2015-6-12
サッカーと向き合う (山内 馨介)
僕はこれまで何回も思ったことがあります。「なんで試合に出られないんだ。どうしてあいつが試合に出ているんだ」。ひどい時には「自分の出てない試合は別に負けてもいい」そう思うことだってありました。自分は下手だから、まだ未熟だからとわかってはいるものの、心のどこかで「自分はできる、本当はやれる」ということを勝手に思い込んでいたからです。そんな自分を正当化しようという気持ちがねたみや愚痴となって言葉として出てしまっていました。ですが、これは現実から目を背け、事実と向き合えずに逃げているだけだと気づきました。使えるから試合に出られる。そうでないから試合に出られない。ただそれだけのことです。
どこでどのように努力していたとしても、評価する人は他人であるのだから、自分の気持ちは関係ありません。ではなぜ、自分の気持ちが伝わるかどうかわからないまま、いい評価を受けられる保証もなく、見られているわけでもない努力をしているのか。
理由はただひとつ。サッカーが本当に好きだからです。本当に好きだからこそ、上手くいかない時はやめたくもなるし、自分が出てない試合は面白くありません。これは真剣にやっているからこそ、出る感情ではないかと僕は思います。自分で言うのもなんですが、”どうしてあいつが出てるんだ”や”自分が出てない試合は負けてもいい”などは本心ではありません。
本当は試合に出ている上手い人達がカッコよくて、羨ましくて、しょうがないのです。「自分もああなりたい、ピッチに立って活躍したい」。そう思っているのです。自分だけが辛い思いをしているわけがありません。試合に出ている人達は、自分のしていることよりも数倍努力しているからこそ試合で使われるし、目に見えない所で他人以上のことをしているからこそ上手いのです。
そのような人達が多いことが、現在、関学サッカー部が日本一を目指すことができ、強い理由の一つです。日本一という言葉は簡単には使えません。ですが、いまのチームは自信を持ってそう言えると思うし、全員がそのことに向けて真摯に動ける組織だと思っています。試合に出ている人が、こういう人たちの思いも背負いながら戦っているからこそ、応援する側も必死で支えるし、心の底から勝ってほしいと願います。
Aチーム~Cチーム、試合に出ている人出ていない人、考えること、思っていることは人それぞれ違うのは当たり前です。ですが、一つだけ一緒なのは、大好きなサッカーで勝ちたいということです。このことはみんなが変わらず持っているものだと思います。それが合わさった時に、勝利というものが生まれ、おのずと日本一というものが見えてくるのではないでしょうか。いつかその日が来るまで、たとえ試合に出られなくても、好きなサッカーに嘘をつかずに、真剣に向き合っている自分でありたいです。
3回生 山内 馨介