部員ブログ

2015-12-19
大きな背中(米原 祐)

私はいつもその大きな背中から学んでいた。それはピッチの上ではもちろん、ピッチの外でも同じだった。練習でも試合中でも、その男はいつも隣で誰よりも声を枯らし、誰よりも体を張り、誰よりもチームの為に全力だった。それはサッカー外の所でも変わらなかった。誰よりもチームの為に時間を費やし、チームを一つにするためにいつも試行錯誤し努力を惜しんではいなかった。

私はそんな男の姿を一年間ずっと見てきた。苦しい時もあっただろう。重圧やプレッシャーに押しつぶされそうになった時もあっただろう。だが、彼は人に弱音を吐かず、いつも大きな背中で私たちを引っ張ってきた。
そんな彼と一緒に戦う試合も、今日が正真正銘最後になってしまった。

いつも試合のキックオフの前にやる決まりごとがある。それはメンバーと円陣を組んだ後、最後に彼と握手をし「よし、行くぞ!」と気合いを入れることだ。これをする事で私は自分を奮い立たせることが出来る為、とても好きだった(変な意味ではない)。

しかし、それが出来るのも今日で最後である。寂しさはもちろんあるし、正直まだまだたくさん近くで学びたいこともあるが、そんなことはもうどうでもいい。私にとって今重要なのは、これまで誰よりも苦労をし、自分の事よりもチームの為にやってきたこの男に、もう一度優勝カップを掲げさせることだから。今までたくさんのことを学ばせてもらった恩返しとして、私にできる事は、今日の試合で私の全てをぶつけることだと思う。

今年それらが実り、最高の結果を残せば、おのずと来年にかかるプレッシャーや責任は大きくなるだろう。しかし、それは乗り越えられない壁ではない。なぜなら関学サッカーの求めるプロセスは、サッカーだけが上手い集団ではないからだ。サッカーはもちろん、サッカー以外の活動でも、主体性を持ち、自らでやる意義を見出し、自分が置かれた立場で常に全力で取り組み、学び、成長しなければいけない。それが出来るのが大学サッカーの醍醐味であり、関学サッカー部の素晴らしさである。

そして、このことが正しい道だと証明してくれているのが、今年の4回生を中心にした関学であり、これからも引き継いでいかなければいけないことだと思う。更にそれらを引き継ぐ為には、来年主務になる安達という存在をはじめ、AからCまでの信頼できる選手達、心強いスタッフやマネージャー達と共にまた1から進んで行くことが大切である。

だから今年最高の結果を残し、チーム全員の取り組みや苦労が正しかったと証明しよう。そして来年最高のスタートを迎えられるよう、今日必ず関学が勝つ。

そして、最後に優勝カップを掲げるのは井筒陸也だ。

3回生 米原 祐

2015-12-19
俺が獲る(小林 成豪)

準決勝の明治戦、終わった後ロッカールームでふと横を見るともじゃ(森信太朗)が泣いていました。前を見ると井筒主将が泣いていました。成山監督が泣きそうになっていました。
そうです、決勝に進んでも我らのエース呉屋が出場停止で出られないからです。その時ふと昔の事を思い出しました。

去年のインカレと今年の総理大臣杯、自分は両方とも準決勝でイエローカードをもらい決勝戦出場停止でした。しかし、準決勝が終わった後のロッカールームに戻っても誰も泣いている人はいませんでした。少し悲しいです。それと同時にやっぱり呉屋の力はすごいなと改めて感じました。

彼とは小学校6年生からの付き合いで、高校では同じチームではなかったものの、9年間一緒にサッカーをしています。あいつが点を決めるたびに、活躍するたびに、俺は悔しい気持ちでいっぱいでした。あいつを越えるために努力してきました。今の自分がいるのは間違いなく彼のおかげです。昔は練習中に殴り合いの喧嘩をして成山監督に怒られた事もあります(その時は自分が勝ちました)。今思えば、サッカーでお互いに正面からぶつかり合える最高の関係だったなと思います。

ついに今日決勝戦です。
あいつの悔しさは自分が一番わかっている。だからこそあいつのために俺が点をとらないといけない。今まで支えてくれた、同期のためにも、可愛い後輩(裕大と俊介と哲朗を除く)のためにも、成山監督のためにも。
最後みんなで笑って終わろう。
そのために俺が獲る。

4回生 小林 成豪

2015-12-18
最後に(井筒 陸也)

