部員ブログ

2019-10-24
泥臭く、粘り強く(五十嵐涼矢)

「ゴリッ」
左肩に強い違和感が走った。
あ、左肩もか。
左肩を脱臼した。
右肩が治ったところなのに、またリハビリをしないといけないのか。
私は大学で怪我を多く経験した。

サッカーをしていると壁にぶつかることはあるし、サッカーをしていなくても人生の壁にぶつかることはあると思う。

私が経験した壁はいくつかあるが、今回は、その1つである怪我について書いていきたいと思う。以下に経験した主な怪我をまとめてみた。

高校時代 脛骨を骨折して手術 全治6か月
大学1年生の10月に腰椎椎間板ヘルニアを受傷し手術 全治10か月
大学2年生の9月に右肩の反復脱臼により手術 全治6か月
大学4年生の8月に左肩脱臼 全治1か月半

サッカーをしていなければ、これほど多くの怪我を経験することはないし、手術を3度することはなかったと怪我をするたびに思う。これらの怪我は私の壁として立ちはだかってきたが、私に最も大きな影響を与えたのは、大学一年生の際に腰椎椎間板ヘルニアになった経験である。

ヘルニアだと診断され、当初は保存療法で様子を見た。受傷から約三か月後には回復したため、練習に参加した。ようやく、サッカーが出来ると喜びに浸りながら、ボール回しに参加した。しかし、練習後、腰に激痛が走った。振り出しに戻った。受傷後6か月が何も変わらず過ぎていった。酷い時は、家で洗濯物を干そうと立ち上がっても、すぐに腰が痛くなるので、ベッドの上に横にならなければならなかった。このような状況なので、グラウンドに行っても、ただ練習を見学することしかできなかった。怪我は一向に回復せず、リハビリは地味で、つまらない。今までサッカーしかしてこなかった私からサッカーがなくなれば何が残るのかと考えることもあった。それは、とても耐え難い日々だった。

それでも、諦めず前に進めたのは、家族や友人、リハビリの先生、医者、トレーナー、サッカー部の仲間など多くの人の支えがあったからだ。特に、サッカー部の同期とのビブスじゃんけんや他愛もない話をしながら一緒に帰る時間は私の心の大きな支えになった。なぜなら、仲間と同じ時間を共有している時が私にとって怪我のことを忘れられる唯一の時間であり、楽しかったからだ。皆にとっては普通の日常だったかもしれないが、私にとってはその時間は何にも変えられない時間だった。

しかし、怪我というものは自分自身の問題であり、周りが支えてくれることはあっても、最終的には自分で治さないといけない。だから、徹底的に自分と向き合った。そして、分からないことがあれば、医者やリハビリの先生に聞き、不安や悩みを一つずつ解決した。リハビリは、取り組んでも、すぐに成果は出ないし、逆に少し手を抜いてもすぐに支障が出ることもない。ならば、リハビリに価値がないのか。いや、そうではない。リハビリに価値がないと決めて、今日やらなければ、そのリハビリによって生み出される可能性はゼロになる。だから、その可能性を信じてリハビリに取り組んだ。

最終的には、手術をして、受傷後10か月を経て復帰することができたが、この経験で、人は一人では生きていけないと改めて強く感じた。苦しい時に支えてくれる仲間の存在の大きさを感じ、この繋がりは大切だと感じた。そして、粘り強く取り組むこと。これらのことを学ぶことができた。

私のブログが記載された頃には、左肩脱臼の怪我を治し競技復帰していると思う。サッカー部にいる皆も今までいろいろな経験をしてきたと思う。一人一人に特別な思いがある。それをグラウンドの上で、グラウンドの外で、それぞれが置かれている立場で表現し、前に進まなければならない。かっこよくなくていい。粘り強く、泥臭く。

男子チーム 4回生 五十嵐涼矢


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