部員ブログ

2020-5-23
気づいて気づかせる(甲斐創太)

私は14年間続けてきたサッカー選手を辞め、コンダクターと呼ばれる学生スタッフになりました。そのことについて書いたので良ければ読んでください。

関学サッカー部は毎年2年の終わるタイミングで学生スタッフを出している。このようなことから必然的にコンダクターについて考える必要があった。私はコンダクターについて考えるにあたり、選手を続けるのかコンダクターになるのか、両方について考えようというスタンスで向き合った。そんなことを言いながら、今までサッカーを続けさせてもらった両親の為にも大学4年間選手を続けるのが真っ当な選択だろうと考えていた。

しかし少し経つと、それがサッカーを続ける理由になってはいけないと気づいた。そこから「今サッカーを続けることに意味があるのだろうか?」ということを考えた。さらに同期や先輩と話していると私が「どんな人間になりたいのか」を考えた先に今すべき選択があると思った。私はその上でどんな人間に魅力を感じるのか。それは「自分が何か行動を起こしその行動から他人に影響を与える」というような人間であった。高校の時の監督の言葉を借りると「気づいて気づかせる」ということだ。それを思った時からコンダクターとして活動する自分がイメージできた。

コンダクターになって「気づいて気づかせる」ことを実行して、関学サッカー部の仲間と共に必ず日本一を成し遂げてやる、という想いになった。このように自分の中では決断していたが、両親や同期に伝えることを恐れていたが、ふと自分を客観的見て、ただ選手を辞めることに恐れている自分がちっぽけに思えた。そしてその日に両親に伝え、次のミーティングで同期に伝えた。このことを伝えてからすごくスッキリしたと同時に両親や同期など様々な方の存在の大きさを改めて知った。

同期とは2年の秋頃から学年で何度も何度もミーティングを重ねた。ミーティングだけでなく個人的に話すことも何度もあった。それだけミーティングをすると着々と進んでいくように感じるが、逆にミーティングを重ねていくうちに次々と問題が出て前に進めない。その出てきた問題を解決したと思うと、また新たな問題が出てくる。その繰り返しだった。そもそもコンダクターを出したくないという意見が出ることもあり何度もぶつかった。

(私はコンダクターに関して、コンダクターが居なくても良いのでは?選手で役割を担えるのでは?と考えていたこともあった。さらにコンダクターはこの組織に必要ではあることを十分に理解しながらも、つい最近までコンダクターの出し方に多様性があっても良いのではないかと考えていた。それもそうだが、今は出し方の多様性を考えるよりも、コンダクターが居ないとチームが回らないと思われるような絶対的な存在になるのが1番だと気づいた。さらに部内、部外問わず、コンダクターになりたいと思うような人間になれるように行動するしかない。コンダクター陣の皆さんやるしかないでしょ。)

このミーティングが始まる前に、大まかな流れを決めていたが全くその通りにいかなかった。ハプニング続きで毎日途方に暮れていた。この期間は私自身本当に苦しかったし、私だけでなく全員苦しかった。予定では10月から始め、11月中に終わるという流れであったが、結果的に1月28日まで続いた。予定は未定とは、まさにこのことではないだろうか。この詳細を聞きたい方は連絡を下さい。何時間でも話せる自信があります。それくらい濃い時間でした。

けれどもこれだけ経緯を話したとしても、今の状況は何も変わらない。自分が考える人間に近づく為に日々過ごす。ミーティングで言ったことを各々が成し遂げる為に、今この瞬間できることを選択して行動する。このことを忘れず各々が掲げた事を全員で絶対に成し遂げるしかない。絶対に最高だったといえる人生の1ページにしよう。

最後になりますが私はコンダクターとして、関学サッカー部員として、1人の人間として、自分一人では何もできません。だから様々な方に頼らせていただくことがあると思うのでその際は宜しくお願いします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

2020-5-12
本当の想い(田口仁也)

