2018-5-9
一度サッカーを諦めて(田中敬志)
突然だが、僕は二浪の末、この大学に入学することができた。
浪人時代、僕が思い描いていた大学生活とは、全く勉強せず、何の目的もなくサークルに入り、適当にみんなでわいわいし、飲み屋で朝まで飲み、そのまま半分酔いながら授業を受けに行って、疲れ果てて家で熟睡することであった。そんな自由な大学生活が四年間もできると思うと、楽しみでしかなかった。
そして大学に入学した。思いっきり遊んでやろうと思った。入学式の日、たくさんのサークルが新入生にビラを配っていた。これが噂のサークルとやらか。みんなただのビラ配りでさえもこんなに賑やかにするなんて、日頃はどれだけ楽しい生活を送っているのだろうか。きっと数ヶ月後には僕も仲間入りだ。
しかし、そんな賑やかな入学式の真っ只中、「KWANSEI GAKUIN UNIV.SOCCER」という文字が背中に入った服を着ている人を一瞬見かけた。そういえば浪人時代、関学のサッカー部が強いと少し聞いたことがあった。その人を見かけてから、なんとなくその姿が頭に残るようになった。だが、自分には関係ない。どうせもうサッカーなんかしないのだから。一生本気でサッカーする機会なんてないし、二年間全く動いていないので、そんな状態で本気でサッカーするのは厳しいと思った。やっぱり大学ではとことん遊ぶつもりだった。
とはいってもサッカー自体は好きだったので、入学して一ヶ月ほどの間、7つか8つくらいのサッカー・フットサルのサークルへ、体験に行った。これからその仲間たちと楽しく大学生活をすごす。僕が浪人時代から強く望んでいた生活が遂に始まろうとしていた。しかし、全く魅力を感じなかった。ずっと望んでいた生活のはずだったのに、なぜか楽しそうだと思わなかったのだ。そのサークルの活動目的が不明確だから自分にあっていないのだと考え、何かの文化クラブに入ろうと思った。今ではクラブだったのかサークルだったのかさえも覚えていない。そのクラブの見学に行ったが、体験もせずちょっと喋って一瞬で帰った。きっと「なんだあいつは。」と思われていただろう。
このまま何がしたいかわからないまま、何もせず四年間すごすのだろうか。自分にとって何をしてる時が楽しかったのかと悩んだ。その頃は大好きな映画もおもしろくなかったし、大好きな食事でさえ何を食べても美味しく感じなかった。悪循環だった。では今、自分は何をしたいのだろうか。
その答えは単純だった。サッカーだ。やはり本気でサッカーがしたかったのだ。浪人して体が動かないことを言い訳にして、サッカーから無理やり距離をおいていたのであった。高校までずっとサッカーしてきたからこそ、改めて本気でサッカーしてる時が一番楽しかったと気がついた。
今振り返れば、大学ではサッカーは無理だと思っていながらも、学校に授業行く度に入学式に会ったあの人が忘れられなかったし、なにかと暇があれば、無意識に関学サッカー部のホームページに載っている部員紹介や試合の結果を見ていた。なんとなく、今自分がもしサッカー部に入ったらと無意識に想像していた。
そう考えることが日に日に増え、今の体の状態ではまずいと思ってグラウンドに一人でボールを蹴りに行っていた。一人なのでできることは限られていたが、関学のサッカー部だったらこれくらいのことはできるだろうと勝手に想定し、追いつこうと必死にサッカーしてる時が幸せで楽しかった。やはり真剣にサッカーがしたかった。それに気づいてから、迷わず入部することを決めた。
入部してからというもの、浮くと思いきや(まあ少々は浮いたかもしれないが)、初めて話す人でも、初対面であることを感じさせなかった。部員みんなが本当に優しかった。最初はすごく気をつかってくれたかもしれないが、今ではそんな厚い壁は全くなく、呼び捨てで呼ばれ、冗談を言い合う日々が幸せだ。こんなに居やすい環境があるのかと思う。真剣にサッカーができる幸せと同時に、こういう瞬間にもサッカー部に入部して非常によかったと感じる。
一度サッカーを諦めたからこそ、サッカーをしている時が一番楽しいと気付かされた。今では真剣にサッカーができる幸せを噛み締めつつ、集団に埋もれることなく、自分には何ができるだろうか、集団における自分の立ち位置はどのようなものかを考える日々である。
残りの大学サッカーで、もうサッカーには未練がないと思えるよう、あと二年間で燃え尽きるまでサッカーをしたい。
男子チーム3回生 田中敬志