部員ブログ

2020-12-4
青柳彰真のサッカー人生(青柳彰真)

17年のサッカー人生が終わろうとしている。
静岡県浜松市のちっぽけなグラウンドで、ボールすらまともに蹴れない俺に兄はPKを蹴らせてくれた。蹴ったボールはゴールに吸い込まれ、なんとも言えない快感を得た。その時が僕のサッカー人生のスタートだった。おそらく小さい子供のシュートは入れさせてあげようという忖度だったのだが、俺は決めたんだ!と誇らしげにしていたはずだ。過去のことなんて全て忘れてしまうほどのポジティブ人間なのに、これだけは覚えている。そしてここから親に怒涛のワガママをぶつけることとなった。

香川県で本格的にサッカーを始め、小学生3年生で兵庫県姫路市に引っ越してきた。圧倒的FWとしてチーム得点王だったが、デブですぐ息切れしていたのでGKになった。それが功を奏したのか、奏していないのかは分からないが、関西トレセンに選ばれ、そして僕は死ぬほど天狗になった。チームの仕事になど目を向けず、「俺はサッカーで結果出してんねんから黙っとけよ」くらいに思っていた。恐らく周りの親からは嫌われていたと思う。ごめんなさい。

中学生に上がるタイミングで、親の仕事の関係で名古屋への転勤が決まった。でも、僕はヴィッセル神戸に入団することが決まり、親は母と共に姫路に残してくれた。平日は毎日学校に迎えにこさせ、駅まで送ってもらい、土日は毎回車で神戸まで送ってもらっていた。ある日一度渋滞に巻き込まれ遅刻したとき、僕は親に死ぬほどキレた。覚えていないが、手を出したのか、お金を請求したのか、とにかくキレた。それ以降、集合時間の1時間前までに現地に着くように言い、パーキングエリアさえ寄るなと言った。免許を取った今わかるが地獄だ。それでも、文句一つ言わず母は送り迎えをしてくれ、大事な試合には家族総出で応援に駆けつけてくれた。

高校は、親が推していた関学高等部に入学。環境の変化に戸惑い「親がいけと言ったから」と言い訳している自分がいた。ただならぬ学費を払っていることなんて考えたこともなかった。母が家にいるありがみも分からず外食ばかりしていた。高校サッカーの集大成である選手権が近づいていた頃、今でも鮮明に覚えていることがある。高校サッカーが後数試合で終わる中で僕は母にキーパーグローブが欲しいと言った。節約家の母は、「まだ使えるじゃん」の一点張りだった。違う。死ぬ気で勝ちたい。インターハイで自分のミスで負けた屈辱を晴らしたい。そんな気持ちで母にキレていたとき、当初人生で一番怖かった父が恥ずかしげに口を開いた。「買ってやってもいいんじゃないか」え???耳を疑った。父に買ってと頼める間柄でもなかったし、プレゼントなど貰ったことなど無かった。父は1万円を財布から取り出し、「これで買ってこい」とだけ言った。その1万円を握り締めて、キーグロを買った。試合中は常に父の思いが宿っていた。高校生活で最高のプレーができ、選手権全試合無失点で高校生活を終えた。

大学生になり、留学にいって欲しい親の反対を押し切って体育会サッカー部に入った。当たり前のように部費のラインを親に転送し、当たり前のように親のICOCAで電車に乗り、当たり前のように仕送りが少ないとキレ、それでも御殿場に行くと親の姿があった。嫌な顔一つしなかった。

お父さん、お母さん、本当にありがとう。面と向かって言えない間柄だから、部員ブログなんて書いたことない俺がわざわざ書かせてくれと頼んだ。柄でもないことは人生に数回しかないから染みると信じている。だから、サッカーが後少しで終わるこの機会でどうしても伝えたかった。
父さんは無口ながらも、大事な試合の会場には父の姿があり、心で応援してくれていた。金銭的な部分で僕の選択肢を消すことは一切なかった。今までほとんどプレゼントなんて買ってもらったことなかったけど、人生で最初で最後のプレゼントのキーパーグローブ、本当に嬉しかったよ、ありがとう。
父とは正反対に親バカで、優しいお母さん、数えきれないほどキレたり無視したり、弁当いらんとか言ったり。甘えてばっかだったけど、全部受け止めてくれてありがとう。弁当作ってもらっとけばよかった。もっと家でご飯食べたらよかった。これから車買っていっぱい送り迎えします。

サッカーでいろんな経験が出来た。父のような逞しく母のように寛大な人間になれるように、そして、少しずつ恩返しします。
サッカーありがとう。サッカーをするきっかけを与えてくれた兄ちゃんありがとう。サッカーを続けさせてくれた両親ありがとう。
二人の間に生まれてきてよかった。

サッカーの楽しさを教えてくれた幼少期、結果が全てだと、結果を追い求めた小学校時代、苦しみの先に見える絶景を知った中学校時代、与えられた環境で成長する大切さを教えてくれた高校生時代、立場に関わらず組織においての存在価値を追い求め続けた大学時代。本当に多くの経験が自分の価値形成につながった。もし今サッカーが楽しくなくても、なかなか思うように結果が得られなくても、成長出来るか出来ないかは意識次第。成功も失敗も、いつか自分の糧になる。そう信じて後輩には突き進んで欲しい。

「幸せとは、何かが欠けていること」だという名言を最近目にした。完璧なら幸せなんて感じない。なにかが欠けているから、それを乗り越えた時に幸せを感じるんだと。これを見たときに挫けそうになった時も欠けている自分をも愛そうと思えた。
現状として僕は、サッカー人生最後に初めてサブキーパーを経験している。下のカテゴリーでもいいから出たいと思ったこともあった。でも、社会人になるための試練だとか、早崎さんがここに置いている意味とか、自分の中で何度も噛み砕いた。出ている出ていないとか関係ない。GKのレベルアップのために龍典に(もちろんB2の2人にも)危機感を持たせる、ベンチからチームを鼓舞する、出番が回ってきたらチームを勝たせる、チームを安心させる、腐っていない自分を見せてチームに原動力をもたらす。どんな立場であっても、自分を成長させ周りに影響を与えることは出来る。この前出場させてもらったB2の決勝トーナメントの勝利は、本当に心から幸せだった。まだ俺のサッカー人生は終わっていない。どんな形であれ俺は死ぬ気で日本一に貢献します。


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