部員ブログ

2016-11-29
理由(中西 康太)

ここまで本当にあっという間だった。色々なことが自分にとっての最後となって、ようやく自分のサッカー人生の終わりが近いことを実感してきた。ただ、これまでサッカーを中心に生活してきた私にとって、サッカーのない生活というのは全く想像がつかない。サッカーは私にとって、それくらい欠かせないものとなっていた。

小学一年生の時、兄がサッカーをしていたから、私も何と無くサッカーを習い始めた。中学も何と無くで兄と同じ強豪校を選んだ。高校はエスカレーターで中学と同じ学校の高等部に進んだ。中高の6年間、引退した後であっても毎日のようにボールを蹴っていた。ただ、なんでそこまでサッカーに拘るのか、自分でも分からずにいた。目先に目指すものはあっても、そこに理由はなかったように思う。

「お前はクール過ぎる、もっと感情を出せ。」
高校時代、恩師によく言われた言葉だ。今思えば、何にでも理由を求めてしまう自分、理由を見つけられていないままの自分を見透かされていたのだろう。理由が分からないモヤモヤ、そこから感じる後ろめたさ。それらが邪魔をして、一歩を踏み込めずにいた。そんな自分を誤魔化して、熱い自分を取り繕っていた。その分を練習量でカバーしようと躍起になっていた。

でも、高校最後の試合は、やはりそんな私の所為で負けてしまった。試合終了直後、涙を流して悔しがっている人、「お前の失敗なら許せるよ」といってくれる人、スタンドで声を枯らして応援してくれていた人、そんな人たちを見て、中途半端だった自分が許せなくて、後悔して、涙が溢れて止まらなかった。自分の事に精一杯で周りが見えていなかった。「二度と同じ後悔はしない」。そう心に誓った。

あれから4年、私のサッカー人生のクライマックスが遂にやって来た。

大学生になっても、私は理由を求め続けていた。大学生ともなれば、自分の限界も分かってくる。頑張ってもプロには届かないと気付く。それでもサッカーを続けようと思った理由はなんだろうか。そんなことをずっと考えていた。そしてその答えは、私にとっては本気でサッカーをする最後の年に、ようやく見つけられた。

今年、新チームが始まったばかりの頃は、去年よりもレベルが高いとはお世辞にも言えず、正直かなり不安だった。でも、本気でチームを良くしようとするみんなを見て、本気でサッカーに打ち込むみんなを見て、このチームは強くなると確信した。周りを見れば、いつも隣で支えてくれる同期がいて、自分を慕ってくれる後輩がいて、信頼して任せてくれるコーチがいて。その人たちの為に全てを懸けて闘おうとすぐに決心できた。自然と熱い想いが込み上げてきた。

コーチに勝利をプレゼントしたい。みんなに笑顔になってもらいたい。そして、この大好きなメンバーと共に最高の気分を味わいたい。こんな想いがしたかったからサッカーを続けてきたのだと、ようやく気付いた。そして、高校の頃は気付けなかったこの想いが、関学サッカー部だからこそ気付けたこの想いが、私の闘う理由になった。

本当にいろいろなことがある年だった。悔しくて地面を叩いたり、嬉しくて抱き合ったり、興奮して痛みを忘れてはしゃいだり、ホッとして緊張の糸が切れて涙を流したり。こんなに感情を爆発させた年は後にも先にもないだろう。何年先になってもこの一年間のことは鮮明に覚えていて、またあの日に戻りたい、またみんなと一緒にサッカーがしたい、と感傷に浸るのだろう。そして、この全国大会が終わり、今年のBチームとしての活動も終わりとなるときも、きっと私はまともに喋れない程度に号泣する。それはどういう感情なのか、多分、言葉では言い表せないくらいのものに違いない。

ただ一つ、それに悔しさが混じるのか、嬉しさか混じるのか。それだけは自分たち次第だ。思いつくことは全部やった。やり残したことは一つもない。あとは全国制覇するだけだ。

身体の限界が来ても力が湧いてくる。頼もしく、誇らしい仲間がいるからだ。この身体が動かなくなろうとも、一生サッカーが出来なくなろうとも、私は闘い抜く。闘う理由があるからだ。そして必ず掴み取る。全国の頂点を。

4回生 中西康太


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