2021-9-1
手(前川真美)
求めたものは、手に入れて生きてきた。
特に欲してなかったものも、
知らないうちに与えられて生きてきた。
人生のいかなる選択も、
両親が書いたシナリオを
いつも正しく進んだ兄の影を、
ただ追ってみただけだった。
どの社会でも自分の中でのある程度をこなせば
それ相応の評価がなされ、着飾れば認められ、
一目置かれる存在になれた。
未来への保険と下準備の整った綺麗な環境が、
いつもあたりまえのように私にはあった。
私たち3年生が大学に入学した年、
2019年の東京大学の入学式の祝辞を
知っているだろうか。
ぜひ一度読んでみて欲しい。
この祝辞にもある通り、
私は頑張れば報われる、
当たり前のように努力することができる環境に
生まれてきただけだった。
こんな自分を
つまらない人間だと思って生きてきた。
自分で手に入れたもの。
100パーセントの胸を張れる努力、挑戦、
賭けの先に手にしたもの。
みんなにはあるのかな。
誰しも周りの支えがあって
何かを成し遂げるけれど、
私は本当に思いつかなかった。
自分の力を駆使して手に入れたものが、
ひとつもないように感じてきた。
関学のサッカー部に入ったのは、
すごい自分になりたかったから。
すごいすごいと言われ続けた兄に
追いつきたかった。
ひとりでもいい。ひとりでもいいから、
兄のように大学でサッカーを辞める決断を
した人のサッカー人生の最後を、
せめて明るいものにしたかった。
兄がいたサッカー部は、
幼かった私にとって憧れの組織だったから、
ただチームの一員になりたかった。
サッカー部に入れれば、
自分を認められるような気がしていた。
でも、実際は違った。
入ってみれば未完成で、
課題や疑問ばかりが浮かぶような組織だった。
何もかも自分の望み通りにはいかなかった。
うまくまとめられた部員ブログや
あの頃のスタンドとのギャップが大きすぎて、
これがあの関学のサッカー部か、
関学のスタッフかと疑ったくらいだ。
そして、自分にも幻滅した。
この組織を理想の詰まった組織に変える力が
自分にはなかったからだ。
今シーズンが始まった当初、
グラウンドまでの公道を歩く足取りは、
荷物を持ってアクセスを歩くよりも重かった。
左遷ってこんな感じなのかなと思った。
一生昇進できない会社にいるような
気持ちだった。
自分の目標から1番遠い居場所に
飛ばされたように感じた。
悔しかったし、苦しかった。
メンバー外、ベンチ、
カテゴリーを落としてしまった選手も
同じ気持ちなのかと知れたのが
せめてもの救いで、
毎日毎日「もう少しできるぞ。」
「もうちょっと頑張れるぞ。」
と心の中で自分を鼓舞して歩いた。
いつも側にそうたさんがいて、
たぐさんがいて、
追いつかなきゃいけない選手がいて、
活躍を届けてくれる選手がいた。
そして今は、上階生のおかげで
元気な後輩達が個性を出せる環境があって、
ついてきてくれるゆりちゃんがいて、
てんせいがいて。
私には組織を変えれるほどの
すごい力はなかったけれど、
友人、同期、先輩、後輩、
周りの人に、環境に、
もったいないくらい恵まれる力だけは
誰よりもあった。
私はこのブログを病院の待合室で書いている。
スタッフも3年にもなれば、
中身は入部当初と対して変わらない
気がするのに、自らが決断し行動することも、
責任のある役目も増える。
待合室のカレンダーをみて、
今シーズンも残り5ヶ月を
切っていることに気づいた。
私がサッカー部を去るとき、
つまらない人間を卒業できているのかは
不安の残るところではあるけれど、
この組織が上に向かって進めているのなら、
同期のたくましい背中を
後輩に見せつけることができたのなら。
私が少しでも誰かに寄り添うことが
できていたなら、
一緒に走ることができたなら、
その人が心から笑えていたのなら、
最後まで楽しく本気でサッカーと
向き合ってくれたのなら。
私がここで過ごした時間に、
合格点をあげようと思う。