部員ブログ

2019-12-31
最後に伝えたいこと、これからの決意表明(竹本将太)

12月20日午前8時、最後の部員ブログを書いている。
目が覚めて、昨日の試合は夢だったのではないかと願う自分がいた。
意識が明瞭になり、スマホに届く「お疲れ様」というメッセージと、後輩からの寄せ書きが目に入り、現実だったと突きつけられる。

今年度、関学サッカー部は「目的」を廃して、「目標=日本一」だけを掲げて活動してきた。
それは、目的が目標の逃げ道にならない為だ。
日本一を獲れるかどうか、その一点が2019年度の真価であると言う覚悟をもって闘った。

だから練習前の円陣の時、繰り返し「日本一になるための練習をしよう」と語ってきた。
日本一という仮想の基準を設定してそれを乗り越えようと必死だった。実際にどれほどのインテンシティ、スピード、熱量が日本一になれる基準なのかは全くわからないままに。

昨日の試合後のミーティングで、「この経験を持ち帰ってチームに還元しよう」という話がコーチや4年生から後輩へ伝えられたと思う。だから僕も継承する。

最終的に日本一になるための積み重ねはできていた。前期は失点が多くて、それが後期には減った。試合の入りが改善され、インカレの3試合は立ち上がりで圧倒できた。どっちに勝利が転がってもおかしくない試合を落としていたが、立正大に粘り強く勝てた。

しかし、決勝に進むまでに成長速度が追いつかなかった。つまりこういうことだ。

「日本一になるための練習」ではなく、「いま日本一の練習をする」

将来日本一になるための今日であってはならない。
今日、他のすべての大学よりも、日本一闘い、声を出し、走り、質を求めなければならない。

それは個人でも同じだ。Aチームに上がりたいと望むなら、「いつか」Aチームに昇格するための練習をするのではなく、「いま」Aチームの基準で練習する。そしてそれは日本一よりはるかにイメージしやすい。日本一の基準は仮想になるが、Aの基準は週6回も見れる機会がある。

杉山天真が何を語り、本山遥がどのレベルでプレーしていて、山内舟征がインカレを機にどう変わったのかを知ればいい。
俺をA召集してくれという気概をもった人がいていいはずだ。

「今日、日本一である」

その刹那の連続の先に、結果として「日本一」が待っている。

林部晃己が、試合後「もうこんな悔しい思いはしたくないんで、来年必ず日本一とりましょう」と語った。
その気持ちを絶対に、絶対に忘れないで欲しい。

反省終わり。

ーーー

さて、これからの話をしよう。

僕たちはこれから、社会に出ていく。サッカーを続けたり、就職したり、進学する仲間もいる。
後輩たちもうっすら就活について考え出したり、漠然とした将来への期待や不満が心を覆っていくだろう。

どの道に進んでも、絶対に大切なことの話をする。

”なぜ僕らは努力し続けなければならないのか”

『日付が変わる前に寝て、8時間の睡眠ができる人は成功する』
睡眠とは身体の成長、精神の落ち着き、明日への活力をもたらす最高のツールだ。しかし、大学生にはそんな睡眠を妨害するものがたくさんある。夜中まで酒を飲んだり、ゲームをしたり、ネトフリに明け暮れるなど、楽しみに囲まれている。
スマホを閉じて、睡眠を優先できる人は、人生の優先順位を明確にでき、毎日の質を高め、自分を節する能力を持つ。

「努力は細部に宿る」と言うが、僕にとってあらゆる行動が同じ価値を持つ努力だ。

『読書は知識を増やすが、それだけで自身の価値を高めるわけではない』
読書をするかしないか、間違いなくするべきだ。1日10時間練習できるわけではないのだから、1時間の読書ぐらいできる。ただ、得た知識を左から右へと流して満足してはならない。
世の中には「考え続けよう」「話し合おう」という人がたくさんいるが、気をつけたほうがいい。
読書して、他人に差をつけた気になってはならない。

努力とは、行動して始まる。

『就活の軸ほど無駄なものはない』
就職活動の際、就活の軸やらモチベーショングラフやらを書かされる。仕事とは、幸せに生きるためのひとつの選択肢だ。就活の軸とは、所詮は就職希望先に沿った軸だ。自己分析とは、
「人生の軸」を見つける道のりである。そしてそれを見つける過程は「大学サッカー」に隠れている。サッカーと就活のどちらか、もしくは両立など、二項対立を前提に考えるべきじゃない。

