季節によって咲く華やかな花たちは、一際目立ち人々の目を惹く。
一方で、その隣にはいつも目立たない雑草が咲いている。大半の人は、華やかな花たちの隣に咲いている雑草には目もくれない。硬いアスファルトの間からも凛と自らの顔を出している。過酷な環境に耐え、踏まれても逞しく、力強く咲いているにも関わらず、雑草は名前すら覚えてもらえない。いつも下から羨ましそうに華やかな花たちを見ているのである。
私も雑草のような存在である。
故郷を離れ、伝統ある関西学院大学への進学を決めた。関学サッカー部には驚くほど華やかな花たちが咲いていた。かつて高校サッカーを沸かせた者、全国大会常連校出身者、日本一を獲った者、日の丸を背負って戦った者さえもいた。私の想像をはるかに越えた華やかな花たちが咲いていた。それを羨ましそうに見ていたのである。
スポーツ推薦で入学した訳でもなく、全国大会へ出場した事はない。県選抜に選ばれた経験すらなかった。では、卓越した技術はあったか? それも全く無かった。華やかな花にはなれない雑草であり、日々の練習について行くだけで必死だった。それでも華やかな花たちに追いつきたくて、毎日がむしゃらに頑張った。
追いつけないかもしれないと何度も挫折しそうになった。しかしそんな時、恩師にかけられた言葉を思い出した。
「雑草の如く逞しく、良い選手になれ。」
雑草は気付かれなくとも、枯れはしない。何度踏まれても立ち上がる。何があろうと負けず、どこであろうと力強く咲き誇る。 良い選手とは抜群に技術のある選手だけではない。当たり前の事を当たり前にでき、本当の意味で応援される選手だ。果たして私は挨拶は出来ているか、感謝の気持ちは持てているか、応援してくれている人の分もピッチ上で表現できているか?
本当にきついのは厳しい走りの練習ではない。自分たちが充分にグラウンドを使う為に練習時間をずらしたり、トレーニングが円滑に進むように、球拾いをしたり、そして、ピッチに立てずとも声を枯らして応援する人がいる事である。私たちのために必ず我慢してくれている人がいる。我慢こそが本当にきつい。
どれだけ頑張っても、ピッチに立てる人数は限られている。仲間が頑張った分も自分は戦えているのだろうか?それを理解した時、本当の意味で良い選手となり応援される選手となれる。この言葉は深く私の胸に刻まれている。
入部して約1年、C2からAチームへと上がるチャンスを貰った。しかし、私は華やかな花たちにはなれない、華やかなプレーも出来ない。たが、誰よりも体を張り、応援してくれる人達の分も戦う姿を見せて感謝の気持ちを持ち続け、プレーできる。不格好でも構わない。いつか自分なりの花を満開に咲かせるために、踏まれても何度でも立ち上がってみせる。
”雑草の如く逞しく”
男子チーム2回生降旗光星
私はなんのためにサッカーをしているのか。そんなことをよく考える。
サッカーというスポーツはあまりに理不尽だ。110×75メートルのコートの中で走り続ける。足で行うこの球技は、ミスの連続だ。ミスが起こることが前提のスポーツで、90分間走り続けても、0-0なんて試合はざらにある。何度も何度も心が折れそうになる。
練習がきつかったり、思うようにプレーができないと、なんでわざわざこんなに苦しいことをしているんだろうと思う。今私は大学生だが、サッカーをする義務があるわけではない。もっとキャンパスライフを謳歌するためにアルバイトをしたり、海外へ旅行に行くことができる。きっと有意義な時間を過ごせるだろう。
だが、私は逃げたくない。つらいことから目を背ければ、目の前に壁が現れた時、再び避けることになる。自分を納得させるために、とにかく勝ちたいんだと思う。日本中のライバルたちに、そして、自分にも。
人生に勝ち負けなんてないんだと言う人もいる。しかし、私はそんな人の言葉に心を動かされたことはないし、これからもない。
