部員ブログ
僕は小学1年生の時から今まで、サッカーを通して生きてきた。その中で、1つ大切にしていることがあって、これからも大切にしていこうと思っていることがある。それは、「今、出来ることを全力ですること」だ。これは、僕が小学生の時に所属していたチームの監督がよく言っていた言葉である。物事に取り組むにあたって大前提のことだと思うが、それが何よりも大切なことだと感じる。常に全力で取り組むことで自分の課題が見つかり、その課題に全力で取り組む。この繰り返しを積み重ねることによって人は少しずつ成長していくのだと思う。そしてそれによって大きな結果として伴えばそれはそれでいいと思う。もしそれで目標を達成できなかったり、いい結果が出なかったとしても続けること自体に意味があるのだと思う。
「今、出来ることを全力ですること」が大切だと述べた。しかし、何か目標があるからこそ、そこに向かって全力で取り組むことができるし、「自分はどうなりたいか」を明確にすることが何よりも大切であると思う。そこを見失ってはいけない。僕は、自分のためにサッカーをしている。決して人のためにサッカーをしているわけではない。自分のためにサッカーをして、その結果、関学サッカー部の「日本一」にC2という立場から貢献することが出来ればいいなと思っている。
もうすぐ大学に入ってから2回目の夏が終わる。ここまであっという間だった。それは大学生活がとても充実しているからだと思う。でも、もっともっと成長したい。いろんな人の話を聞いて、物事に対する考え方などを学んで自分のものにしていきたい。僕はまだまだ考えが狭く浅いし、考える量や質が低い。もっと広く深い考え方が出来れば、もっと成長出来ると思うし「なりたい自分」に近づくことが出来ると思う。口で言うことは簡単だ。もう一度自分の行動を見直して、自分に厳しくしていきたい。いい結果が出なくても頑張り続けることに意味があると述べた。でも、やはり目に見える結果で示したいし、結果にこだわりたい。「なりたい自分」になりたいと思う。サッカー面・サッカー以外の面の全てにおいても同じことが言える。自分のために頑張りたい。この先どうなるかは誰にも分からない。自分次第だと思う。だから、今出来ることに全力で取り組んでその積み重ねによって成長し、いい結果を出すことが出来ればいいなと思う。そして、その結果によって今までサッカーを続けさせてくれた両親や、今まで関わった人たちに恩返しが出来るようにしたいと思う。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
男子チーム 2回生 玉置裕一郎
二回の北村です。
今回僕はこの部員ブログになんで大学でもサッカーをやろうと思ったのかを書かせて頂きたいと思います。
僕は双子なのですが、その双子の弟が母にサッカーをやりたいと言って、じゃあ一緒にやりなと僕もついでに始めさせられました。小学生5年ぐらいでした。
その後中学、高校とサッカーをなんとなく続けてきました。別にそこまで本気だったわけでも無いのですが、普通に考えて、今までいろんな物を犠牲にしてサッカーに時間を費やしてきたのに、辞めたらもったいないと思っていました。
それは大学に入る時も同じでした。サッカーを続けるのが前提で大学を選びました。ただ、大学のサッカーはなんとなくで続けるほどそんなに甘くないと親や顧問の先生、友達など様々な人に言われました。なのでとても不安を感じていました。しかしその反面で、どうせなら中学や高校の時に全く手の届かなかった全国レベルのプレイヤー達と一緒にやってみたいという期待もありました。
今僕はこの関西学院大学のサッカー部に入り、サッカーを続けていますが、正直周りのレベルに全然ついていけず、日々の練習でもついていくのがやっとでとても刺激を受けています。しかし、後悔は全くしていません。むしろこの環境で出来ることを嬉しく思います。いつか、「お前は大学じゃ通用しないよ。」と言った友達を見返せるような選手になりたいです。以上です。ありがとうございました。
