部員ブログ

2015-12-9
伝える(黒川 瑞穂)

総理大臣杯で日本一になり実感したこと。あくまでも目標の日本一は目的の手段であり、日本一以上の価値はその奥にある。

あと4試合。この試合が関学の全てだ。今までのタイトルを全て剥奪されてもいいから(言い過ぎ)インカレのタイトルが欲しい。
普段あまり他のことに欲が出ない自分が、どうしてこんなにも日本一を獲ることに執着しているのか、少し考えてみた。

それは優勝しないと見られないものがあるからだ。

優勝した瞬間の成山監督の表情を見たい。
優勝した瞬間の井筒の表情を見たい。
優勝が決まり応援団の元へ駆けつけるAチームの選手の姿を見たい。
応援団が心の底から喜んでいる瞬間を見たい。

今年度のラストの大会。4年生みんなで考えたスローガンがある。「Keep Going ~驚きを普通に~」本当に今年に相応しいスローガンであったし、今もなおこのスローガンのもと行動しなければならない。
1.2.3年生はもちろん4年生は特にこの大会で成長し続けなければならない。やり続けなければならない。B.Cの4年生はなにをして成長するのか、プレーで貢献できるトップの選手はどうやって成長するのか。インカレという、学生がスポーツを通して成長できる場所を与えてもらっていることに対する感謝の気持ちと、大学サッカーを代表する集団にならなくてはならない責任を背負い、プレーでも応援でも振る舞いでも全ての面で関学らしさを発揮して欲しい。

とはいえ、スポーツの世界は厳しい世界である。なにをしてきても結果が全て。みんなの素晴らしさを伝えるためには日本一になるしかない。だから優勝する。

優勝して伝えよう。関学の素晴らしさを。

4回生  黒川  瑞穂

2015-11-20
私にとってサッカーは、遊びだった(棚田 威久海)

職業にならない限り、サッカーは遊びである。
私は、17年間、サッカーという遊びを続けてきた。こんなことを言うと、共にサッカーをしてきた仲間は怒るかもしれない、応援してくれている方は失望するかもしれない。自分たちとのサッカーは真剣ではなかったのかと、本気でサッカーに向き合ってはいなかったのかと。しかし、そうではない。遊びだったからこそ、真剣に取り組んできたし、本気で向き合ってきた。

私は、強要されてサッカーをしたことは一度もない。また、サッカーをしなければ生活ができないわけでもなければ、人間関係が築けないわけでもない。友達がいなくなることもなければ、所属するコミュニティがなくなるわけでもない。つまり、わざわざ選んで、好き好んで、サッカーをしてきた。だからこそ、私はサッカーが遊びだと考えている。では、なぜ、私は、数ある遊びの中からサッカーを選び続けてきたのだろうか。少し、考えてみてほしい。遊びを選択するとき、何を一番の基準とするだろうか。費用だろうか、物理的条件だろうか、もしくは、その遊びをすることによる成長度合いだろうか。違うはずだ。”楽しいかどうか”それが、一番の基準になる。

17年間、私のサッカーに対する姿勢の根底にあったのは、「サッカーが楽しい」そして、「もっとサッカーを楽しみたい」という、とても単純な想いだった。サッカーをすることによる楽しさは、他のどの遊びをも凌駕していて、何事にも代え難かった。そして、その楽しさは、自分自身がレベルアップしていく度に大きくなっていった。もちろん、レベルアップのための練習や競争は苦しかったし、辛かった。中学、高校時代には、弱小校に所属し、チームのことしか考えられない日々が続いたりもした。しかし、そんな時も、サッカーから離れることはなかった。何のために歯を食いしばって、何のためにチームのことで頭を悩ませてきたのか。答えは明確で、その方が楽しめるからだ。思い通りの場所にボールを止めて、思い通りの場所にパスができる方が楽しいし、試合に勝てる方が楽しいからだ。ただ、もっとサッカーを楽しみたい。それが、ここまでサッカーという遊びを続けてきた理由だ。

後一ヶ月と少し。そろそろ、サッカーという遊びともお別れだ。今になって思う後悔が少しだけある。大学サッカーを、もっと楽しめばよかった。思いっきり親の脛をかじって、思いっきり周りを巻き込んで、大学サッカーの意義や人間的成長なんて全く考えずに、もっと純粋に、ただサッカーだけを楽しめばよかった。神様はよく見ている。自分をごまかして、楽しくない大学サッカーを続ける理由を、無理やりサッカー以外のことに見出していた私に、怪我というプレゼントをくれた。おかげで、サッカーから離れる前に、自分がどれだけサッカーが好きだったのかに気づけた。

そういえば、私の好きな聖書の言葉にこんなものがある。「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙 二 4章18節)思い返せば、奇妙で、辛くて、誰よりも楽しんだサッカー生活だったと思う。

4回生  棚田  威久海

2015-11-18
追求し続ける (青木 健登)

