部員ブログ

2019-10-12
全て(小林陸)

想い、感情を言葉にするのが苦手で、かつ卒論に追われてる自分が部員ブログを書くのは気が進まないが、せっかくの機会だし22年生きてきた中で18年もの時間を費やしたサッカーについて書いてみようと思う。

僕が思い出せる1番古い記憶にはすでにサッカーボールがあり(確かではないが)、思い出す記憶にはサッカーに関わるものが多い。サッカーは僕の人生の全てと言っても過言ではない。そのサッカーに今年で区切りをつけようとしている。
ブログを書いてと頼まれた日から、書いては消し、考えてもしっくりこない、何を書いてるか分からなくなる、そんなことの繰り返しであるが、なんとなく自分の中の「サッカー」がなんなのか分かってきた(気がする)。

小さい頃は無邪気にボールを追いかけてそれだけで楽しかったサッカーが、練習がきつい、試合に勝てない、上下関係に悩まされる、理不尽に苦しむ、そんな辛くて逃げたくなるようなことが増えてきた。逆に、一生繋がってるような友人や戦友、尊敬できる恩師に出会い、きついことに耐えるメンタリティ(いわゆる就活で言われるような体育会の価値的なもの)や試合に勝つためのチーム作りの知識なども身に付いた。これらが全てではなくほんの一例だが、そうやって自分が構成されてきて今の自分がいる。
今年でサッカーをやめる。ただサッカーが僕から離れることはない。なぜなら上記にも書いたように僕の全てがサッカーだからである。出会った人や身に付いたものがこれからも僕の人生の助けとなる。ただこれだけサッカーを想ってても、もしかしたらサッカーに対して僕の片想いかもしれない。才能はなかったし18年もやってて上手くなれずプロになれなかった。それでもこれからの人生、サッカーで構成された自分を軸に生きていくのである。サッカーをやめたのに切り離されることはない。

ここまで書いて、自分はこんなにメンヘラで未練たらしいのかと思うくらい、サッカーに対しての想いを書いてきた(まだまだ足りないくらいだが)。ただそれでもこうやって自分の想いを書くのは最後だし、読んでくれた部員にいじられるのを覚悟でもう少し想いを書く(長くなるけど読んでください)。

こんなにサッカーが自分を構成してると言いながらも、本気でやるサッカーから離れるのは寂しいものである。小学校、中学校、高校と各ステージの最後は全て負けて終わってきた。もしかしたら諦めずに社会人サッカーや海外に留学してでもサッカーを続けることで夢に見たプロサッカー選手になれるかもしれない。しかしプレーをしない決断をした。チームの一員としてサッカーをするのは最後である。最後くらい笑って終わりたい(嬉し泣きはあり)。残り数ヶ月、とてつもなく濃い時間にしていきたい。僕の出来ることは全てやるつもりである。残りの今シーズン、関学サッカー部、関わってくれる全ての人で日本一に向けて一歩ずつ進んでいこう。

男子チーム 4回生 小林陸

2019-10-11
万全の準備(坂東隼)

今回部員ブログを書くにあたって、簡単に私の今までのサッカー人生を振り返ろうと思う。

私は保育園年長の頃から様々なクラブチームに所属し、サッカーを続けていた。しかし、小学5年生になるとクラブチームをガンバ大阪ジュニアの1つだけに絞りプレーすることとなった。だが、このチームではいつもスタメンで試合に出られていたわけではなかった。小学6年生になるまで、試合に出られたり出られなかったりを繰り返し過ごしていた。
中学生になると千里丘FCに所属した。ここでもコンスタントに試合に出続けられるわけではなかった。Bチームで過ごす時間も長く、浮き沈みの激しい三年間となった。
高校は、履正社高校に進学した。ここでの1年目は、幸いにもインターハイ予選のメンバーに入ることができた。しかしここでも、より上を目指すぞと思っていた矢先すぐに怪我も重なりBチームに落ちてしまった。その後、3年生になるまでは、たまに上のチームに絡めたもののすべてのチャンスを自ら無駄にしてしまい、特に変化のない期間となった。そして3年生になりやっと試合に出場することができた。順調にインターハイ予選を勝ち上がり、全国大会目前のところまでたどり着いた。だが、そこで負けてしまった。大会が終わると真っ先にスタメンを外れた。しばらくするとまた試合には出場するようにはなれたのだが、高校最後の大会である高校サッカー選手権大阪予選決勝で不甲斐ないプレーをしてしまい途中交代し、そのままチームは敗退することとなった。

