部員ブログ

2016-2-5
クラブ以上の存在(安達大樹)

「なんでそんなに犠牲にならないといけないの?」「最後くらいトップチームで出てるところが見たかった」「ここまで続けたのに辞めるなんてもったいない」ここ数ヶ月、プレーヤーを辞めて主務になったことを伝えると、決まってこう言われた。その度に、選手として恩返しができなかった自分の無力さを痛感させられた。でも、何よりも悔しいのは関学サッカー部の主務という役割をどこか否定されたような気がすることだ。

主務になるという形でサッカーを辞めるなんてほんの最近まで考えもしなかった。選手としてのプライドももちろんあった。「来年、トップチームに上がって少しでも試合に絡んで、両親に喜んでもらおう。」それがサッカーをさせてもらったことに対する恩返しだと思っていた。でも、心の中のリトル安達と大好きなサッカーに嘘をつかずに本音で向き合った時、自分が最もチームに貢献できる形は主務だった。

選手だったころはボールを蹴ることにこだわり、ただただサッカーと向き合っていた。その当たった感触が心地よくて、どうやったらボールがまっすぐ飛ぶのか、どうやったらボールが曲がるのか、たくさん考えてきた。ボールは正直で蹴った方向に飛んでくれる。
しかし、主務になって向き合わなければならないのはチームになった。この大きな組織は必ずしも正直ではないし、導く方向へ進むとは限らない。きっと、うまくいかないことの方が多いのだと思う。しかしそんな甘いことを言ってる暇はない。本気の集団の可能性を引き出すためにとにかくやるしかない。選手の環境を整えることは主務である僕がやるべき仕事だが、それ以上にその環境の中でひとりひとりを生かすことが最大の役目だと考えている。みんなには自分がもっとも生きるところで輝いてほしい。一見すると地味で事務的な主務の仕事の中で、チームマネジメント、チーム作りにも自分の色を出していく。試行錯誤を繰り返して今年のチームに相応しい新しい主務の形を見出したい。

主務になるにあたって気付いたことは、プレーすることに固執しすぎるあまり、自分の可能性を狭めていたことである。まだ僕はサッカーをしている自分しか知らない。主務としての1年後の姿なんて想像がつかない。いわばその可能性は自分次第だ。人として成長し、充実感や喜びを得て、恩を返して、幸せに生きる。本当はその一つの方法としてサッカーがあるべきだ。

部員のみんなにはもう一度考えて欲しい。
進路選択には必ずサッカーがあったと思う。みんなはサッカーしか知らない人間だと思う。これまでの時間のほとんどをサッカーに懸けてきたと思う。サッカーが選んでくれた人生だから、サッカーが導いてくれた人生だからこそ、追い求めてほしい。サッカーを通して、今年1年で関学サッカー部の一員としてこのチームに何を残せるのか。その手段は点を取ることなのか、ゴールを守ることなのか、声を出すことなのか、誰よりも早くグランドに来ることなのか、相手を分析することなのか、ゴミを拾うことなのか。何が正しいのかはわからない。ただこれだけは言い切れる。やると決めたことに、とことんこだわってやり続けることがきっと勝つべき理由になる。「これだけやったんだ」という自信を胸に、みんなでもう一度日本一を獲りにいこう。

そして、2016年12月までにA・B・Cチームで全てのタイトルを獲る。
関西学院大学体育会サッカー部は十冠を達成する。
勝つことで関学サッカー部の正当性を証明する。
それが関学の哲学だから。

新4回生 安達大樹


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