部員ブログ
「今日は気持ちや」
試合前のミーティングで徳永はいつも最初にこう言います。試合が始まると、徳永は小さいのに、言葉の通り「気持ち」を前面に出したプレーをし、私はそれを横で見て「もっとファイトしないとな」という気にいつもさせられています。
私は中学3年生の頃、ある大きな経験をしました。所属チームで全く試合に出場できなくなり、ベンチから試合を見守るのが当たり前、試合に出場したくてたまらない日々が続きました。こんなにも出場できないほど、私と出場している選手たちとの実力差は大きくない、そんなに実力差ないんじゃないかというのが本音でした。
ある大事な試合で、同じポジションの選手が開始早々に負傷し、やっと出場できると準備しようとしたとき、監督とコーチの会話が聞こえてしまいました。コーチは私の名前を出してくれましたが、監督からは「あいつは戦えない。ダメ。」という言葉でした。(結局、ポジションの違う選手が強行出場。)
当時の私は、なぜ戦えないだけで出場させてもらえないのか、得点に絡める選手が出場したほうがいいのではないか、じゃあ私はなんで今ベンチにいるのか、何もかもよくわかりませんでした。中学時代は、そのまま試合に出場することなく(最後、ほぼ負けが決まった試合で10分だけ記念出場)、また、最も大事なことに気づくことなく退団してしまいました。
4年間、関学サッカー部でサッカーをさせてもらい、ようやく気づいた気がします。最も大事なことは上手い下手よりも勝ちたい「気持ち」だということを。この「気持ち」はサッカーだけでなく、他のことでも必要になる。と、この4年間で学ぶことができました。私たち4回生が関学でサッカーするのも残り2試合となりました。ここまできたら実力差なんてほとんどありません。最後に差がつくのは試合に勝ちたい「気持ち」です。
私は、勝ちたい「気持ち」を前面に出し、残り2試合戦います。
こんなにも重要なことを学ばせてくれた関学サッカー部に必ず結果で恩返しします。
インカレで必ず優勝します。
結局最後は「気持ち!!!」
4回生 福冨 孝也
私は高校でサッカーをやめました。初めは好きであったはずのサッカーが次第に重荷になり、それが嫌で逃げ出したのです。
大学入学当初、新鮮で縛りのない環境に開放的な気分になりました。しかし一年が過ぎた頃、虚無感と不安感に襲われました。充実感も見出せず、このまま自分は大学四年間を棒に振るとまで思いました。
そんな自分を救ってくれたのが、関学サッカー部、関西学生サッカー連盟(学連)という役職でした。一度逃げたにも関わらず違う形ではあるが再びサッカーに携わるということを何かの縁だと感じ、またサッカーに対し真剣に向き合おうと思いました。
関学サッカー部を見て一番思うことは、部員全員が何事にも本気で取り組んでいることです。
サッカー以外でもその姿勢は変わりません。
そういった姿勢は一度スポーツから離れ、たるんでいた私の気持ちを一気に引き締めました。
このきっかけを与えてくれた関学サッカー部にはとても感謝しています。
学連という役職は、サッカー部の学生スタッフであり、大学サッカー全体を運営する連盟の役員でもあります。途中から入部した私の事を知っている人は少ないと思います。しかしこの役職は、両者を繋ぐ重要なポジションだ、と考えています。
こういった責任感の中で自分が成長できることはとても幸せであると思います。
成長させてもらった関学サッカー部と学連へ感謝の意を示すためには、関学サッカー部の日本一という目標達成を通じ、関西学生サッカーをもっと盛り上げていくことだと思います。
そのために私はサッカー部と学連を繋ぐ、錆びて水漏れしない図太いパイプ(例えが下手)としてチームに対してできること、関西学生サッカーに対して出来ることを真剣に取り組みたいと思います。
3回生 栗山泰輔
去年の流経とのインカレ決勝、自分は確かにスタメンでピッチに立っていた。インカレメンバーに入るか入らないかの立ち位置であったであろう自分が。決勝まで1秒も出場していなかった自分が。この事をインカレが始まる前に想定した人がいただろうか…、多分いないと思う。自分自身も考えられていなかった。試合に出られるチャンスを与えてもらって、もちろん気合いが入ったし、準備もした。
試合は0ー1負け
こんな付け焼き刃の準備で取れるほど日本一になる事は、甘くはなかった。怪我人・出場停止者がいなければ結果が変わっていたかもと考える人もいるだろう。悔しいし、自分がすごく情けなかったし、去年の4回生に申し訳ないと思う。
インカレ決勝で敗れたところからスタートした今年のチーム。
キャプテンの井筒がよく言っていることがある。
『総理大臣杯を優勝した時も、他人事のように感じている部員や心の底から応援できていない部員がいたんじゃないか。部員全員が日本一に本気で貢献したと、胸張って言える関学サッカー部を作りたい』
そんな想いで、井筒・黒川が中心になって、そこからチームを変えてきた。チームを引っ張ってきたこの2人の想いを体現したい。
そのためには、部員全員の力がいるはずだ。
体現するラストチャンスのインカレ。
今日、準々決勝・流経戦
最高の準備ができた。
がんばろう。
4回生 小野晃弘
僕は”流経”という言葉を聞くと、今でも胸の中がゾワっとします。それは高校時代の流通経済大学付属柏高校での地獄(今あなたが想像した1.5倍は地獄)のような3年間を経験したからなのか、大学3回生のときに、2回ある全国大会でいずれも流経大に敗れているからなのか。どちらにしてもゾワっという気持ちは自分の中の拒絶反応のようなものだと思います。
よく「なんで流経大に行かなかったの?」という質問をされます。僕にも分かりません。流経大に行く選択肢もギリギリまであったし、3年間の地獄(電柱とよく競り合う)を共に乗り越えた仲間と、まだサッカーをしたいという気持ちもありました。
でも、僕は最後に関学を選びました。高校時代の公式戦の総得点は4ゴールに対して、大学での公式戦総得点は152ゴールに増えました。僕を変えたのは環境?筋トレ?練習メニュー?どれも僕自身にそれほど大きな影響を与えたとは思っていません。
では何が僕を変えたのか。”流経”です。高校時代に試合に出られなかった悔しさ、同期や後輩たちの活躍、そして去年の2つの敗戦。この全てが僕の大学4年間の原動力であって、”流経”という存在が僕を成長させてくれました。そして4回生にとって負けたら引退のこのインカレで、また流経大と対戦します。これ以上の最高のシチュエーションがあるのでしょうか。ないでしょう。ゾワっという気持ちを、”流経”に対する感謝の気持ちに変えるために、流経大に挑む。
この一戦で僕は”流経”(地獄の3年間を含む)に決着をつける。
4回生 呉屋 大翔
こんにちは!!!
人間福祉学部所属の森俊介です!インカレに向けて自分の気持ちを書きたいと思います!
僕は小学1年生の頃からサッカーを始めました。毎日父と公園でサッカーをしていました。上手く行かないときはよく泣いていました。これまで本気で取り組んだものはサッカーしかありませんでした。
僕はサッカーが好きです。
試合中相手をかわす事が好きです。
カットインでゴールを決めることが好きです。
90分間で相手に勝つのが好きです。
でもそれ以上に、試合に勝利した後に、スタンドで最高の笑顔で迎えてくれる関学サッカー部のみんなが大好きです!
19日に全員で笑って帰れるように、輪を作って喜びあえるように、何が何でも優勝しよう。日本一になろう。
みんなが声が出なくなるくらい応援したくなる凄い試合するから。
4回生のために、愛する関学が日本一になるために、この体の全てを捧げるから。
3回生 森 俊介