大学に入学する前、このように自分のサッカー人生を振り返ってみた。振り返ってみると述べてきたように良い印象ではなく、後悔してきたことが数多く浮かび上がってきた。そう思った私は、関西学院大学サッカー部に入部して、常に上を目指し続け、プレーしていた。すると、運良くステップアップしていくことができた。心と身体の準備が整っていたからそうなれたのだと思う。
2年目に入ると、トップチームに合流しプレーしていた。正直ここまで順調であったことが不思議であったのだが、リーグ戦があと少しで始まるという時期でもあったため、試合に出られなくても全力でプレーしようと思い準備していた。しかし、怪我をしてしまう。その2日後にはリーグ戦が始まった。プレーできない自分は応援で貢献するしかないと思い精一杯声を出し応援した。応援していると、ピッチで闘っている同級生や先輩方の姿がとても輝いて見えた。私は焦っていた。リハビリに取り組み、少しでもはやくチームに合流したかった。そして、怪我が順調に治っていき、復帰目前に部分練習に参加していた。その練習でまた同じ場所を怪我してしまった。何も考えられなかった。はやく復帰したいという気持ちが先走ってしまっていた。自分の準備不足であった。しかし、もう切り替えるしかない。そう思った私は、またリハビリに取り組んでいた。その間チームは関西学生リーグは上位につき、天皇杯も勝ち進んでいた。もし、復帰したとして、このチームに入り込んでいけるのかという不安を抱いていた。この不安とともに私は復帰してしまい、チームに合流した。すると、復帰してまもなくBチームに落ちた。また、準備不足であった。志が低いままでチームに合流してしまったのだ。こんな気持ちのままでチームのプラスになるはずはなかった。サッカーはチームスポーツであるが、チームが良くなるためには大前提として、個人の高い向上心が必要である。私にはこれが足りていなかった。

現在、私はB2チームにいる。このチームの特徴として、4回生が少ないこともあり、まとまりが弱く上手くいっていない時にすぐに崩れてしまうことが挙げられる。しかし反対に、まとまりさえあればとても強いチームになると感じている。また、BチームはAチームにもCチームにも大きな影響を与えられるチームである。良い影響を与えるのか、悪い影響を与えてしまうのかは自分たち次第である。
そのため、Bチームとしては、もうすでに後半戦が始まっているIリーグを勝ち抜き全国大会優勝を目指しAチームに入り込んでいける人を増やしていきたい。これを達成するために、課題である、チームとしてのまとまりを大切にしていきたいと私は考えている。
これを達成するためには個人としての闘う準備も大切である。私にはもうより上を目指しプレーしていく志も、そのため全力でサッカーに取り組んでいける身体もある。全力でプレーしても目標は達成できないかもしれないが、もう後悔はしたくない。準備はすでに整った。全てを達成するため、私は全力で闘い続けていく。

男子チーム 2回生 坂東隼

2019-10-10
一番欲しいもの(村西空)

私は小学校一年生の頃から大学生になった今もなおサッカーを続けている。生活の中心にはサッカーがあり、ほぼ毎日ボールを蹴ってきた。サッカーと共に人生を歩んできたといっても過言ではない。しかし、こんな生活もあと3ヶ月で終わってしまう。私はすでに会社への就職が決まっているので、今後本気で「勝利」にこだわるサッカーをすることはないだろう。

