2016-12-12
執念(安達大樹)
6月2日の関西選手権、それは何としてでも勝たなければならない試合だった。暗闇に包まれたナイターゲーム。うなだれる選手たちと悲痛の声をあげる応援団を横目に、涙すら出なかった。
勝負の世界とは、厳しくも儚いものだと思う。どれだけの練習を積んだとしても、どれだけいい試合をしたとしても、負けてしまうことだってある。しかし、『儚い』という言葉で結論づけてしまうのは、大学サッカーにとって少しもったいない気がする。
昨年、四冠を達成した関学。昨年の取り組みをさらに進化させると意気込んで今シーズンのスタートを切った。しかし、それこそが最大の弱みとなってしまった。なぜファミリーで食事をするのか。なぜイヤーブックを作るのか。なぜ木鶏会で人間力を養うのか。なぜ部員ブログを書くのか。そして、なぜ関学が日本一を獲らなくてはならないのか。それらの問いに対して真摯に向き合うべきだった。その意義を全部員で考えるべきだった。「去年もやってたから。」そんな理由で取り組むことになんの意味もないことに気づいたのは、夏の総理大臣杯出場を逃したまさにそのときだった。
正直言って辛い一年だった。自身の未熟さを痛感させられ、自責の念に駆られる日もあった。去年の栄光が至るところで見えない壁となり押し寄せてきた。「四冠の関学」と比べられることが怖かったし、何よりも悔しかった。でも、これまでの4回生が死ぬ気で繋いできた「関西学院大学体育会サッカー部」の魂をここで終わらせる訳にはいかなかった。
だからこそ貫いてきた。心がえぐられるような悔しさを乗り越え、這い上がってきた。
どんなに苦しい時でもグッとこらえて勝機を狙う。しぶとく、男らしく、最後まで粘り倒す。一度優勝すると決めたら、優勝以外いらない。準優勝は失敗だ。究極に勝利を求め続ける。それが関学のやり方であり、哲学だと思う。
地獄を味わった夏以降、Cチームが学生の主体性を思う存分に発揮し、Bチームが戦う集団のあるべき姿を示してくれた。学生スタッフは本当にたくましくなったと思う。坂口・高橋コンダクターに厳しい言葉をかけられることもあっただろう。それでも、へこたれずに時には泣きながらでも存在価値を示し続けたスタッフを誇りに思う。この半年間、大学サッカー本来の味を噛み締めてここまできた。大学サッカーを全国の人に知ってもらえるか、大学サッカーを少しでも発展させられるか。その責任はAチームに託されているのだろう。
インカレ初戦前日のミーティング、サッカーの最高峰『クラシコ』を観た。たしかに、関学にはメッシやネイマールはいないし、何万人を超えるサポーターだっていない。けれども、伝えられることはあると思った。大学生だって心を震わすような感動を与えることができること。大人に負けない思考力と主体性で組織を作り上げることができること。今年の関学は単なるサッカークラブではなく、まさしく「クラブ以上の存在」になるために活動してきたはずだ。
もう「儚く散る」ことは絶対にない。全てを懸けて日本一を獲りにいこう。
最後に。
進路に困っている高校生がいれば真っ先に関学サッカー部を勧めるし、弟にだって関学でサッカーをして欲しい。本気でそう思う。
それくらい関学が好きだ。
そして、負けたら終わりの戦いを前にして、僕にとっての「神ってる」存在である成山監督と、この関西学院大学体育会サッカー部に一日でも長く関わっていたい、というのが今の率直な気持ちである。
4回生 安達大樹