部員ブログなんて書いてる場合じゃない。真っ先に卒論に取りかかるべきだ、そんなことは分かってる。けれども書く。

中学生になるときも、高校生になるときも、そして大学生になるときも、サッカーを続けるかどうかを迷った。それでも続けてきた。
惰性の先にあったこの選択は、大学でサッカーを続ける決断をしたのではなく、高校でサッカーを辞める決断が出来なかっただけのことだった。弱い自分が情けなかったし、何よりサッカーに対して失礼だった。

だから「自分はなぜサッカーをしているのか」という疑問がいつも心の中にあった。考えてみると、この問いに答えるのは難しい。みんなはどうだろう。

150人の人生を背負う立場になって、この問いは自分だけのものではなくなっていった。
「サッカーを通して、部員は何を得られるのか」
「学生サッカーとは何のためにあるのか」
その意味を知りながら、サッカーがしたかった。ただやらされるのではなく、その意味を感じながら、みんなにはサッカーをしてもらいたかった。これこそ、卒論のテーマに相応しいと思う。しかしこれは部員ブログだ(号泣)

答えは「人間的成長」という言葉にある。聞き飽きていると思う。僕も言い飽きている。だけど今日も言う。
人間的成長とは何か。思うに、それは「自分と向き合うこと」から得られる。

自分という人間は欠点だらけだ。大学生にもなれば、ボールを扱う技術はもうそれほど伸びない。足も速くならない、背も高くならない。
自分がどういう人間か分かる。どれくらいの位置にいるか気づく。もしかしたら、自分の限界というものも何となく見えてしまうかもしれない。大学生とはそういう時期だと思う。

僕には呉屋と小林という同期がいた。何となく目の色が違って、サッカーでは勝てない気がした。僕はマネジメントで一番を目指そうと決めて、主将になった。
同じように、サッカーをやめて学生スタッフになる人がいる。Aには上がれなくても、BチームやCチームをまとめることに全力を尽くす人がいる。ベンチだろうが何だろうが、四年間サッカーに食らいつく人がいる。

全部正しいんだろう。自分自身の弱さに向き合い、それでも自分の存在を証明するために全力を尽くす。自分と、そして何よりチームのために。

学生サッカーの四年間は、人生の縮図だ。一年生のときは、何も考えず何も知らず、とりあえずサッカーをする。二年生になって、自分の弱さに気づく。自分で考えて、努力をするようになる。三年生くらいになると現実が見えてくる。厳しい決断を迫られることもある。時には何かを諦めることが必要かもしれない。それでも、自分の存在を証明することを止めてはいけない。自分の価値を高め、必要とされる人間にならなくてはいけない。四年生になったときに、何か一つ使命を持って生きるために。

自分と向き合う。自分を生かすために考え、決断し、行動する。自分の人生は自分で切り開いていく。
人生の折り返し地点にも届いていないし、社会にすらも出ていないけれど、きっと人生はこんな感じだろう。

学生サッカーの四年間はかけがえのない経験だった。自分と向き合うことの大切さを知った。この成長が、学生サッカーが僕たちに与えてくれたことで、そして学生サッカーの価値なんだと思う。

ただプロになるための通り道として、ただ好きなサッカーをやる場所として、学生サッカーがあるのだとすれば、それは余りにももったいない。この可能性に満ちた学生サッカーという場所を、最大限に楽しむべきだ。
そして何より、僕らが沢山のことを犠牲にしてやってきた、このサッカーというスポーツの可能性を願っている。自分の人生を懸けたサッカーが、自分の人生を素晴らしいものにしてくれると、心から信じている。

関学は今年、四つ全てのタイトルを獲る。学生サッカーには、人間的成長という可能性があることを世界に知らしめる。学生サッカーの可能性を拡大していく。

こうして長々と書いてきたことを、今までずっと僕は言葉で、呉屋はゴールで伝えてきた。大学サッカーは、僕らが入学する前よりも少しだけ良くなっていると思う。明日は呉屋がいない。明日は僕が最後の試合で、プレーで表現する。スタンドで観ている呉屋が嫉妬するくらい、良いサッカーをしてやろうと思う。

4回生 井筒 陸也

2015-12-17
KWANGAKU is No. 1(森 信太朗)

ついに学生サッカー生活、ラスト1試合となりました。長かったようで短かった4年間、そして長かったようで短かったサッカー人生のラスト1試合。思い出に残る大事なゲームにしたいです。