共に闘う人の原動力であり続けたいならば、勝つしかない。勝つことが人の心を打つ。私は勝って、その喜びを仲間と共有したいからサッカーをする。
失点や敗戦は全て私のせいだと思ってもらって構わない。私は共に闘う人の想いを背負って闘うことを誓う。
そして、必ず日本一になる。
男子チーム3回生竹本将太
関学サッカー部に入る前、思い描いていた事がたくさんあった。もっと試合に出られると思っていたし、チームに貢献しタイトルも獲れると考えていた。どれもそんなに難しくないと。ただ、現実は甘くなかった。なぜ思い描いていた通りにいかなかったのか。
大学に入学するまでのサッカー人生では、日本一を獲ったりなど、多くの事を経験でき、良い結果を残してきた。しかしそれは、チームとしての成果であって、自分がその勝利に大きく貢献できたのかというとそうではなかった。さらに、その現状に薄々気づいていながら、現実からは逃げていた。そしていつの間にか、根拠のない自信を持つようになった。
関学サッカー部の同期には、自分より上手い奴、自分より努力家な奴、自分よりサッカー愛が深い奴など、サッカーに関してだけでも尊敬できる、手本となるような人間がたくさんいる。そんな仲間が、チームに対してどのように貢献をするのかという問いに対して、サッカー以外での部分も大切にしていきたいと話していた。それぞれの特徴や人間性を活かしてどういう形でチームに還元するか、どう存在感を出すかなど、自分自身を理解している人がたくさんいる。そのおかげで、自分はどんな人間で、どうすればこのチームの力になれるかを改めて考え直すきっかけができた。
サッカーに対して誰よりも本気で、かつ100%で向き合わなければいけないと思った。上手くないと認め、もっと闘って、もっと走って、泥臭くプレーしないといけないと感じた。第一にサッカーで貢献するからには、誰よりも結果を残し、存在感を出す必要がある。そして、チームを日本一に導いて、初めて皆の力になれると思う。
こうしてチームに貢献する事で、根拠のある自信を手に入れられると思う。それが大学サッカーの4年間をかけて達成したい、一番の個人的目標である。その中枢を気づかせてくれた同期に感謝するとともに、ラスト2年間の大学サッカー人生を大切にして、将来に繋げたい。
男子チーム 3回生 岩本和希
『関学は4回生のチームだ。』
これは、成山前監督の言葉だ。
4回生に影響力があることは理解していたが、下級生の時はいまいちピンと来ていなかった。しかし、最高学年になった今年、私は4回生がチームにおいて、いかに大切かということを強く感じてる。チームの目的目標、スローガンや価値観、全て同期の仲間で何度も話し合って決めた。役職などでもリーダーとなり、先頭に立ってチームを引っ張っていく立場へと変わった。1年間のチームの結果は良くも悪くも4回生の『でき』次第である。このことを改めて肝に銘じておかなければならない。
では、今私がいるAチームにおいて、4回生の『でき』はどうなのだろうか?
練習の時から常に厳しい雰囲気を作れているのか?
勝負強いチームになるために、1つ1つの勝負にこだわれているのか?勝ちたいという気持ちを前面に押し出せているのか?私を含めまだまだ甘いのではないだろうか。今以上にできると思うし、今以上にやらなければ、また去年のように悔しい思いをするはずである。あのような思いはしたくない。昨年味わったあの悔しさを良い経験だったと言えるように、今年は結果を残さないといけない。
4月8日には大学サッカーラストイヤーのリーグの初戦を迎える。ここからが4回生の力の見せ所だ。私は今年度の主将である藤原のように、言葉でチームを引っ張って行くようなタイプではない。しかし、誰よりも多く得点をとり、チームを勝たせたい!みんなで力を合わせれば、絶対に日本一を獲れるチームだと思っている。
今年こそはなんとしても勝ってやる!!
男子チーム 4回生 中野克哉