部員ブログ

2016-2-10
まだ大人になりたくない (武田 侑也)

部員ブログといえば、難しい言葉を並べたり、うまく表現しなければいけないというプレッシャーみたいなもの(去年の四回生が作った)があると思います。なので、その考え方を払拭するために、わかりやすく自分の思いをそのまま書きます。

夢を追い続けて生きている人はすごく魅力的です。私は大きな夢と希望を持ってサッカーを始めました。小さい頃は純粋にサッカーを楽しみ、大人になったらプロサッカー選手として有名になり、スペインリーグでプレーするという、今では考えることのできない大口を叩いていました。これは私自身だけでなく、おそらくみんなも似たような大人像を描いていたと思います。小さい頃は自分に絶対的な自信を持ち、俺なら何でもできると考えていました。

しかし、年を重ね、大人に近づくにつれて、その考えは薄れていきました。自分よりサッカーが上手い人、頭がいい人、どこか自分より優れている人に出会いました。そこで初めて自分の弱さが見え、小さい頃は100%降り注いでいた希望の光が半分くらい雲に覆われました。そのときに色んな理由をつけてサッカーを辞めた人や、夢を諦めた人をたくさん見てきました。

では、なぜ自分はどこがで辞めれば良かったサッカーを大学生にもなって、本気で続けているのだろうか。周囲が続けているから。家族が応援してくれるから。サッカーが好きだから。理由はもちろんたくさんあるかもしれません。ただ一番根っこにあるものは小さい頃からの夢であったプロサッカー選手への想いから離れられないのだと思います。

現実を考えて見ると、95%は雲に覆われ、ほぼ暗闇の中にいると言えます。希望の光はほんの少ししか見えていません。ただ関学に来て培った、最後まで諦めない精神や辛い時、苦しいときに何ができるのかを追求して、残り5%しかない希望の光を掴みにいきたいと思います。今年一年間、小さい頃の自分を思い出してサッカーを楽しみ、本気で取り組んでいきます。

4回生 武田 侑也

2016-2-5
クラブ以上の存在(安達大樹)

「なんでそんなに犠牲にならないといけないの?」「最後くらいトップチームで出てるところが見たかった」「ここまで続けたのに辞めるなんてもったいない」ここ数ヶ月、プレーヤーを辞めて主務になったことを伝えると、決まってこう言われた。その度に、選手として恩返しができなかった自分の無力さを痛感させられた。でも、何よりも悔しいのは関学サッカー部の主務という役割をどこか否定されたような気がすることだ。

主務になるという形でサッカーを辞めるなんてほんの最近まで考えもしなかった。選手としてのプライドももちろんあった。「来年、トップチームに上がって少しでも試合に絡んで、両親に喜んでもらおう。」それがサッカーをさせてもらったことに対する恩返しだと思っていた。でも、心の中のリトル安達と大好きなサッカーに嘘をつかずに本音で向き合った時、自分が最もチームに貢献できる形は主務だった。

選手だったころはボールを蹴ることにこだわり、ただただサッカーと向き合っていた。その当たった感触が心地よくて、どうやったらボールがまっすぐ飛ぶのか、どうやったらボールが曲がるのか、たくさん考えてきた。ボールは正直で蹴った方向に飛んでくれる。
しかし、主務になって向き合わなければならないのはチームになった。この大きな組織は必ずしも正直ではないし、導く方向へ進むとは限らない。きっと、うまくいかないことの方が多いのだと思う。しかしそんな甘いことを言ってる暇はない。本気の集団の可能性を引き出すためにとにかくやるしかない。選手の環境を整えることは主務である僕がやるべき仕事だが、それ以上にその環境の中でひとりひとりを生かすことが最大の役目だと考えている。みんなには自分がもっとも生きるところで輝いてほしい。一見すると地味で事務的な主務の仕事の中で、チームマネジメント、チーム作りにも自分の色を出していく。試行錯誤を繰り返して今年のチームに相応しい新しい主務の形を見出したい。

