部員ブログ

2017-3-29
「関学」として(山本 悠樹)

私は去年、多くの試合を経験した。前期は怪我により棒に振ってしまったが、後期では何度も重要な試合に出場させてもらった。そして、多くのものを得たと思っている。それだけ濃い一年であった。もし今、「去年の試合の中で、印象に残っている試合は何ですか?」と聞かれたら、私は「インカレの日本体育大学戦です」と答えるだろう。初めてのインカレで、全国で勝つこと、個人として結果を残すことの難しさを感じた。何より去年のチームでの最後の試合になったからだ。
そして、もう1試合、強く心に残っているゲームを選ぶならば、迷うことなく挙げる一戦がある。それは天皇杯のアルビレックス新潟戦だ。

結果は皆が知っているように3-5で敗北を喫した。勝てた試合だったのかもしれない、そう思う人も少なからずいただろう。しかし、私は力の差を感じずにはいられなかった。延長戦までもつれ込んだものの、勝ち切る勝負強さ、リードした際の巧みな試合運び、技術、フィジカル、落ち着き。これがプロと呼ばれる人達なのだと痛感した。

では何故、関学はあれだけの試合ができたのだろうか。あそこまで追い込めたのだろうか。それはうまく表現できないが、「関学」だったからということなのだと思う。ピッチに立つ全員が「関学」として戦っていた。スタンドで応援してくれていた全ての人が「関学」として戦っていた。新潟の地にいた全員が「関学」として戦っていたからだと思う。

勝利を諦めている人など1人としていなかった。点を取るために必死でボールを奪い、丁寧に繋いで、ゴールに向かう。点を取れば喜んでくれる仲間がいて、スタンドを見れば必死に応援してくれる仲間がいる。逆転されてもスタンドにいる人の声が、私達の原動力となる。仲間の声が私達の体を足を心を動かし、勝利を目指す。どれだけきつくともしんどくとも、私達は「関学」だったから誰も戦うことをやめなかった。
あのまとまりこそが「関学」であり、「関学」の強さである。私は初めて、ピッチの上でこの一体感を経験した。「関学」が私達の背中を押したことで、あれだけ相手を追い込むことができたのだ。だからこそ私達は勝たないといけなかった。私達の一体感を証明する必要があったと、今でも強く思う。

今年の天皇杯は予選を勝ち抜かなければ、去年のピッチには立てない。今年は兵庫県代表を背負って天皇杯に参戦する。去年成し遂げられなかったことを私達は1つ1つ越えていく。まずは天皇杯。あの一体感をもってしても勝てなかったからこそ挑戦する価値がある。去年感じた一体感を、今年は私から発信していかなければならない。追い込まれたとしても、あの一体感と共に私達は戦う、全員が、「関学」になって戦う。

去年の延長戦前に新潟の地に響いていたあの声を、私は絶対忘れない。一体感という言葉で片付けてしまうにはあまりにもったいないくらい一つになっていた。今年もきっと一つになる。私達の一体感を見せつける。私達は兵庫県予選もプロ相手でも「関学」として勝つ。今から楽しみで仕方ない。

新二回生 山本悠樹


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