2020-11-7
覚悟を持つこと(松本龍典)
「覚悟を持つこと」
最近、Footballというスポーツは改めて人を魅了し感情を動かすことが出来るスポーツなんだと感じた。コロナ禍でロックダウンを行う国や様々なイベントが世界中で中止になる中、チャンピオンズリーグやリーグ戦が世界で行われていることは人々がFootballを求め、愛している何よりの証拠だ。
関学に入学してから3年が経ち、4か月程経てば新シーズンが始まり大学サッカー最後の年となる。この3年間で自分はなぜサッカーをしているのか?どういう姿になりたいのか?嫌というほど考え、自分自身を知るために考えてきた。最初の頃は考えることが嫌になりサッカーで現実から背けていたが、怪我がきっかけで真剣に向き合うようになった。
去年の9月に肩の怪我をしてから自分自身と向き合う時間が多くなり、学年MTを重ねるごとに自分の無力さ、人間としてどうなりたいかが整理できていなかった。
全体練習は約1時間半、自主練を足して多く見積もっても約4時間。プレーする時間ボールに触れる時間はもっと短い。サッカー以外の時間の方が多いが、今思えばすべてにおいて惰性で過ごしていたと感じる。
自分には覚悟が足りなかった。もちろんサッカーに対して手を抜いていたわけではない。世界中には家族の為、生きるために死ぬ物狂いでサッカーしている人もいる。自分は練習でシュートを止め、試合で結果を出すことに満足し自分自身をよく理解していなかった。だから怪我をしたし、上に上がれていないのだと思う。「自分はもっと上のレベルで戦いたい」「プロになって自分の人生をサッカーで切り開きたい」自分はサッカーが好きなことには変わりないのに熱中するほどの覚悟が足りなかった。
そこから自分は食事から睡眠、トレーニングに対して見直し自分なりに細部までこだわることにした。人と話が合わなくなることや手放すことも多かった。徹底したから誰かから評価されることもないと思う。いや、評価を得るためにやっているわけではない。ただ好きなことを妥協せず追求し続けたい一心でやっている。
4月から新型コロナウイルスの影響により、練習が無くなり先の見えない時間が続いた。
当たり前にできていたことが出来なくなっていることに気付かされたと同時に自分の存在が小さく感じた。少しでも視野を広げようと自分はある農家に1人で行った。当たり前のように口にしているものが裏でどれだけの苦労と愛情を注いで食物を育てているかを知ることが出来た。いつも通りが行えていることに感謝することと色んな偶然や行いの積み重ねによって日々を過ごせていることも分かった。
7月から練習が再開し少しずつ日常が戻ってきたが他のカテゴリ―の仲間と会うこともなく関学サッカー部の一体感が自然と薄れていたように思えた。
この間、ある後輩に声をかけた時、後輩が向かう先はグランドではなく駐車場での上げ日だった。新入生も入りこれから楽しみにしている中、自分を表現できる試合もなくただ目の前のコーンを飛び続け必死にやっている姿に自分は気づかされるものがあった。自分が出来ることとして結果を出して関学サッカー部にエネルギ―を生み出すこと。試合がない部員の気持ちを背負って戦うと言いたいがそんな軽い言葉では背負った気になっているだけだと思う。試合がある選手には結果を出す責任があるし、知らない所でこの状況を乗り越えようとしている仲間がいることを知ってほしい。試合がある部員に対して色んな感情を抱いていると思う。それでいいと思う。日本一を取り、部員の感情を前向きな方向へと突き動かしていきたい。
今週から始まる決勝トーナメント。
シーズン最初は不安要素が多かったBチームも試合を重ねるごとに強くなってる実感はあるし自分たちなら日本一になれると思う。
色んな場面で助けてもらった4回生を日本一へと導きたい。最高の景色を見る為に一つずつ勝ち進んでいきたい。