主務になるにあたって気付いたことは、プレーすることに固執しすぎるあまり、自分の可能性を狭めていたことである。まだ僕はサッカーをしている自分しか知らない。主務としての1年後の姿なんて想像がつかない。いわばその可能性は自分次第だ。人として成長し、充実感や喜びを得て、恩を返して、幸せに生きる。本当はその一つの方法としてサッカーがあるべきだ。

部員のみんなにはもう一度考えて欲しい。
進路選択には必ずサッカーがあったと思う。みんなはサッカーしか知らない人間だと思う。これまでの時間のほとんどをサッカーに懸けてきたと思う。サッカーが選んでくれた人生だから、サッカーが導いてくれた人生だからこそ、追い求めてほしい。サッカーを通して、今年1年で関学サッカー部の一員としてこのチームに何を残せるのか。その手段は点を取ることなのか、ゴールを守ることなのか、声を出すことなのか、誰よりも早くグランドに来ることなのか、相手を分析することなのか、ゴミを拾うことなのか。何が正しいのかはわからない。ただこれだけは言い切れる。やると決めたことに、とことんこだわってやり続けることがきっと勝つべき理由になる。「これだけやったんだ」という自信を胸に、みんなでもう一度日本一を獲りにいこう。

そして、2016年12月までにA・B・Cチームで全てのタイトルを獲る。
関西学院大学体育会サッカー部は十冠を達成する。
勝つことで関学サッカー部の正当性を証明する。
それが関学の哲学だから。

新4回生 安達大樹

2016-2-3
日本一へのこだわり(米原 祐)

日本一とはなんだろう。
昨年、二度の日本一を経験して、よりそれについて深く考えるようになりました。

例えば、日本一になることで、個人が急激に成長したり、変化するのではないのか?
しかし、そんなことはなく、日本一を達成した次の日の朝は、いつもと変わらない普通の朝であり、また自分の中でも大きな変化や目に見える変化はありませんでした。

ではなぜ、我々は日本一にこだわり、全員がその目標を目指す中で、様々なことを犠牲にしてまで取り組み続けるのか。

その理由は、証明する為です。
チームが、そして自分自身が、日本一のサッカー部としての取り組みを結果として証明する為に、日本一になる必要があります。
先程も言った通り、日本一になっても何かが貰えたり、個人の技術のレベルが大幅に上がるわけではありません。

しかし、一つ変化することもあります。それは、日本一になる為の取り組みが正しかったという事が自信に変わることです。
日本一になることはもちろん大切です。しかし、それよりも大切なのはその過程であり、我々関学サッカー部はその過程にこだわり、学生サッカーの持つ可能性を広げる存在でなければいけません。

私は今年主将としてそれらを体現していきます。
しかし、私一人の力は微々たるものです。いつも周りの人々に恵まれ、助けられて生きてきました。このことは今までの人生の中で何よりも実感しています。また、関学サッカー部も同じように、先輩方が代々築いてきた素晴らしい歴史があるからこそ、今の関学サッカー部があり、私たちがあります。支えてくれてる人への感謝の想いを常に忘れず、日々、真摯に取り組んでいきます。

部員一人ひとりの長所を活かし、今年のチームにしか出来ない取り組みをしていきたい。そして、日々の小さな積み重ねの中で自信をつけ、その自信を確信へと変え、日本一になる為にやり残した事がないかと自問自答し、こだわり続ける一年間にしていきます。

新4回生 米原 祐

2015-12-19
大きな背中(米原 祐)

私はいつもその大きな背中から学んでいた。それはピッチの上ではもちろん、ピッチの外でも同じだった。練習でも試合中でも、その男はいつも隣で誰よりも声を枯らし、誰よりも体を張り、誰よりもチームの為に全力だった。それはサッカー外の所でも変わらなかった。誰よりもチームの為に時間を費やし、チームを一つにするためにいつも試行錯誤し努力を惜しんではいなかった。

