2016-8-10
悔しさ (能塚銀也)
今までの人生の中で、何かに対して全力で取り組む原動力となっていたものは、「悔しい」という気持ちだと思う。
私は小学校1年生の時、家の近くにあった小さなサッカークラブでサッカーを始めた。小さなクラブだったため、同学年も少なく、高学年の中に入ってサッカーをしていた。しかし、高学年の相手にはならず、子ども扱いを受けていた。それが悔しくて必死に練習し、ボールを追いかけていた。
大学でサッカーをしようと決心した理由もそうだ。私は高校時代、本気でサッカーをするのは最後だと心の中で決意を持って取り組んでいた。だからこそ全力だった。しかし、高校最後の選手権で不甲斐ない試合をして負けてしまった。単に試合に負けたことより、両親や試合に出られない仲間、今まで支えてくれた人に結果で恩返しできなかったことが何より悔しかった。その悔しさが私を大学サッカーへと突き動かした。
その気持ちを晴らすことを決意してスタートした大学サッカーだったが、試合に出られない日々が続き、練習でも思い通りのプレーができないなど、上手くいかないことばかりだった。「こんな自分なんて誰も見ていない」と投げやりになり、高校の最後の選手権で感じた「悔しい」という気持ち が薄れてしまった時が度々あった。それは自分の弱さであり、自分が未熟であったからだと思う。
しかし、昨年のインカレで日本一のタイトルを取った時、同期の活躍がその気持ちを思い出させてくれた。試合に出て体を投げ出し、全力でプレーする上田や小川原。声が枯れるほど応援する能瀬や石井。試合に出られない分、他の場面でチームのために全力を注ぐ下田や寺尾。それ以外にもどうすれば日本一になれるのか考え、行動する同期達ばかりだった。
もちろん自分もチームの日本一のためにできる限り貢献したいと行動していたつもりだったが、その活躍をみて、「自分は何をしているんだろう」「もっとできることがあったのではないか」という「悔しさ」を感じた。だからこそ、この感情の大切さを身に染みて感じ、絶対にこれだけは忘れないでいようと決心した。そして、この悔しさがどんな状況でも、どんな環境でも、全力でサッカーに取り組ませてくれたし、チームの日本一のために自分には何ができるのかを本気で考え、行動するようになった。
今の自分にできることは「悔しさ」と向き合い、必ず上のカテゴリーでプレーするという目標を達成することであると思う。そして、「悔しさ」を与えてくれた同期たちに、今度は自分がその感情の大切さを気付かすことができる存在となる。
残りの大学サッカーではこの感情を忘れずに、真摯にサッカーに向き合い、ピッチの内でも外でも全力を尽くし、日本一になる。それが今まで自分を支えてくれた全ての人への恩返しになることを信じて。
3回生 能塚銀也