部員ブログ

2015-12-13
倍返しだ(小野 晃弘)

去年の流経とのインカレ決勝、自分は確かにスタメンでピッチに立っていた。インカレメンバーに入るか入らないかの立ち位置であったであろう自分が。決勝まで1秒も出場していなかった自分が。この事をインカレが始まる前に想定した人がいただろうか…、多分いないと思う。自分自身も考えられていなかった。試合に出られるチャンスを与えてもらって、もちろん気合いが入ったし、準備もした。

試合は0ー1負け

こんな付け焼き刃の準備で取れるほど日本一になる事は、甘くはなかった。怪我人・出場停止者がいなければ結果が変わっていたかもと考える人もいるだろう。悔しいし、自分がすごく情けなかったし、去年の4回生に申し訳ないと思う。

インカレ決勝で敗れたところからスタートした今年のチーム。

キャプテンの井筒がよく言っていることがある。
『総理大臣杯を優勝した時も、他人事のように感じている部員や心の底から応援できていない部員がいたんじゃないか。部員全員が日本一に本気で貢献したと、胸張って言える関学サッカー部を作りたい』

そんな想いで、井筒・黒川が中心になって、そこからチームを変えてきた。チームを引っ張ってきたこの2人の想いを体現したい。
そのためには、部員全員の力がいるはずだ。

体現するラストチャンスのインカレ。

今日、準々決勝・流経戦

最高の準備ができた。

がんばろう。

4回生 小野晃弘

2015-12-12
決着 (呉屋 大翔)

僕は”流経”という言葉を聞くと、今でも胸の中がゾワっとします。それは高校時代の流通経済大学付属柏高校での地獄(今あなたが想像した1.5倍は地獄)のような3年間を経験したからなのか、大学3回生のときに、2回ある全国大会でいずれも流経大に敗れているからなのか。どちらにしてもゾワっという気持ちは自分の中の拒絶反応のようなものだと思います。

よく「なんで流経大に行かなかったの?」という質問をされます。僕にも分かりません。流経大に行く選択肢もギリギリまであったし、3年間の地獄(電柱とよく競り合う)を共に乗り越えた仲間と、まだサッカーをしたいという気持ちもありました。

でも、僕は最後に関学を選びました。高校時代の公式戦の総得点は4ゴールに対して、大学での公式戦総得点は152ゴールに増えました。僕を変えたのは環境?筋トレ?練習メニュー?どれも僕自身にそれほど大きな影響を与えたとは思っていません。

では何が僕を変えたのか。”流経”です。高校時代に試合に出られなかった悔しさ、同期や後輩たちの活躍、そして去年の2つの敗戦。この全てが僕の大学4年間の原動力であって、”流経”という存在が僕を成長させてくれました。そして4回生にとって負けたら引退のこのインカレで、また流経大と対戦します。これ以上の最高のシチュエーションがあるのでしょうか。ないでしょう。ゾワっという気持ちを、”流経”に対する感謝の気持ちに変えるために、流経大に挑む。

この一戦で僕は”流経”(地獄の3年間を含む)に決着をつける。

4回生 呉屋 大翔

2015-12-11
4回生、まだ引退させへんから。(森 俊介)

こんにちは!!!
人間福祉学部所属の森俊介です!インカレに向けて自分の気持ちを書きたいと思います!

僕は小学1年生の頃からサッカーを始めました。毎日父と公園でサッカーをしていました。上手く行かないときはよく泣いていました。これまで本気で取り組んだものはサッカーしかありませんでした。

僕はサッカーが好きです。
試合中相手をかわす事が好きです。
カットインでゴールを決めることが好きです。
90分間で相手に勝つのが好きです。
でもそれ以上に、試合に勝利した後に、スタンドで最高の笑顔で迎えてくれる関学サッカー部のみんなが大好きです!

19日に全員で笑って帰れるように、輪を作って喜びあえるように、何が何でも優勝しよう。日本一になろう。
みんなが声が出なくなるくらい応援したくなる凄い試合するから。
4回生のために、愛する関学が日本一になるために、この体の全てを捧げるから。

3回生  森  俊介

2015-12-10
関西学院大学サッカー部(槙島 隆介)

私は、最後の最後で「関西学院大学サッカー部」という組織の厳しさを痛感した。

リーグ最終節を無事勝利し、残すはインカレに向けて全力を注ぐだけだった。しかし、翌日Bチームとのダービーに負け、Bチームへの降格を告げられた。なぜ落ちたのか、理由はわかっていた。ただ単に自分に実力がなかっただけだ。しかし心の中に「4回生だから大丈夫、副将だから大丈夫。」という甘さがあったために動揺し、現実を受け止めようとしなかった。サッカーに費やす時間は山ほどあったのに、なぜ費やさなかったのか。練習終わりに自主練している仲間を横目に、何かと理由をつけグランドを降りていた自分が馬鹿だった。

だが、ここで腐り、チームのために頑張っている仲間を応援できないことほどかっこ悪いことはない。また、4回生だろうと幹部だろうと関係ないこの厳しさが現在の関学サッカー部の強さであり、日本一を目指す組織のあり方だと気付いた。

だから私は、この悔しい経験を無駄にしないためにも、今できることに全力で取り組み、部員150人を超える組織の幹部としてあるべき姿を見せたいと思う。

4回生 槙島 隆介

2015-12-10
負けじ魂(徳永 裕大)

この時期に部員ブログが回ってくるということは、期待されているということだろう。しかし私は器用なわけでもなく、頭が良いわけでもない。なので、今の想いを書きたいと思う。

私は負けず嫌いest(最上級)である。公式戦はもちろん、練習試合、練習の中の何気ないポゼッションやゲーム、とにかくサッカーに関しては負けたら悔しいし、もう負けたくないと強く思う。自分には関係なくても、ガンバユースの同期が活躍すれば悔しいし、もうすでに日本代表やプロの世界で活躍している同世代の人たちを見れば今でも悔しいし、本気で負けたくないと思っている。このことが良いことなのか、悪いことなのかは分からないが、私はこの性格が自分の中での一つの武器だと思っている。この気持ちがあるから、今日までサッカーをやってこられたのであろう。

そしてインカレを闘おうとしている今、私が思うのは(情熱大陸風)人生何十年、百何年とある中のこの短い4年間で、今の4回生と出会えたのは、つくづく運がいいということだ。この時代に産んでくれてありがとう。2015年体育会サッカー部は最高です。そして来年、周りからの期待も、求められるものも大きいと思う。しかしそんなものには負けない。なぜなら負けず嫌いだから。

3回生 徳永 裕大

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