何かひとつ努力すれば、別の何かにも必ずプラスになる。

『未来と過去は我々の頭の中の世界である』
またこれか、と思われるだろうが今日も伝える。過去の価値は、いまの自分が決める。挫折が悪夢になるかいい経験になるかはいまの自分が決定する。不安な過去はいまの自分が作り出す虚像であり、現実ではない。そして未来もいまの自分によって如何様にも変わる。

「いま、ここ」を全力で生きる以外に僕らにできる努力は何もない。

『エルメスに幸福は売っていない』
大学生になって、初めてブランド品を手にしてみた。「だからなんだ」と今は思う。学年を重ねるごとに物欲は消えていった。承認欲求に生きても、欲望に終わりは訪れない。承認欲求を満たし続ける事は幸福ではなく、不幸の一時停止に他ならない。

承認欲求から脱却し、自己実現ドリブンの生き方であれば、努力し続け、熱量に溢れた人生になる。

『誰のためにサッカーをするのか』
サッカーが監督の承認を求める行為になると苦しくなる。
監督の承認ためにサッカーをするのと、監督に選んでもらえるよう頑張ることはまるで違う。相手があなたをどう思うか、どう評価するかは相手が判断することで、あなたの課題ではないから介入できない。
「誰かのために」とは素敵なことだ。
しかし、誰かの承認を求めてしまうと、その誰かの期待する人生を送らなければならなくなる。
誰かの存在が原動力という考えと、誰かの承認を求めることは、全く違う。

「自分のために」とは、実は最も努力が必要な生き方だ。

『昨日より今日、今日より明日、より良くなる』
闇雲にトレーニングを積むのは自己満足に過ぎない。昨日できなかったシュートが今日は入る。通せなかったパスを通せる。挙げられなかった重量で筋トレができるようになる。

努力とはつまりはそういうことであり、ここに生きる喜びがある。

『人のせいにしてはならない』
子供の頃、両親から怒られるのは人のせいにした時だった。
関学サッカー部ではこれを「自分にベクトルを向ける」と言う。組織についてでも、個人でもこれができるかどうかで挫折や失敗から得られる経験が180度変わる。
DFだろうと、スコアレスドローに終われば、セットで得点できたはず。

外ではなく、内向きベクトルになったところから、努力が始まるのだ。

『勇気はあるかと問われている』
他人の幸せが目的ではなく、自分の幸せに向かった結果、誰かの幸せに繋がったらそんなに嬉しい事はない。
自分の幸せを生きる勇気とは、いますぐスマホを閉じる勇気、自分にベクトルを向け、承認から脱却し、過去と未来を捨て、ただひたすらに「いまここ、この瞬間」という刹那を全力で生きる勇気だ。

勇気をもって生きていく、それが努力である。

『幸せとは何かのゴールではない』
幸せが何かしらのゴールだと思っているといつまでも幸せはやってこない。日本一に向かってすべてをかけてきても、引退した次の日にはまた変わらず一日がはじまる。何かを達成してもまたすぐ次の目標が待っている。

日本一に向かって努力し続ける日々が、幸せなのだ。
この4年間、毎日が本当に楽しかった。幸せだった。

なぜ大学サッカーをしているのか。
なぜ関学なのか。
なぜサッカーを続けるのか。
なぜ生きているのか。

この4年間で確信した。幸せであるためだ。
それも他人の幸せではない。自分の幸せを生きるためだ。

幸せ「になる」のではなく幸せ「である」

そして、「幸せである」とは、努力し続ける毎日だ。
毎日学校に行ったり、会社に行って苦労しているからこそ、夏休みは楽しいし、華金の酒は美味い。(知らんけど)

それと同じように、挫折し、失敗し、苦心する毎日が、僕たちの人生の色彩を豊かにしていく。

だから僕たちは努力し続けなければならない。
いつか人生という物語を終える時、幸せな日々だったと思えるように。

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共に闘った全ての仲間が、幸せであり続けることを願います。

そして、僕の毎日を素敵な日々にしてくれた仲間たちに心から感謝します。
ありがとうございました。

男子チーム 4回生 竹本将太


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