2016-12-18
関学の漢(米原祐)
インカレ決勝の日、試合前に掲載するはずだったこの部員ブログ。でも、それは叶わなかった。自分の力が足りなかったのだと思う。
日本体育大学とのインカレ準々決勝。0対0で迎えたハーフタイムに成山監督から選手にこの言葉が伝えられた。
「今の状況を例えて言うなら、器に水を張ってそこに全員が顔をつけている状態。息が苦しくなって先に顔をあげた選手のいるチームが負ける」
この言葉を胸にしまい後半に臨んだ。しかし、この我慢比べで、一番最初に顔を上げてしまったのは自分だった。
相手にファールを取られ、PKを与えてしまった。一番耐えなければいけないはずの自分が耐えきれなかった。先制を許した後、すぐに弱い自分が出てきた。しかし、そんな時、周りの選手やスタンドの応援の声が聞こえてきた。あの声があったからこそ、その後、ファールを恐れる様な弱気なプレーにはならなかったと思う。
そして、失点から数分後、すぐに同点に追いついた。あの時のチームの一体感は絶対に忘れない。
その後、関学は延長の末PK戦で負けてしまった。
敗因は、最後にPKを外した選手にあるのではない。なぜならその選手は、チームで一番最後に器から顔を上げた選手だから。敗れた理由は一番最初に顔を上げた自分にあった。
この経験を挫折や失敗という言葉で終わらせてはいけない。関学の漢なら、自分の挫折や失敗と向き合い、弱い自分に立ち向かわなければならない。それは、関学を卒業してからも変わらない。全ては成功への過程だったと証明するために、自分はこれからも前に進み続けようと思う。
今年一年間を振り返ると、前期の自分は、結果というものにどこか固執しすぎていた。何か大切なことを見失い、本当にこだわらないといけないものが見えていなかったと思う。
前期を終えて、探したその答えはすぐ近くにあった。それは、全部員と向き合い、一緒に成長し、一緒に戦うことだった。
勝手に背負ったつもりでいた全部員を、自分は本当の意味では背負えていなかった。
この前期の反省を受けて、臨んだ後期。チームの取り組みには、言葉では言い表せないほどの充実感や達成感があった。そこには、部員一人ひとりがチームでの存在意義を見つけ、カテゴリーや学年関係なく本気でチームのために戦っている姿があった。一人ひとりが本当に輝いて見えたし、誇りに思った瞬間だった。
我々関学サッカー部がこれまでどのような取り組みをしてきたかは、これまでの選手達の部員ブログなどを通してご存知いただけたと思う。
大学サッカーは、サッカーをするためだけの場所ではない。サッカーという手段を通して、様々な問題や壁を乗り越え、自分と向き合い、人間的成長を遂げるための場所だと思う。
関学ならこの大学サッカーを更に良くできると本気で思った。
だからこそこの一年間、自分の全てを賭けてやってきた。
結果が出ず、上手くいかないことばかりだったかもしれない。一つ壁を乗り越えると、またすぐに次の壁が立ちはだかる。まるでそれは、頂上の見えない山登りのようだった。それでも、諦めてはならない。自分や仲間の力を信じてやり抜く。弱い自分と向き合い、乗り越える。このサイクルを今まで何百回、何千回と繰り返してきただろう。辛いと思ったことはほとんどない。むしろワクワクした。この壁を乗り越えた時、仲間たちと観る景色はどんなに素晴らしいものか。そんなことを考えると楽しくて仕方なかった。
あの第四フィールドで、暑かろうが寒かろうが、本気の真剣勝負でするサッカーを成山監督の下で出来た事が幸せだった。ミーティングで、熱い言葉でぶつかり合い、喧嘩出来たことが嬉しかった。チームの様々な活動を全部員と共有する事が楽しかった。頼りになるスタンドの応援を聞きながら、ピッチでプレーする事が生きがいだった。
だが、そんな事ももう出来なくなる。そう考えるだけで胸が苦しくなるし、何よりも辛い。
でも立ち止まってはいけない。
後輩達には、今年のこの経験を来年に繋げて、またチームを一から創り、全員で関学の強さを、そして素晴らしさをこれからもっと証明してほしい。
卒業していく自分は、これからの関学が今年の失敗や挫折を過程に変えるために、出来ることを探し続けて行こうと思う。そして、この関西学院大学サッカー部で学んだことや経験したことを、次のステージで活かさなければいけない。
最後にこれだけは言っておきたい。
関学の漢として、4年間戦えたことを誇りに思うし、自分は何より関学サッカーが好きだ。そして、これからも関学が大学サッカーを代表するチームになっていくと、心の底から信じている。
4回生 米原祐