この長いサッカー人生が終わる前にどうしても欲しいものがある。それは、「日本一」という結果だ。これまで16年間サッカーをしてきたが、一度も全国大会のタイトルをとったことがない。「日本で一番」の景色はどのようなものだろうか。獲った先に何が見えてくるのか。未知ではあるが、とにかく今一番欲しいものは?と聞かれると真っ先に思い浮かぶのが日本一である。私はもともと欲がある方ではなく、あれがしたい、これが欲しいといった欲求は普段の生活ではほとんどない。しかし、「日本一」という称号だけは喉から手が出るほど欲している。これには理由がある。

「感謝を体現」したいからだ。

今、自分がこの関学サッカー部でプレーできているのは周りの人達の支えがあったからこそだ。毎日トレーニングして共に高め合う仲間、私の勝手なわがままを許してサポートしてくれる両親、自分に期待してくれている恩師、歴史を築いてくださったOBの方々、様々な人の多様な思いを知っているからこそ、1日1日に尽力する義務が私にはある。このような人達の想いに報いるには結果を残すしかないと思う。ただサッカーを16年間頑張ってきましたといっても、それは自己満足になる。そうならないためにも一つ一つの結果にこだわらなければならない。幸い、今自分はBチームに所属しており、Iリーグの全国大会で結果を残す機会がある。なんとしてでもこのIリーグで日本一になる。そして、Aチームで日本一になる。正直、今の時期から上がることはほとんどないし、サッカーが上手くなることもほとんどない。今の自分の立場を知っている人からすれば、笑われる野望であるが、引退する最後の一瞬までこの野望は消さない。「言葉は言霊」父の受け売りの言葉である。無茶なことでも自ら口に出し続けることで、それが現実に変わっていく。この言葉を信じ、残り3ヶ月全力を注ぐ。

全員で笑って「日本一」を成し遂げるその日まで。

男子チーム 4回生 村西空

2019-10-9
出会い(吉岡晟弥)

私はふと、サッカーをしていなかったら自分は今どうなっていたのかと考えることがある。

父と兄がサッカーをしていたことからサッカーをし始めた。小学3年生までは公園で友達とボールを蹴ったり、リフティングをしたりするだけで本当に楽しくて毎日のように公園でサッカーをしていた。しかし、それだけでは満足することができず、両親に頼み込み、小学4年生の頃にサッカーを習い始めた。11対11でやるサッカーの試合は本当に楽しく、点を決めた時にみんなが喜びながら集まってくる感覚がすごく好きだった。

中学生の頃は小学生の頃に出会ったチームメイトと共に地元のクラブチームに入った。そのクラブチームのコーチのおかげで自分はサッカーの本当の面白さを知ることができた。考えてプレーする楽しさ、高いレベルでやるサッカーの楽しさ。このコーチに出会えたからこそ私は今でもサッカーを続けようと思えたのだ。この頃、初めて兵庫県トレセンに選ばれ、自分よりも遥かに上手い選手達とプレーすることができた。そのおかげで自分もレベルアップしていることを実感でき、本当にサッカーが楽しかった。

高校生の頃はチームの勝利のために大声で応援してくれるチームメイト、本気で勝利を目指し、毎日遅くまで自主練に付き合ってくれるチームメイトに出会うことが出来た。高校3年生の頃にはインターハイに出場することが出来た。インターハイでは現在関学サッカー部で活躍している山本悠樹率いる草津東高校と試合をした。結果は何もすることができず敗北。ここまでレベルが違う選手に出会ったことがなかったことから変な感覚だったことを今でも覚えている。

大学生になってからは正直あまりいい思い出はない。1回生の頃、Iリーグの全国大会のメンバーに選ばれるものの1試合もベンチ入りすることもなく終わった。2回生の頃は、Iリーグに出場することがなかなか出来ず、ゴールもなかなか取ることが出来なかった。3回生の頃は、Iリーグに出場し、ゴールも取ることが出来ていたが決勝トーナメントにすら行けず終わってしまった。そして4回生になって、シーズンスタート時はAチームに所属することができ、高いレベルでサッカーをすることが出来たが、なかなか結果を出せずBチームに落ちた。BチームではIリーグで試合に出場することが出来ていたが、怪我をしてしまい1ヶ月半程サッカーをすることが出来なかった。