余談ですが、双子のもう片方は全く似ていません。背も10センチほど僕より高いです。
男子チーム 2回生 北村万宙
大学サッカーに挑戦してから2年半が過ぎた今、これまでの経験からその時の考えや心情を踏まえてどのように考えが変わったのか書いていこうと思う。
1年目。指定校推薦で入学した私は、ランテストに合格してC2チームからスタートした。徐々にカテゴリーを上げてもらい、夏以降はbチームで活動した。B2チームでIリーグ、関西の決勝トーナメント、BチームとしてIリーグ全国大会、さらにはIリーグ全国優勝まで経験させてもらい、凄く学びが多かった。Iリーグ全国では、グループリーグ3試合は出場なし、準決勝だけフル出場、決勝戦はベンチ外でスタンドから見ていた。人生で初めて全国優勝を経験した。先輩方や試合に絡んでいた同期などは涙を流しながら、喜んでいた。しかし、私は全く喜ぶことが出来ず、悔しさや自分はスタンドで何をしているんだろうという気持ちが自分の感情を埋め尽くしていた。他のカテゴリーの人達や学校の友達からも「おめでとう」などの祝福の言葉をかけてもらったが、素直に受け入れることは出来なかった。
しかし、大会期間中に同部屋のある先輩からの言葉に救われ、気持ちを元に戻し、この悔しさを自分のこれからの原動力に変えてくれた。その言葉を紹介する。
「『置かれた場所で咲きなさい』という本があります。私はこの本に色んな時に助けられました。怪我や試合に出られず、扱いが酷いと感じる時もあると思います。しかし、絶対に腐ってはいけません。腐るとこれまでの努力が水の泡になります。自分自身、腐らずやってきたつもりです。それでも、今思うと、もっと必死になっていればよかったと思う時があります。晃輔は、素直な心を持っていると思います。その心を忘れず、置かれた場所で咲いてください。これまでありがとう。」
この先輩は今一番チームのために考えてくれて、動いてくれている。その時はこの先輩が選手を辞めると決意し、この言葉を書いてくれたことを思うとこの先輩が日々必死にプレーしている姿を思い出した。このままじゃだめだ、もっとやらないといけないと心を突き動かされた。
2年目。この1年間はBチームで活動した。春先、Aチームに上げてもらったが1週間で落とされた。さらに、夏に足首の靭帯を4本も切ってしまう怪我もしてしまった。このような小さな挫折を経験しながら、年間を通して私はB2チームでIリーグを戦った。チームとしてIリーグ全国大会“連覇”を目標に掲げながら、関西のグループリーグさえも突破することが出来ずに目標達成とはならなかった。その後は地獄の走りや厳しい練習の日々だった。
3年目。やっとの思いでAチームで活動させてもらっている。プレシーズンでは、練習試合でもスタメンで使ってもらうことは一度もなく、今年もリーグ戦に出場するのは厳しいと感じた時もあった。自分の実力の無さをわかっていながら、自分以外のせいにして、言い訳をして、自分以外に理由も求めていた。この期間に色々考えた。そこでこの組織でよく耳にする「自分にベクトルを向ける」、「周りを変えるのではなく、自分を変える」という言葉を実践すべきだと考えるようになった。これまでは、人のせいや自分のせいでなければいいやと思って、やっていた部分があったように感じられる。これこそが成長の妨げとなっていた。このことに気づいてからは、試合で使ってもらえないのなら、使わざるを得ないくらい結果を出そうと自分に目を向けることができた。このような思いで練習に取り組んでいたことで神様がチャンスを下さったと思っている。神様は努力している者にチャンスを与えるとよく言うが、神様が見てくれているというよりはその努力している姿を1番見ているのは他でもない自分自身である。だからこそ、自分に自信が生まれ、結果を出せるようになるのではないかと思っている。そして、リーグ戦や天皇杯、関西選手権など多くの試合に出させてもらった。しかし、求めていた結果を出すことが出来なかった。私が試合に出させてもらうようになってから、失点が増えるたびに「お前が出たら、また失点する」、「また勝てないな」など言われることもあり、もの凄く悔しい上にそれだけ自分の実力がないことに対して、本当に情けなかった。大事な試合で負けたのはすべて私のせいである。リーグ戦も天皇杯も関西選手権も。応援してくれている人達には、本当に申し訳ないと思っている。
