2019-10-11
万全の準備(坂東隼)
今回部員ブログを書くにあたって、簡単に私の今までのサッカー人生を振り返ろうと思う。
私は保育園年長の頃から様々なクラブチームに所属し、サッカーを続けていた。しかし、小学5年生になるとクラブチームをガンバ大阪ジュニアの1つだけに絞りプレーすることとなった。だが、このチームではいつもスタメンで試合に出られていたわけではなかった。小学6年生になるまで、試合に出られたり出られなかったりを繰り返し過ごしていた。
中学生になると千里丘FCに所属した。ここでもコンスタントに試合に出続けられるわけではなかった。Bチームで過ごす時間も長く、浮き沈みの激しい三年間となった。
高校は、履正社高校に進学した。ここでの1年目は、幸いにもインターハイ予選のメンバーに入ることができた。しかしここでも、より上を目指すぞと思っていた矢先すぐに怪我も重なりBチームに落ちてしまった。その後、3年生になるまでは、たまに上のチームに絡めたもののすべてのチャンスを自ら無駄にしてしまい、特に変化のない期間となった。そして3年生になりやっと試合に出場することができた。順調にインターハイ予選を勝ち上がり、全国大会目前のところまでたどり着いた。だが、そこで負けてしまった。大会が終わると真っ先にスタメンを外れた。しばらくするとまた試合には出場するようにはなれたのだが、高校最後の大会である高校サッカー選手権大阪予選決勝で不甲斐ないプレーをしてしまい途中交代し、そのままチームは敗退することとなった。
大学に入学する前、このように自分のサッカー人生を振り返ってみた。振り返ってみると述べてきたように良い印象ではなく、後悔してきたことが数多く浮かび上がってきた。そう思った私は、関西学院大学サッカー部に入部して、常に上を目指し続け、プレーしていた。すると、運良くステップアップしていくことができた。心と身体の準備が整っていたからそうなれたのだと思う。
2年目に入ると、トップチームに合流しプレーしていた。正直ここまで順調であったことが不思議であったのだが、リーグ戦があと少しで始まるという時期でもあったため、試合に出られなくても全力でプレーしようと思い準備していた。しかし、怪我をしてしまう。その2日後にはリーグ戦が始まった。プレーできない自分は応援で貢献するしかないと思い精一杯声を出し応援した。応援していると、ピッチで闘っている同級生や先輩方の姿がとても輝いて見えた。私は焦っていた。リハビリに取り組み、少しでもはやくチームに合流したかった。そして、怪我が順調に治っていき、復帰目前に部分練習に参加していた。その練習でまた同じ場所を怪我してしまった。何も考えられなかった。はやく復帰したいという気持ちが先走ってしまっていた。自分の準備不足であった。しかし、もう切り替えるしかない。そう思った私は、またリハビリに取り組んでいた。その間チームは関西学生リーグは上位につき、天皇杯も勝ち進んでいた。もし、復帰したとして、このチームに入り込んでいけるのかという不安を抱いていた。この不安とともに私は復帰してしまい、チームに合流した。すると、復帰してまもなくBチームに落ちた。また、準備不足であった。志が低いままでチームに合流してしまったのだ。こんな気持ちのままでチームのプラスになるはずはなかった。サッカーはチームスポーツであるが、チームが良くなるためには大前提として、個人の高い向上心が必要である。私にはこれが足りていなかった。
現在、私はB2チームにいる。このチームの特徴として、4回生が少ないこともあり、まとまりが弱く上手くいっていない時にすぐに崩れてしまうことが挙げられる。しかし反対に、まとまりさえあればとても強いチームになると感じている。また、BチームはAチームにもCチームにも大きな影響を与えられるチームである。良い影響を与えるのか、悪い影響を与えてしまうのかは自分たち次第である。
そのため、Bチームとしては、もうすでに後半戦が始まっているIリーグを勝ち抜き全国大会優勝を目指しAチームに入り込んでいける人を増やしていきたい。これを達成するために、課題である、チームとしてのまとまりを大切にしていきたいと私は考えている。
これを達成するためには個人としての闘う準備も大切である。私にはもうより上を目指しプレーしていく志も、そのため全力でサッカーに取り組んでいける身体もある。全力でプレーしても目標は達成できないかもしれないが、もう後悔はしたくない。準備はすでに整った。全てを達成するため、私は全力で闘い続けていく。
男子チーム 2回生 坂東隼