正直サッカーをしていて苦しいことの方が多かったと思う。しかし、自分が苦しい時、周りにはいつも自分を助けてくれる人がいた。なかなか結果が出せずにいた自分に優しく声をかけてくれた先輩。生意気でめちゃくちゃいじってくるけどサッカーになると頼りになる後輩。そして本気でぶつかり、本気で日本一を共に目指し続けてきた同期。自分がここまで頑張れるのはこれまで出会った人達のおかげである。サッカーをしてきたからこそ、このような大切な人達に出会うことが出来た。あと3ヶ月程で私のサッカー人生は終わろうとしている。正直サッカーのない人生はどのようなものなのか見当もつかない。しかしこれだけは分かる。自分にとってサッカーをしてきたこの時間は、一生消えることのない大切な時間であるということだ。

最後に自分とサッカーを巡り合わせてくれ、今でも心から応援してくれる家族には本当に感謝しかない。そしてここまでの人生で大切な人に出会わせてくれたサッカーにも本当に感謝している。残り僅かなサッカー人生、日本一を取るために全力を尽くし、走り切りたいと思う。

男子チーム 4回生 吉岡晟弥

2019-10-8
勝つことの喜び(上田寛)

関学サッカー部に入部して約1年半、様々なことを考えながら過ごしてきました。サッカー(部活)において、プレー面以外について考える機会は高校時代までほとんど無かったため、とても新鮮で刺激的な素晴らしい環境で生活できていることに感謝しています。

そんなこれまでの大学生活の中で、個人として最も考えさせられたのは、「なぜ大学でサッカーをしているのか」ということです。小中学生の頃は、プロになることを目標にただひたすらにサッカーに取り組んでいました。しかし高校生になると、少しずつ理想の自分と現実とのギャップを感じるようになりました。プロになることの難しさをようやく理解し、自分の現在の成長速度では確実に夢が叶わないことを悟りました。ならば大学でサッカーをする意味があるのかと、体育会に入るかどうかを迷った時期もありましたが、とりあえずあと4年間は頑張ってみようと思い入部を決めました。その時は大した覚悟も無かったように思います。
しかし入部後、色々な先輩や同期の考え方に触れるうちに、プロになること以外にもサッカーを続ける目的を見出だすことができました。それは、勝つことの喜びを味わうことです。大学では、日本一にかける思いやそれに対する取り組みの質が、これまで所属してきた組織と比べてとても高く、1試合勝つために注ぐエネルギーの量が全く違いました。単純に普段のトレーニングの質も想像以上でしたし、チームメイトは皆サッカーが上手く、ついていくだけで必死でした。さらには、ただ練習や試合を頑張るのではなく、なぜ日本一になりたいか、その先に何があるのかまでチームとして考え、議論する組織に衝撃を受けました。
それでも勝てませんでした。昨年のAチームは日本一に届かなかったし、所属するBチームに至っては、Iリーグの関西地区の決勝トーナメントにすら進むことができませんでした。勝つことの難しさを痛感し、だからこそそれに伴う喜びも大きいことを知りました。

このような昨年の経験から、私はチームの日本一に対して、勝つことで貢献したいと思うようになりました。まずは自分が出場するIリーグの試合に勝つこと、さらに個人として結果を残すことでAチームのメンバーに刺激を与え、関学サッカー部が勝つための力になれればと思います。そして、そこで得られた喜びを仲間と分かち合いたいです。もちろん選手としてプレーする以上、自分自身が少しでも上のレベルを目指すという気持ちは忘れないようにしたいですが、あくまでそれは目の前の勝利を積み重ねた結果ついてくるものとして、1つ1つの勝負にこだわりたいです。
ありきたりではありますが、それを突き詰めてサッカーに取り組むことで、自分の価値を証明していきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

男子チーム 2回生 上田寛

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