「本当の想い」

「藤枝東高校で、選手権に出て優勝する」

これが僕の夢だった。

静岡県のサッカー少年なら誰しも一度は憧れるチーム「藤枝東高校」。そこで活躍がしたかった。苦手だった勉強も怠らず、頑張った結果、僕はなんとか藤枝東高校に入学することが出来た。強い想いで必死に練習にしがみついた。私生活や勉強を削ってまで。3年生の時、最後の学年でようやく試合に出られるようになった。絶対に自分なら出来るという訳のわからぬ自信を持って選手権に挑もうとした時だった。僕の夢は挑戦することなく終わってしまった。

左足の腓骨の骨折

全治5ヶ月の怪我をした。原因は、スライディングをした時、スパイクが人工芝に引っかかってしまったからだった。最後の選手権をスタンドで終えてしまった。初めて挫折をした。涙が出なくなるまで泣いた。「夢は夢だから叶わない」と言い聞かせた。それ以来、僕は夢という言葉が嫌いになった。

そんな中、僕は関学に進学することになった。もともと関学の先輩である兄がこの関学サッカー部のよさを教えてくれて、日本一を目指す組織に惹かれ、この学校へ進学しようと考えていたのだが、成績が足りなかった。でも、怪我をしてサッカーをやれなかった期間、死に物狂いで勉強した結果、本当にギリギリで関学に合格することが出来た。

夢を失った代わりに勝ち得た関学への進学。正直、気持ちは複雑だった。でも、進学が決まった日から、大学では、自分の想いをしっかりしつつ、刺激の多い環境で、精一杯チャレンジして、人としてもっと成長しようと思っていた。そうして、僕は日本一を目指す関学サッカー部で再びサッカーをすると決めたのだ。

正直、大学に入ってからは毎日考える日々であった。「1番下のカテゴリーで自分は何をしてるの?」「アイリーグに出たら、上のカテゴリーに上がれるの?」「何で体育会でサッカーしてるの?」「自分はこの組織で必要とされてないのじゃないの?」葛藤の日々だった。自分よりもサッカーが上手い仲間を見て、何度も考えされられた。そして、2回になり、コンダクターMTが来た。かなり悩んた。大学に来ている目的は、新しいことにチャレンジすること、そしてそこで成長することだった。その信念は曲げたくなかった。結果、MTを通して、仲間の熱い想いを確認出来て、この仲間のためなら頑張れる、本気で日本一を目指す組織のために戦えると覚悟を決められたから僕は、選手を辞めてコンダクターになった。

コンダクターになるに当たって、人として不完全な所が多すぎることを自覚した。コンダクターは、チームの目的のために組織全体を成長させることの出来るような人でなくてはならない。本気で日本一を獲りたいのなら、そんな人に先ずはならなくてはいけない。組織のためにも、必要なことである以上、自分は本気でそのような人間を目指す。そこへのチャレンジは残りの2年、自分らしく、全力でがむしゃらにやっていこうと思う。

関学に進学して2年経ち、改めてサッカー部に入って、本当によかったと思っている。本気の仲間、本気の組織に出会え、出来なかったことがたくさん出来るようになった。毎年、100万円以上の学費を払ってこの学校で学ばせていただいているのだが、この組織で学ぶことは、それ以上の価値があることだと思っている。

本気だからこそ、得られるものが大きい。これからも本気で日本一を目指してみんなで頑張っていこう。”夢”は嫌いだけど、叶うと信じて抱き続けている。今の僕の夢は、
「”みんな”で日本一を獲ることだ!」

最後に高い学費を支払ってまで進学をさせてくださった両親には感謝しております。これからも恩返し出来るよう精進してまいります。

2020-5-4
リスタート(中山優作)

この場を借りて私の正直な気持ちを綴らせていただきます。最後までお読みいただければ幸いです。
 
2020年1月20日、私は選手を辞めてコンダクター(学生コーチ)になった。コンダクターになると決めるまで自分のサッカー人生を振り返り、悩んだ。とにかく悩んだ。5歳からサッカーをして16年間、今までの生きてきた時間の中で多くをサッカーに費やしてきた。初めてできた夢もプロサッカー選手だった。きつい練習や試合でサッカーを「いや」になることはたくさんあった。だが、決してサッカーを「きらい」になることはなかった。私にとってサッカーは自分の人生であった。選手を辞めるかもしれないと悩んだときに何度も心が痛くなった。正直辛かった。
 
