部員ブログ

2016-3-9
支え(井上 敬介)

人は、葛藤を繰り返し、周りの人に支えられて壁を乗り越え生きていくと思う。私は今回の決断で身をもってそう感じた。

私は、約20年前に姉が二人いる末っ子長男として産まれた。私の父はいかなる時も常にビデオカメラを持ち歩き、家族団欒の情景をビデオに残してきた。産まれて間もない私。歩き始めた私。仮面ライダーごっこをして遊ぶ私。それらを見て微笑む家族。今でもそのビデオを見て家族で笑うことがある。

そんな中、私がサッカーと出会ってからは、そのビデオがほとんどが私のサッカーの試合になった。世界中の人が陥るサッカー中毒になってしまった私は、家でもサッカー、外でもサッカーという毎日を送り、サッカーをすることが大好きになった。父もそんなサッカー中毒に陥り、サッカーを見ることが大好きになっていた。試合の日は必ず父はビデオカメラを持って見に来てくれる。そして、家に帰って反省会をするのが当たり前だった。こんな生活は中学を卒業するまで続いた。

高校から親元を離れ、寮生活を始めた。この決断に至るまでかなり悩んだが、最後は家族の「頑張ってこい」という言葉で背中を押された。その後、父はビデオカメラを持って高校まで何度か足を運んでくれたが、中学までのような日々ではなくなった。寂しい気持ちもあったが、自分の夢のために必死でサッカーをした。しかし、高校2年の冬、父は病で長期入院することとなった。私の中で様々な感情が生まれた。高校選びを後悔したこともあった。ビデオカメラを持って試合に来てくれる父が大好きだった私はサッカーをする意味を失った気がした。父のために必死になっている家族を残して、高校に戻ることはできないと思っていた。しかし、その考えは間違っていた。私は父がまた笑顔で「おう!
」といってビデオカメラを片手に試合を見に来る日のために頑張らなくてはいけないのだ。そう決心した。そして、残りの高校生活を全力で取り組んだ。

大学は父の母校である関西学院大学を選んだ。大好きなサッカーをまだまだ本気でやりたいという思いとともに、父のため、家族のためという思いを持ってサッカー部に入部した。

入部して1年が過ぎた時、プレーヤーの中からコンダクターという学生コーチを出すという話があった。この話を聞いた時、率直に魅力しか感じなかった。サッカーの戦術においても、組織作りにおいても、自信があった。常に理想を持って生きてきたし、人の前に立つことが好きだった。人としての幅が広がるとも思った。しかし、私はサッカーをすることが大好きなだけでなく、サッカーを続けなければいけない理由があった。コンダクターをやってみたいと思うと同時に、あの時に決心したことを簡単に捨てられないという思いで葛藤していた。

そんな葛藤をしているとき頼りになったのは仲間だった。全てを打ち明け、話した。普段はしないようなこんな話を聞いて真剣に答えてくれた。何を答えてくれるとかではなく話せる仲間がいることが嬉しかった。口下手なところもあるが、それぞれ強い思いがあって、様々な問題に向き合っている。 この仲間のためにという思いが強く芽生えた。

全て打ち明けた時、私の父の口癖である「なるようになる」という言葉が胸に響いた。何かに悩んで一歩踏み出せない時、いつも父はこの言葉を発し、挑戦しようという気にさせる。気休めのようにも聞こえるが、これは父からのラストパスだと思っている。そして、私は家族のため、仲間のため、自分のため、関学サッカー部という組織のためにコンダクターになると決心した。

私は公の場でここまで自分の事を語ったことがない。こんな風に語ることではないのかもしれない。また、このことを書くことを誰にも相談していない。お父さんお母さんお姉ちゃんごめんなさい。でも、私自身のことを書くことでこの組織、仲間にかける私の思いを知って欲しかった。無限大にある可能性にかけて、残り2年を全うする覚悟を表したかった。

そして、2016年2月からプレーヤーをやめ、コンダクターとしての生活が始まった。上手くいかないことが多く、自信があったことが打ち砕かれてばかりだ。しかし、コーチという立場になってみて分かる新たな発見がたくさんあり、とても充実していて、可能性を感じられる。何があっても仲間や家族の力を頼りながらやれば「なるようになる」はずだ。
新しい自分を見つけ、自分のしたいこと、理想を追い求めてこの役職に取り組んでいきたいと思う。後2年間この関学サッカー部という組織をよりよくするために自分の全てをぶつけていく。

新3回生 井上敬介


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