2018-3-7
“覚悟”とは”犠牲の心”ではない(森本実言)
私は現在サッカーをしていません。プレーヤーをやめることになりました。しかし、”犠牲の心”ではなく”覚悟”をもってプレーヤーをやめました。
皆さんは「森本実言」という人物にどのようなイメージを抱いていますか?さまざまなことが挙げられると思いますが、おそらく共通しているのは”サッカーをしていること”ではないでしょうか。まさしくその通りで、これまでサッカーをしていました。小学3年生の頃に毎日遊んでいた友達に誘われ、地元のサッカーチームに入ったことで私のサッカー人生は始まりました。私のパーソナリティの大部分はサッカーを通じて形成されたといっても過言ではありません。しかし、二年間の大学サッカーを経て、ある変化が訪れました。
私は自己承認欲求が強いです。一つの行動をとってみても自分のためかどうかよりも、他者のためになるかどうか、を基準に行動していました。幼少期から相手の顔色ばかりを伺い、他者から嫌われないように、気に入られるように、ということばかりを気にしていました。ただ素の自分でいることでさえ勇気が必要でした。このように生きてきたため、人と深く関わりすぎないように一定の距離を保つようになりました。これではいけないと思いながらも、改善する術が分からず生きてきました。これが「森本実言」という人間です。
このような私が変化することとなったきっかけが、先日行われたコンダクターの選考です。関学サッカー部では、3回生になる時期に学年でミーティングを行い、コンダクターを選考します。選手を辞めることになり、学生として選手を指揮する役割を担う役職をコンダクターと呼びます。
私はコンダクターになりました。しかし、初めは”犠牲の心”から選んでいました。自分が向いている、周りの期待に応えたい、自分がやらなければ裏切られた気にさせてしまう、などばかりを考えていました。覚悟がないままやろうとしていました。またも他者の目を気にする自己承認欲求の高い私が姿を現していたのです。
こんな自分に気がつき、指摘してくれたり助言してくれる仲間がいました。私たちの学年リーダーを務める宅野海里に、「本当に自分のためなのか?どこか犠牲になろうとしている気がする。」と言われました。関学スポーツ編集部の友達に、「自分がしたいって気持ちがないとしない方がいいよ。」と言われました。今年度の主将である藤原樹さんに、「自分のために決断しなければ苦しい時に頑張れないぞ。」と言われました。これらの言葉をかけられ、このままではこれまでの自分と同じになると思い、何度も何度も考えました。何度も何度も悩みました。
ある日、気がつきました。それは、私の自己承認欲求が強く他者の目ばかりを気にしているのは、自分に自信がなかったということを。自信がありそうでなかったのです。そして、こんな自分を変えたい、と強く感じさせられました。自信を持ち、自分自身の価値を証明できる人間になりたいと思いました。長い間私の心にかかっていた霧が晴れたような気がしました。
2月1日。私は同期たちの前に立ち、コンダクターを志願しました。すると私が話している途中に涙を流してくれる仲間がいました。ミーティングの帰り道、泣いて抱きついてきてくれた仲間がいました。帰宅後、泣きながら電話をかけてきてくれた仲間がいました。そんな仲間の存在が私の”覚悟”を確固たるものにしてくれ、自らの意志でコンダクターになることを決意しました。
私とサッカーを巡り会わせてくれた親友。私がサッカーすることを応援してくれている方々。これまで出逢ったサッカー友達。これから「森本実言」がプレーヤーとしてピッチに立つことはありません。コンダクターとしてチームを支える側になります。
しかし、決して”犠牲”ではないことをわかっていただきたいです。決して関学サッカー部を酷なことをする組織だとは思わないでいただきたいです。自分のさらなる成長のために”覚悟”を持って決断し、自ら選択しこの道を選択しました。関学サッカー部にはそれだけの価値があります。そして、新しい「森本実言」として関学サッカー部に全力を尽くし日本一に導きます。
いつも一番近くで私を支えてくれた家族。普段は照れくさくて面と向かって言えないけど、これまで本当にありがとう。これからサッカーをしている姿を見せることはできませんが、コンダクターとして関学サッカー部を日本一に導く姿を見せていきます。
最後に、プレーヤーをやめたことは全く後悔していません。新しい道を拓けることにワクワクしています。”犠牲の心”でやめたとは微塵も思っていません。”覚悟”をもった新しい「森本実言」として、関学サッカー部での残された時間を生きていきます。
“覚悟”とは”犠牲の心”ではない。
男子チーム新三回生 森本実言