私は選手を辞めることに迷いがあった。私のサッカー人生で何も大きな結果が残せていなかったからだ。小学生から高校生までの間、全国大会に出場したことが一つもなった。その夢を叶えるため、ピッチに立って活躍するために、この関学サッカー部に入った。入部したての頃はAチームで活躍している自分しか想像していなかった。「こんな俺でも頑張れば活躍できる。泥臭く、自分らしくチームに貢献する。」どこから湧いてくるのかは分からない自信があった。
しかし現実はそんなに甘くなかった。すごい人だらけ。これが日本一を目指している組織なのだと感じた。私の大学サッカー生活、カテゴリーの上がり下がりを経験し、清々しいより悔しい思いのほうが圧倒的に勝っていた。今まで応援してくれている両親をはじめ、多くの人に結果というものを残せていないことが申し訳なく思った。こんなことを考えながら決断するまでの日々を過ごしていた。
 
コンダクターを決めるまでに何度もミーティングを重ねてきた。毎回悩んでいた。学年リーダーもしていたこともあり、落ち着いて自分の悩みだけを考える回数も限られていた。
私たちの学年はとにかくサッカーが大好きで、選手を続けたいというのがほとんどだった。当たり前だ。大学生になり生活の自由度が今までより高まる中、夢や目標を達成するためにサッカー部に入るのは相当な覚悟がないとできないと思う。このような組織に所属していてサッカーが嫌いな人はいない。プロになる人もならない人も選手への気持ちはみんな強かった。
 
しかし、それだけでは選手を続けたい理由にはならないのが関学サッカー部である。個人としてサッカー部に貢献するために何ができるのか、何をしているのか、そもそもなぜサッカーをしているのか。そんなことについて考えることが関学サッカー部に所属しているうえでの責任だと感じた。
 
そのために私がやるべきことは何なのかを考えた。この組織は日本一を目指している。私は日本一に貢献したい思いが強かった。自己分析や他己分析を通して、私自身の人間性が分かった。目的や目標を達成するためには自分のすべきことは明確になった。サッカー部には私よりサッカーが上手い人がたくさんいる。そしてその人たち以上に貢献し、関学サッカー部を良くしていくためには、私はコンダクターになることだった。残りの2年を選手として貢献できないのは正直悔しかった。
 
だが、私には自信があった。どこから湧き上がってくるのかは分からないが、自分らしくコンダクターというポジションを全うできる自信があった。そのため、この決断に後悔はない。むしろ楽しみである。
 
そして私はこの組織を日本一にする覚悟ができた。この組織を日本一にする。
 
みんなにもう一度考えてほしい。どうすればこの組織に貢献することができるのか。Aチームで活躍している選手は分かりやすいかもしれないが、それより下のカテゴリーの選手は考えるのが難しいと思う。
でも、みんな同じエンブレムを背負い闘っている以上は関学サッカー部の一員である。サッカー部の一員であるからには、自分が組織の中でどういう立ち位置で、その現状を理解したうえで自分の弱さに目を背けずに、自分がチームのためにできる最高のパフォーマンスは何なのか考え続けなければいけない。
 
関学サッカー部に所属していると、成長できる機会が山ほどある。先輩の考えや他の部活動の考え、体育会本部の考え、探せばもっと出てくる。その考えを吸収し、周りに還元することで自分が成長するだけでなく組織も成長につながる。
 
私のサッカー人生はリスタートされた。今コンダクターとして約3ヶ月が経とうとしているが、前よりサッカーが好きになった。サッカーは素晴らしいものだと感じている。新しい視点でサッカーをするのは難しいことばかりで、まだまだ分からないことだらけだ。コンダクターをしていて自分が本当に必要とされているのかもまだ分からない。不安だらけだ。それでも大切な仲間がいることで練習や試合はものすごく楽しい。みんなありがとう。
 
私は日本一になる。日本一のコンダクターになる。自らシュートを打って、ゴールを決めてチームを勝たせることはできないけれど、日本一に導くコンダクターになる。
 
最後に、両親には私の決断を一番に尊重してくれた事に感謝している。

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