私はそんな男の姿を一年間ずっと見てきた。苦しい時もあっただろう。重圧やプレッシャーに押しつぶされそうになった時もあっただろう。だが、彼は人に弱音を吐かず、いつも大きな背中で私たちを引っ張ってきた。
そんな彼と一緒に戦う試合も、今日が正真正銘最後になってしまった。

いつも試合のキックオフの前にやる決まりごとがある。それはメンバーと円陣を組んだ後、最後に彼と握手をし「よし、行くぞ!」と気合いを入れることだ。これをする事で私は自分を奮い立たせることが出来る為、とても好きだった(変な意味ではない)。

しかし、それが出来るのも今日で最後である。寂しさはもちろんあるし、正直まだまだたくさん近くで学びたいこともあるが、そんなことはもうどうでもいい。私にとって今重要なのは、これまで誰よりも苦労をし、自分の事よりもチームの為にやってきたこの男に、もう一度優勝カップを掲げさせることだから。今までたくさんのことを学ばせてもらった恩返しとして、私にできる事は、今日の試合で私の全てをぶつけることだと思う。

今年それらが実り、最高の結果を残せば、おのずと来年にかかるプレッシャーや責任は大きくなるだろう。しかし、それは乗り越えられない壁ではない。なぜなら関学サッカーの求めるプロセスは、サッカーだけが上手い集団ではないからだ。サッカーはもちろん、サッカー以外の活動でも、主体性を持ち、自らでやる意義を見出し、自分が置かれた立場で常に全力で取り組み、学び、成長しなければいけない。それが出来るのが大学サッカーの醍醐味であり、関学サッカー部の素晴らしさである。

そして、このことが正しい道だと証明してくれているのが、今年の4回生を中心にした関学であり、これからも引き継いでいかなければいけないことだと思う。更にそれらを引き継ぐ為には、来年主務になる安達という存在をはじめ、AからCまでの信頼できる選手達、心強いスタッフやマネージャー達と共にまた1から進んで行くことが大切である。

だから今年最高の結果を残し、チーム全員の取り組みや苦労が正しかったと証明しよう。そして来年最高のスタートを迎えられるよう、今日必ず関学が勝つ。

そして、最後に優勝カップを掲げるのは井筒陸也だ。

3回生 米原 祐

2015-12-19
俺が獲る(小林 成豪)

準決勝の明治戦、終わった後ロッカールームでふと横を見るともじゃ(森信太朗)が泣いていました。前を見ると井筒主将が泣いていました。成山監督が泣きそうになっていました。
そうです、決勝に進んでも我らのエース呉屋が出場停止で出られないからです。その時ふと昔の事を思い出しました。

去年のインカレと今年の総理大臣杯、自分は両方とも準決勝でイエローカードをもらい決勝戦出場停止でした。しかし、準決勝が終わった後のロッカールームに戻っても誰も泣いている人はいませんでした。少し悲しいです。それと同時にやっぱり呉屋の力はすごいなと改めて感じました。

彼とは小学校6年生からの付き合いで、高校では同じチームではなかったものの、9年間一緒にサッカーをしています。あいつが点を決めるたびに、活躍するたびに、俺は悔しい気持ちでいっぱいでした。あいつを越えるために努力してきました。今の自分がいるのは間違いなく彼のおかげです。昔は練習中に殴り合いの喧嘩をして成山監督に怒られた事もあります(その時は自分が勝ちました)。今思えば、サッカーでお互いに正面からぶつかり合える最高の関係だったなと思います。

ついに今日決勝戦です。
あいつの悔しさは自分が一番わかっている。だからこそあいつのために俺が点をとらないといけない。今まで支えてくれた、同期のためにも、可愛い後輩(裕大と俊介と哲朗を除く)のためにも、成山監督のためにも。
最後みんなで笑って終わろう。
そのために俺が獲る。

4回生 小林 成豪

Copyright(c) 関西学院大学体育会サッカー部 All Rights Reserved.