振り返ってみると、様々な思い出が蘇ります。私達の学年はすごく生意気で、むちゃくちゃで、やりたい放題で、先輩達やスタッフの方々には本当に迷惑をかけてきたと思います。私達が先輩だったらブチ切れてたことだと思います。そんな寛大な、コーチや先輩達から「お前達の学年は絶対弱い。まとまりがないから。」と厳しい言葉を言われたことが何回かあります。
確かに僕達の学年は問題をたくさん起こしてきたし(私はその中心にいました)、まとまりも全くない個性派集団でした。ですが、どの大学よりも、今までの関学サッカー部のどの代よりも、一番学び、一番サッカーに懸け、一番成長してきました。これは慢心でも過信でもなく、事実です!!
強くなる為には何をどうしたらいいかを常に考えてきたし、行動に起こしてきました。サッカーのことはもちろん、サッカー以外の部分でも勝つ為に、強くなる為に、成長する為に、行動を起こしてきました。

試合や練習の前に朝早くから集まり、木鶏会や講演会をする大学があるでしょうか?
リーグ優勝を決めた次の日の早朝に、神社のトイレを素手で磨く大学があるでしょうか?
常に試合でのプレイ成功率や、何回ボールを触ったかなどを表にして出す大学があるでしょうか?
わざわざオフの日に、サッカー部全員で集まってBBQをしたり、ボーリング大会を開催する大学があるでしょうか?
試合後の補食を持ってこいということを、毎回試合前にメーリスで送る大学があるでしょうか?
遠征などで完成度の高いしおりを作り、それに沿ってミーティングや活動をする大学があるでしょうか?

関学サッカー部だけです。
だから私達は証明しなければなりません。
これだけのことをやってきた意味があったことを。これだけのことをして、成長したことを。そのためにもこのインカレは必ず優勝しなければなりません。

そしてついにここまできました。
流経も倒し、明治も倒しました。
全てのタイトルを獲って、今年1年を関学の年にしよう!絶対日本一!!

4回生 森 信太朗

2015-12-16
学生サッカーを先導する(安達 大樹)

8月16日、関学は総理大臣杯優勝のタイトルを獲得し、悲願の日本一を達成した。僕自身、スタンドで応援していたのだが、スタンドの部員も歓喜の輪をつくり、日本一の瞬間を喜んだ。

しかし、喜びはその日までだった。
日本一になったとしても、今まで通り普通の次の日がやってきたし、何か自分が変わったこともなかった。優勝したのはトップチームの選手で、自分はどこか他人事のような、そんな気持ちになっていた。
なぜ?日本一になったのに、心から喜ぶことができなかったのか。

それは僕自身が本当の意味で関学サッカー部の一員になりきれてなかったからだ。
チームが日本一になってはじめてそのことに気づいたし、「もったいないことをしたな」心からそう思った。

では本当の意味での関学サッカー部員とはなんなのか?

各々の立場、役割、責任がある中で、それぞれがその姿を見つけていかなければならない。

関学サッカー部は部の運営や活動、チームづくりまで様々な場面で学生の主体性が試される。例えば、雑誌『致知』の感想文を発表し合う「木鶏会」や、カテゴリーや学年の溝をなくし、縦と横の繋がりを強めるためのファミリー活動など、部員独自の活動をあげればキリがない。サッカー以外でも輝ける場所が部員の誰しもにある。そして、そういった活動の正当性を証明し、大学サッカー界を代表するチームになるために関学は勝たなくてはいけない。人間的成長を追求し、真摯にサッカーに取り組む本気の集団であること、これが関学サッカー部の強みである。僕はそういった部分に関学サッカー部員としての価値を見出した。

そして、今年でサッカー選手としての自分にケリをつけ、来年は関学サッカー部の主務となる決断をした。この本気の集団の可能性をどこまで引き出せるのか、そこに自分のすべてを懸けたいと思ったからである。

日本一になってもなお、チームは成長を続けてきた。「サッカーが強いだけじゃいけない。学生サッカーの可能性に挑戦する。」井筒主将がよく口にする言葉である。井筒主将と黒川主務が作り上げてきたこの主体性溢れるチームを本当に誇りに思う。この4回生の下で1年を過ごせていなければ、僕が主務になる決断なんて到底できなかっただろう。部員ひとりひとりが胸を張ってチームに貢献したと言える、そんな組織づくりに全力を尽くしたい。来年、4冠(今年おそらくするだろう)というプレッシャーの下で仕事ができることに本当に感謝している。

そして、「俺がお前のサッカー人生を背負うから」と言ってくれた米原(来季主将)と何が何でも日本一を獲りたい。

3回生 安達 大樹

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