神様は乗り越えられない試練は与えない。そのようにして、これまでの結果を通して自分達が強くなるために、成長するためのきっかけを与えてくれている。これらの負けがあったからこそ、日本一になれたと言えるようにやっていかなければならない。これまでのサッカー人生や大学サッカーを振り返ってみても、その9.9割は辛く苦しいことで残りの0.1割で結果が出て喜びや幸せを感じる瞬間だったと感じている。関学サッカー部は日本一を目指している。そのために日本一を目指す過程でそのほとんどがきつく、辛いことであっても日本一を目指す覚悟を持っているだろうか。やり続ける意思を持っているだろうか。これからも自問自答していく必要があるし、部員全員がその覚悟を持つべきであると思っている。
まずは日本一になるためにすべきことをやる。そして、Iリーグ全国で感じた思いをしないでいいように、日本一になった時に私は必ずピッチに立っている。
部員ブログを書く機会を与えていただきありがとうございます。上手くまとまらなかったので、長くなってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
男子チーム 3回生 太田晃輔
今回部員ブログを書かせて頂くにあたり、何を書けばいいのかとても悩んだ。考えていると一番に「両親」が頭に浮かんだ。それほど私の人生とサッカーにおいて掛け替えのない存在なのだろう。
私の部員ブログで誰かに何を与えられるのか分からないし、何を伝えられるのかも分からない。また、いつ何時このような機会を得られるか分からないのであれば、下宿生でもなく毎日顔を合わせているのにおかしな話かもしれないが、普段言えないサポートし続けてくれる両親への思いを少し述べたい。
「末っ子はわがまま」その通りに私はなってしまった。兄と姉を持つ末っ子。わがままで尚且つ負けず嫌い。今まで両親に一番手を焼かせてきたことを自分でもよく分かっている。自分本位な人間でなんでも思い通りにいかなければ気に食わない。幼い頃からそうだった気がする。
「自分のために誰かが何かをしてくれる。」それが当たり前になっていたのかもしれない。
そんな中、兄の影響もあり小学2年生でサッカーを習い始めた。当時は運動神経も良く、すぐに上達していったことをよく覚えている。ただただサッカーが楽しかったということもあったが、上手にサッカーができて自分が中心になれるからこその楽しさだったのではないかと今では思う。
しかし、不思議と堪らなく嬉しかったのが活躍すればするほど両親が喜ぶことであった。ゴールを決めるたびに喜ぶチームメイトよりもスタンドにいる両親を探したことを幼心に鮮明に覚えている。FWをずっとしていたのもゴールを決めれば喜んでもらえるという単純な理由だったように思う。
自分本位な私が初めて誰かのために何かをしてあげたいと思えたのがサッカーであり、そしてその誰かが両親だったのだ。幼い頃から変わらない自分本位な部分がある中で、「両親を喜ばせたい」という思いが今でも変わらず私のサッカーへの活力になっている。
今まで13年間サッカーを続けてこられたのも両親のお陰であり、本当に感謝している。両親に限らず沢山の方々にお世話になった。その中でもサッカーを通して濃い時間を過ごしてきたのは両親であった。
大学に入ってからは公式戦に出られず、怪我に悩まされる時期もあった。しかし、変わらずサポートし続けてくれる両親をまたあの幼心に覚えている笑顔にしてあげたい。あと2年半の大学サッカーでどれだけのことを与えてあげられるだろうか。
この思いが私のサッカーへの活力であり、日本一を目指す原動力でもある。また、彼らの活力が私のサッカーを楽しむ姿であれば嬉しい。
男子チーム 2回生 三島涼風