部員ブログ
最近の出来事を紹介したい。
2019.7.21。
オフを利用して、高校時代の友達と万博公園で行われた野外ライブに行ってきた。
初の野外ライブだったのですごく楽しみにして行った。
そこでは、10組の有名歌手たちが生歌を披露し観客を魅了していた。
その中でもひときわ歓声を浴びていたのが、今や誰もが知っている国民的歌手の<あいみょん>である。素晴らしい歌声と圧倒的カリスマ性。言葉ではどう表現すれば良いか分からないが、素直にかっこいいと思った。マイクとギターと歌声だけで人々を魅了し、勇気づけ、感動させ、時には泣かせることができる。なんて素晴らしいのだと感じた。そして羨ましいと感じた。そして、私も「かっこいい人間」になりたいなとふと思った。
では、「かっこいい人間」というとても曖昧な言葉の意味は、一体なんなのか?
単に顔が整っていることをかっこいいと呼ぶ人もいれば、お金持ちでなんでも奢ってくれる人をかっこいいと捉える者もいる。おそらく人それぞれ捉え方は違うし、一概には言えないことだ。
私の思う、「かっこいい人間」の捉え方は、人に必要とされ、人の役に立てる人間であるということ。人は、必要とされ、役に立っている時が一番幸せだし、かっこいい。必要とされている自分に酔っているただの自己満だと言われるかも知れないが、一度きりの人生、どうせ生きるなら人に必要とされ、役に立てる人間でありたいと私は感じる。
私が関学体育会サッカー部の選手を辞めて、なぜコンダクター(学生コーチ)を志願したのかはこの部分が大きかったのではないかと今になって思う。選手を何十年間と続けてきて、途中より選手を退くという決断は簡単なものではなかった。しかし、必要とされる存在、人の役に立ちたいという思いが強く、そのためには選手を続けるよりもコンダクターをする方が自分は良いと判断した。また、大好きなサッカー部の存在も大きい。チームメイトは皆、物事に対して真面目に行動することができる。この部分は本当に尊敬できる。ピッチ内では本気でサッカーに取り組み、ピッチ外ではワイワイ楽しく騒いでふざけられるサッカー部の仲間が大好きである。そんな大好きな彼らの役に立ちたい、必要とされたいと思う部分がコンダクターを志願した決め手の一つである。
必要とされること、役に立つことはとてもシンプルだが、とても難しいことであると最近つくづく思う。必要とされる、役に立つことに度合いはないし自分では計れないものである。必要とされること、役に立つこととはなんなのか。どれが正解なのか。現に今、私はコンダクターとしてチームメイトに必要とされている、役に立っているとは思っていない。まだまだ信頼度は薄い。自分自身も現状に全く満足しておらず、反省すべきことや改善すべき課題が山積みであると感じている。私は、コンダクターの行動指針は、チーム、選手ファーストであるべきだと思う。しかしまだまだその行動指針が定まっておらず、楽な方に流されてしまう。情けなさを感じている。信頼を勝ち得るために様々な行動を起こすべきであり、自分自身もっともっと努力すべきである。本気で練習に取り組み、選手と本気で語り、ミーティングし、最高の準備をする。このような当たり前な行動を本気で取り組めば、自然と信頼を勝ち得るし、必要とされ、役に立つことができる。
「かっこいい人間」には、自分はまだまだ程遠い。人に必要とされ、役に立つ時は来るのか。
その為には、とにかくがむしゃらに頑張るしかないと思う。
一度きりの人生。かっこよく生き、「かっこいい人間」になりたい。
男子チーム 3回生 姜真淳
なんのために人は生きているのだろうか、正しいことと善いことは同じなのだろうか、宇宙はなぜ拡がり続けるのか、幸せな人生とはなんなのか、そもそも幸せとはなんなのか、たわいのないことから壮大な正解のないようなことまで、考えを巡らすことに限界はないと思う。
幼いころから一人の時間にはよく考え事をしていた。1分程度の時もあれば1時間以上考え事をしているなんてこともあったが、そのほとんどは答えの出ないまま気付いたら考えることをやめていた。なにかについて深く考えることに意味はあるのだろうか。そのことについて考えたこともあったが、明確な答えは出た憶えがない。なにかについて深く考えるとことばの意味の解釈に突き当たる。例えば、幸せな人生とはについて考えると、「幸せ」ということばと「人生」ということばの解釈によって答えは大きく変わってくる。ことばには特別な意味を増やすことができるが、そのことにメリットがあるのかは分からない。「幸せ」は「幸せ」だよと考えをやめてしまうこともできる。このように考えることは自分次第で浅くも深くもできるため、1つの答えに至るのは難しい。ただ、考えること、今まで考えてきたことが私の生きていくうえでの軸の1つになってきたことは間違いがない。関学サッカー部に入るまでは自分が考えてきたことに疑問も持たず過ごしてきた。
