2015-4-10
ただ可能の限界を(荒井拓海)
チームスポーツをする以上チームを代表して試合に出られる人数は限られていて、レベルが高くなったりチームの人数が増えれば増えるほどその人数は一握りになります。これは否が応でも突きつけられるものであり、選手の宿命だと言えます。今までチームを代表して試合に出場していた自分は大学サッカーでこの問題に直面しました。試合に出場できない人はチームに貢献していないのか。存在意義は薄れるのか。これはサッカーをやる上で切っても切り離せないものでした。大学サッカーでの長い時間、目の前の練習や試合が自分にとって、もっと言うとチームに対してどんな意味があるのか納得できず、サッカーに対する情熱さえ失いかけました。
関学サッカー部を通じて出した結論は「Aチームで試合に出ることとCチームで頑張ることには同じ価値がある」ということです。どのカテゴリーにいても、たとえそれがどんなに小さな練習試合であっても、関学サッカー部を代表してチームを背負い最後まで全力で戦い抜くこと、行動規範の中に関学サッカー部に所属しているという誇りがあること、これは3回生のときC1チームの主将を経験させてもらい感じたことです。
Aチームで試合に出場する選手よりそうではない選手が圧倒的に多い中で”彼ら”が何を考え、どう振舞っているかでその集団の価値は大きく変わると思っています。そして大多数を占める”彼ら”の存在がチームを鼓舞し、チームの成績に直結することを今まで何度も見てきました。”彼ら”が真摯に取り組みやっていることはチームにとって目に見えない間接的なものではあるものの、チームへの貢献に直接的につながるものであると信じています。それが関学サッカー部の強さの真髄であると思っています。だからこそ今年度副将として一人ひとりが関学を背負ってやっていることを、学生主体で行う可能性を、関学サッカー部の魂を後輩に残していきたい。さらに強いものにしたい。そこに関学サッカー部で自分の学生サッカーを終えることの意味があるような気がしています。
こういうと自分がやっていることへの正当性を主張したいだけなのかもしれません。しかし、自分が集団にとって必要とされる存在に成長し、人から信頼され役割(ポジション)をもらうために人間性を高め続けることはこれから生きていく上で必ず必要とされるのではないでしょうか。それがサッカーをやる上で常々言われ続けてきた「サッカー選手である前に一人の人間であれ」のひとつの答えだと思っています。
中学生のときから必ず試合前に自分に言い聞かせている古代ギリシャの言葉があります。「わが魂よ、不死を求むることなかれ、ただ可能の限界を汲み尽くせ」刻々と近づいている引退まで持っているもの全てを出し尽くしたい。
4回生 荒井 拓海