2019-8-1
広く考える(大西瑞生)
なんのために人は生きているのだろうか、正しいことと善いことは同じなのだろうか、宇宙はなぜ拡がり続けるのか、幸せな人生とはなんなのか、そもそも幸せとはなんなのか、たわいのないことから壮大な正解のないようなことまで、考えを巡らすことに限界はないと思う。
幼いころから一人の時間にはよく考え事をしていた。1分程度の時もあれば1時間以上考え事をしているなんてこともあったが、そのほとんどは答えの出ないまま気付いたら考えることをやめていた。なにかについて深く考えることに意味はあるのだろうか。そのことについて考えたこともあったが、明確な答えは出た憶えがない。なにかについて深く考えるとことばの意味の解釈に突き当たる。例えば、幸せな人生とはについて考えると、「幸せ」ということばと「人生」ということばの解釈によって答えは大きく変わってくる。ことばには特別な意味を増やすことができるが、そのことにメリットがあるのかは分からない。「幸せ」は「幸せ」だよと考えをやめてしまうこともできる。このように考えることは自分次第で浅くも深くもできるため、1つの答えに至るのは難しい。ただ、考えること、今まで考えてきたことが私の生きていくうえでの軸の1つになってきたことは間違いがない。関学サッカー部に入るまでは自分が考えてきたことに疑問も持たず過ごしてきた。
突然だが、関学サッカー部ではよく学年単位でミーティングを行う。そこでは自己理解や他己分析、自分たちの今後の指針なんかを話し合う。最近では来年のチームの方針を決めるために活動しており、目標とはなんなのか、目的は必要なのかなどについて話し合っている。これらの活動ではチームメイトの意見や考えをたくさん聞くことができる。私はこれらの活動を通して今までの私が他人の考えをまじめに聞くことや自分に落とし込んだことがないことに気がついた。1学年で50人がいるなかでは、自分にはない観点から考える人がたくさんいる。そのことに気付きその人たちの考えに考えを巡らせたときが、私にとっては大きな転機だった。今までの自分がどれだけ視野が狭く、偏った考えになっていたかと言うことに気がつけた。それ以来私は、特に自分とは異なる意見の人の考えに興味を持つようになった。そうすることで、新しい考え方や観点が開けて、考えることに今までの浅深だけでなく、広狭まで違いが出てきた。
考えることには1つのことについてどれだけ考えるかの浅深の面と、どれだけいろんな視野、観点で考えられているかの広狭の面があり、人それぞれにゴールはあったとしても限界はないと思う。私はこれからも人の考えを聞くことで視野の広い考え方をできるように努めていきたい。
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。
男子チーム 3回生 大西瑞生