突然だが、関学サッカー部ではよく学年単位でミーティングを行う。そこでは自己理解や他己分析、自分たちの今後の指針なんかを話し合う。最近では来年のチームの方針を決めるために活動しており、目標とはなんなのか、目的は必要なのかなどについて話し合っている。これらの活動ではチームメイトの意見や考えをたくさん聞くことができる。私はこれらの活動を通して今までの私が他人の考えをまじめに聞くことや自分に落とし込んだことがないことに気がついた。1学年で50人がいるなかでは、自分にはない観点から考える人がたくさんいる。そのことに気付きその人たちの考えに考えを巡らせたときが、私にとっては大きな転機だった。今までの自分がどれだけ視野が狭く、偏った考えになっていたかと言うことに気がつけた。それ以来私は、特に自分とは異なる意見の人の考えに興味を持つようになった。そうすることで、新しい考え方や観点が開けて、考えることに今までの浅深だけでなく、広狭まで違いが出てきた。
考えることには1つのことについてどれだけ考えるかの浅深の面と、どれだけいろんな視野、観点で考えられているかの広狭の面があり、人それぞれにゴールはあったとしても限界はないと思う。私はこれからも人の考えを聞くことで視野の広い考え方をできるように努めていきたい。
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。
男子チーム 3回生 大西瑞生
「才能は有限、努力は無限」
私が小学生の時に通っていたサッカースクールのコーチに言われた言葉である。
負けず嫌いな私は、この言葉がとても好きだった。
20歳になった今でも、私はこの言葉をいつも心に掛けている。
私が関学サッカー部に入部して1年半が経とうとしている。とても早かった。
それは、今まで経験したことのない濃い時間をこの組織で過ごす事が出来ているからだと感じている。
私はこの1年半で人間的にすごく成長することが出来ている。
なぜなら学年リーダーとして、チームを引っ張っていく立場になったからだ。
学年リーダーになってからサッカー部に対する自分自身の意識を大きく変えることができた。
学年リーダーを始めた時は「この学年は俺がまとめて引っ張ってやる」というような絶対的な自信はなかった。
むしろ、「みんなをまとめる事なんて自分には出来るのだろうか」と思う方が大きかった。
学年リーダーという響きに浸っていた自分も正直どこかにいた。今思うと本当に情けないと感じている。
では、なぜ学年リーダーをしているのか。
新しいことに挑戦したいから。
これに尽きると思う。
学年リーダーという責任は非常に重い。
2年から3年に学年が上がる時に、私たちはコンダクターを数人出さなければならない。
コンダクターを決めるのにはミーティングを何度も行い、お互いを知り、尊重し合う事で決める。
4年になると、私たちの学年を主体に、どういうチームにしていくのか、どのような事をしていくのかを明確化しなければならない。
それを理解した上で私は挑戦したい。
挑戦し続けることによって自分を変えることができる。さらには、他の人を巻き込んで組織を変えることができると私は信じているから。
これまでいろんな壁にぶつかってきた。そんな時に支えになったのは先輩方や仲間の存在だった。
学年リーダーを通して、いろんな人の考えに対して関心を持つようになり、自分に足りないと思ったことは吸収するようになった。
「貢献とは」「なぜサッカーをしているのか」
サッカー部に所属していれば嫌ほど聞かされる質問だ。
答えは人それぞれだと思う。むしろ、答えなんて存在しないのかもしれない。それでも私はその質問に対しての答えを求め続けていきたい。
様々なことに挑戦し続けることによって、自分と組織の価値が証明されるのではないだろうか。
常に自分と組織を考える事で「日本一」にこだわれるチームになっていくのではないだろうか。
トップチームでピッチに立っている選手、それをスタンドで応援している選手、コンダクター、マネージャー、それぞれ活躍する場所は違うかもしれないが、お互いがお互いを尊重し高め合い、挑戦をし続ければ必ず「日本一」になっているのではないのか。
