2020-2-28
昨日の自分を超える(太田晃輔)
去年、準決勝で明治大学に負けてベスト4でインカレを終えた。その試合が終わると、周りも気にせずたくさん泣いた。こんなに泣いたのはいつぶりだっただろうか。インカレを通して、1試合も出場できなかった情けなさか、準決勝で負けた悔しさか、もう4年生とサッカーができない悲しさか、どの感情がそうさせたのかは自分でも分からない。
去年のチームは「日本一」を掲げて一年間戦ってきた。しかし、その日本一には届かなかった。ベスト4でも凄いという人はいると思うが、OBや大人スタッフ、現役を含む関学サッカー部に関わる人々からしたら物足りないと感じるだろう。では、どうしたら日本一は獲れるのだろうか。この問いを去年一年間、そしてインカレで負けてから考え続けていた。僕は、1年次にBチームに所属し、Iリーグ全国大会で日本一を経験しているものの、これまでAチームが日本一になったのを見たり、経験したりしていない。だから、日本一がどういうものでどれくらいの基準なのかは全くわからなかった。
去年すべてのタイトルを獲った明治大学と最後に戦ったことで日本一のプレー基準を知ることができたと思う。ベンチから見ていても、その差はとても大きいと痛感した。その基準に自分達が達したとして今年日本一は獲れるのか。どの大学もその基準以上を求めて毎日練習に励むと思う。これをやれば日本一になれるという確信的なものはどこにもないし、だれも知らないだろう。
日本一という漠然とした暗闇の中を走るような挑戦をしている中で頼りにできるのは自分しかいない。自分の中にしか測りはない。『昨日の自分を超えること』、これしか僕達が勝つためにできることはないのだと思う。もちろん、勝負の世界は競争であるため、周りと比べないといけない時もあるだろう。しかし、周りと比べるのは自分の現在地を知る時だけでいいのではないかと思う。周りと比べて落ち込む必要はないし、満足する必要もない。それよりも昨日の自分と比べてどうなのかを考える必要がある。誰もが弱い自分をわかっているし、やり続けることができない自分をわかっている。毎日もがき苦しみながら、その弱い自分に日々打ち勝つことが成長と言えるだろう。一本でも多く走る、一歩でも距離を詰める、一本でも多くシュートを打つ、一回でも考える回数を増やす。このちょっとした積み重ねが自分を大きく成長させ、このチームが終わる時に日本一を獲っているのだと信じたい。
人間は考える葦であると言われるように、考えて生きている。考えがあることによって、行動できている。そのため、考えを忘れたら行動できなくなる。日本一になるという考えを私生活のどこまで落とし込めるか。また、一人一人が関学サッカー部の一員であるという意識をどこまで持てるのか。これは、他の誰かが強要するものではないし、できない。自分で考えを忘れないように意識し続けないといけないし、それは必ず行動に現れるだろう。そして、誇れる自分、誇れる関学を創っていきたい。
僕は、関学サッカー部に入って、活動できていることに幸せを感じているし、正解だったと入部当初から思っている。これまで多くの選択肢がある中でその一つを選んで人生を送ってきた。そして、これからもより多くの選択肢の中から選んで人生を歩んでいくが、この世に正解なんてないと感じる。『自分が選んだ道を正解にしていくこと』が大切である。僕自身がより関学サッカー部で活動できたことが正解だったと感じられるように、そして部員全員が関学サッカー部を選んで良かった、正解だったと思ってもらえるように大学最後の一年、僕は覚悟を持って闘う。みんなで日本一を獲ろう。