私のサッカー人生は成功を収めたことも少ないが、あまり試練に出会ったこともなかった。高校までは中心選手としてプレーさせてもらっており、試合に出してもらえないことはなかったし、大怪我でサッカーをすることができないといった経験がなかったからだ。そして、関学サッカー部に入ってからも1年目はBチームであったが、2年目はAチームで呉屋君の背中を負いながらトレーニングをし、関西選手権や天皇杯のピッチに立たせてもらうことができ、充実した生活を送ることができていた。しかし、2回生の10月、インカレのメンバー入りを目標にトレーニングをしていた最中、膝に大怪我を負ってしまい、人生で初の長期離脱を経験した。これは人生で最初の試練であり挫折であった。この時自分を支えてくれた言葉がある。

「思い通りにいかない時が一番面白い。どこまでも追及しろ」

これは高校卒業の際に高校時代の監督から頂いた言葉だ。約半年サッカーができないといった今までの人生で味わったことのないフラストレーションの溜まる生活の中、この言葉の影響力は大きかった。この言葉によって怪我をしてしまったことをネガティブにとらえることなく、復帰する約6か月後の自分をイメージしながらリハビリを行うことができた。

しかし、正直なところ復帰してからの今シーズンは、個人的に納得していないし不甲斐なかったと思っている。目標であったAチームに戻ることができなかったからだ。ましてやBチームはIリーグで負けてしまい全国大会に行くことができなかった。しかし、このような思い通りに行っていない状況をどのようにすれば打開できるのか。これを追及することが自分の成長に大きくつながると思っている。
Bチームの今年の公式戦は終わってしまっているが、トレーニングできる時間はまだ残っている。この言葉を頭の片隅に置き続け、トレーニングがあることに感謝し、サッカーを追及し、来年はAチームで勝利に導くゴールを決める選手になる!

3回生 青木 健登

2015-11-13
ここだからできたこと(鉄田 悠貴)

私は入学してからAチームのすべての試合をスタンドから見てきた。高校3年の2月から大学の練習に参加し、運のいいことにすぐAチームに上げてもらった。その後、少し経ってからBチームに落ちたものの「こんなにすぐAチームに上がれたし、またすぐ戻れるだろう、4回生になるまでにはAチームで試合に出れるだろう」そんな風に思っていた。しかし、関学サッカー部はそんな考えの奴にチャンスが来るほど甘くなく、それ以来一度もAチームに上がっていない。

自分の思いとは裏腹になかなかAチームに上がれない中、他の大学の試合を見たり、他の大学で活躍している同期を見て、自分の力不足にも目を向けられず「俺も関学じゃなかったら試合に出られたのにな」なんてことばかり考えていた。また、学年が上がっていくにつれ、同じカテゴリーからAチームに多くの仲間が上がっていった。そんな仲間を見る度「なんで俺だけ」と思っていた。そして、その悔しさを上手くサッカーで表現できず、手を抜いたり、コーチの指示を無視することで、他の人たちとの違いを出そうとしていた。今考えると子供だったし、本当に多くの人に迷惑をかけてしまった。

しかし、そんな自分に対しても、何度も何度も正面からぶつかってくれた当時コーチをされていた前田さんや、腐りそうになった自分を救ってくれた先輩や同級生のおかげで、人よりすごくたくさんの時間がかかったが、嘘のない自分の弱さに向き合えるようになったと思う。

Iリーグも負けてしまい、私が今からAチームに上がり、インカレに出場するという可能性もほとんどないと思う。けれど私には関学サッカー部にまだまだ返しきれていない多くの借りがある。だから残り2か月、遅い足を思いっきり回転させてグランドを走り回り、大きな頭でチームの事を考え、音痴なことは気にせず喉がちぎれるくらいの大声でグランドの仲間に声援を送り、自分ができる事で恩返ししていきたい。

4回生  鉄田  悠貴

2015-11-11
挑戦し続ける理由 (難波 圭輔)

辛い時、苦しい時、逃げ出したくなる時、ふと『自分はなぜ挑戦し続けているのか』考えてしまうことがよくある。

私は、高校を最後にサッカーから離れようと考えていた。満足のいく結果で終えることができたわけではなかったが、それなりにやりぬくことができた。だから悔いはない。そう考えていた。

だが、大学では関西学院大学サッカー部に入部した。“なりゆきで”という言葉を使ってしまうのは良くないが、特別熱い志や大きな理由があったわけではなかった。
しかし、入部して自分の考え、覚悟の甘さに気づかされた。関学サッカー部は、部員一人ひとりが本気でサッカーに向き合い、チームのために何ができるかを考え、自主的に行動する。私が今までに経験したことのない、遥かに意識の高い集団だった。このままでは、自分一人取り残されていく。そんな気がした。
周りについていくことで必死だった。それでも、辛い練習を共に乗り越えることでかけがえのない仲間ができた。日々の積み重ねが自分の可能性を広げてくれることを感じることができた。関学サッカー部という環境は、大学生活を充実させるとともに、人間的にも私自身を成長させてくれる。チームが全国制覇を成し遂げた今、そのチームの一員であることを誇りに思うと同時に、このチームに貢献したいという思いがより強くなった。さらに、サッカーに対する熱い志、明確な目標もしっかりと持つことができた。

そして今、私の周りには共に闘う仲間がいる。期待してくれる人がいる。応援してくれる人がいる。支えてくれる人がいる。だから自分は頑張る。頑張り続けなければならない。

これが私の挑戦し続ける理由だ。

2回生 難波 圭輔

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