私は最後までひたむきに「日本一」に挑戦し続けたい。
男子チーム 2回生 中山優作
私が関学サッカー部に入部してから1年が過ぎた。たかが1年だが、非常に濃い1年を経験した。私が関学サッカー部で一番驚かされたことは4回生のすごさである。そのことを書こうと思う。
私は1回生のとき、大半をBチームで過ごさせていただいた。Bチームは去年Iリーグ連覇を目標に掲げながら予選突破すらできなかった。そこからBチームは地獄のような走りが始まった。下級生はまだ来年のためにと頑張れる。しかし4回生の関学でのサッカーは今年で終わりなのである。サッカー人生も引退の人もいる。それでも去年の4回生たちは誰よりもたくましい背中で走っていた。チームを引っ張っていた。純粋にかっこよかったし憧れた。そして、僕はその後、Aチームに上げさせていただき、インカレに出場するチャンスを得ることができた。正直4回生からすると、最後の大会だから急に上がってきた1年なんかより他の4回生が出て欲しいに決まっている。それでも4回生は本気で応援してくれた。「お前ならやれる」と声をかけてくれた。なんて器が大きく、素晴らしい人達なのだと感じた。
そして2019年に入り、関学はこの夏、総理大臣杯の出場を逃した。自分は試合に出させてもらっている立場にもかかわらず勝つことができず、応援席で必死に応援してくれている4回生にあまりにも申し訳なかった。情けなかった。4回生は試合に出ようと出ずとも、チームを引っ張ってチームのために必死に練習しているのを知っていた。そんな人たちに試合に出ている自分があんな思いをさせてしまった。今までは自分がいいプレーができてチームが勝てばそれで十分だった。でも関学サッカー部に入ってその考えは変わった。180人の思いを背負って立つピッチ、90分はそんな軽い考えで立っていいものではない。
幸い、今年はまだチャンスがある。後期リーグとインカレがある。もうあんな思いはごめんだ。負けるのは大嫌いだし、応援席の人たちを、4回生を、2度とあんな顔にさせたくない。それに、関学は、俺はこんなもんじゃないと思っている。自分ならもっとやれる。関学はもっと強い。漠然とした自信だが、確信でもある。俺なら、関学なら日本一になれる。
後期リーグ、インカレ、何があろうとチームのために走り続ける。
日本一に導くために。
男子チーム 2回生 本山遥
「今のチームには何が必要なんだろう。」
「どうすればチームは良くなるんだろう。」
このようなことを考えているうちに気づいたことは、私はいつもチームのことを1番に考えていた。
これには賛否両論あるだろうし、自分を美化するつもりもその逆でもない。
自分はそういう性格の人間なのだというだけである。
みんながどう感じているかはわからないが、
今の関学サッカー部は順調だとは言えないと私は感じている。
それは自分自身にも言えることで、チームを良くしたいと思い続けてはいるものの、うまくいかない。何をすればいいのかわからなくなっていた。あるいは、なんとなくわかっていながら確信がなかった。
結局、自分は何をしたいのか。
なんのためにサッカーをしているのか。
「日本一になって最後に笑って終わりたい」
これに尽きるのではないかと思う。
それなのに、「チームの雰囲気が良くない」
「良い結果が出ない」「自分は何もできない」などと、目の前の問題にただ悩んでいるだけだった。
他の部員のみんなはどうだろう。
本気で日本一を目指せているだろうか。
「自分のそのプレーや行動は日本一になるためにできているのか。」
常に考え続ける必要がある。
暑苦しいと思うかもしれないが、それくらいしないと日本一になんてなれないと思う。
だから、日本一になるために必要だと思ったことはすべてやる。途中で必要ないと思えば、やめればいい。ただ、まずはやってみてから決める。意味があるかないかは後からわかることだと思うから。
今は結果が出なくて苦しい状況が続いているかもしれない。そんなときこそ、原点に戻る必要があるのではないか。
「日本一になるためには」
常に問い続け、向き合うことが大切だ。
関学サッカー部で日本一になろう。
きっとそこには最高の景色が待っていることだろう。
そのために私は真摯に向き合い続ける。
今が踏ん張りどころだ。
乗り越えて日本一になろう。
最後に笑って終わろう。
最後になってしまいましたが、このような機会を作ってくれた人たち、読んでくださった人たち、ありがとうございます。
男子チーム 3回生 大崎椋平