部員ブログ

2021-7-9
言葉を発する理由(徳澤岳)

2回生の徳澤岳です。このような機会をくださったことに本当に感謝します。自分の拙い文章がどうか誰かに届きますことを切に願います。
今回、私が話したいのは言葉についてです。皆さんの周りにも言葉が溢れているでしょう。家族と話す時、友人と他愛無い会話をする時、秘密を共有したりする時、私達は言葉を使います。何故、私達が言葉を駆使しているのでしょうか?そうしなければ、私達の意図を伝えることができないからです。
人間は、過去から現代において言葉とともに発展した生物です。人間の技術や進歩は人間が言葉を駆使できなければ、その場その場で消えていくものばかりでした。私達の歴史は言葉の歴史といっても過言はないでしょう。
その歴史を刻んだ例として、本や音楽が挙げられます。これらはその時代の人間がこの世を去っても残り続けるもの。それらを私達は全力で守って今世まで繋いできました。清少納言の枕草子なども、その時代ではただの本であったのにも関わらず、今では貴重な文化の歴史を刻むものとして大切に保管されています。言葉というものはそれ程偉大であるということです。
さて、堅苦しい話をし過ぎてしまいました。ここで、私が今回何故のテーマにしたのかについて話していきます。
人間がここまで発達した一因の一つである言葉。私達は本当に扱いきれているのでしょうか。言葉には時代を超えるだけでなく、今、横にいる人達を守る、力を与えることができます。私達はその力を使いこなせているでしょうか?
ペンは剣よりも強しと言います。言葉は敵を倒す大きな武器になるのです。それが自分が与えたものだろうと、他人に与えられたものだろうと。言葉には敵と戦える力を与える力があるのです。
そして、言葉は鎧にもなりえます。小さい頃に母親に「知らない人についていってはいけない」と言われた人が多いと思います。それを聞いた小さい頃の私達は、自然と知らない人にはついて行かないようにします。分かりますか。言葉が鎧となって現れた瞬間なのです。
私達は言葉が武器にもなり、鎧となることに気づけていないのです。私達が持つ1番強大なものに手をつけようとしないのです。
だから、私は言葉を発し続けます。試合中、どんなプレーがあっても全力で褒めます。全力で称えます。言葉が武器となり鎧になることを知っているからです。私の声がチームメイト誰かの力になってくれればいい。そんな気持ちで私は全力で声を出し続けます。
関学サッカー部がこれまで以上に強くなるには、言葉の力は絶対に必要なものになります。
言葉の力を少しでも信じてみたらどうでしょうか?
この言葉が誰かの武器と鎧になりますように。


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