部員ブログ

2020-5-4
リスタート(中山優作)

この場を借りて私の正直な気持ちを綴らせていただきます。最後までお読みいただければ幸いです。
 
2020年1月20日、私は選手を辞めてコンダクター(学生コーチ)になった。コンダクターになると決めるまで自分のサッカー人生を振り返り、悩んだ。とにかく悩んだ。5歳からサッカーをして16年間、今までの生きてきた時間の中で多くをサッカーに費やしてきた。初めてできた夢もプロサッカー選手だった。きつい練習や試合でサッカーを「いや」になることはたくさんあった。だが、決してサッカーを「きらい」になることはなかった。私にとってサッカーは自分の人生であった。選手を辞めるかもしれないと悩んだときに何度も心が痛くなった。正直辛かった。
 
私は選手を辞めることに迷いがあった。私のサッカー人生で何も大きな結果が残せていなかったからだ。小学生から高校生までの間、全国大会に出場したことが一つもなった。その夢を叶えるため、ピッチに立って活躍するために、この関学サッカー部に入った。入部したての頃はAチームで活躍している自分しか想像していなかった。「こんな俺でも頑張れば活躍できる。泥臭く、自分らしくチームに貢献する。」どこから湧いてくるのかは分からない自信があった。
しかし現実はそんなに甘くなかった。すごい人だらけ。これが日本一を目指している組織なのだと感じた。私の大学サッカー生活、カテゴリーの上がり下がりを経験し、清々しいより悔しい思いのほうが圧倒的に勝っていた。今まで応援してくれている両親をはじめ、多くの人に結果というものを残せていないことが申し訳なく思った。こんなことを考えながら決断するまでの日々を過ごしていた。
 
コンダクターを決めるまでに何度もミーティングを重ねてきた。毎回悩んでいた。学年リーダーもしていたこともあり、落ち着いて自分の悩みだけを考える回数も限られていた。
私たちの学年はとにかくサッカーが大好きで、選手を続けたいというのがほとんどだった。当たり前だ。大学生になり生活の自由度が今までより高まる中、夢や目標を達成するためにサッカー部に入るのは相当な覚悟がないとできないと思う。このような組織に所属していてサッカーが嫌いな人はいない。プロになる人もならない人も選手への気持ちはみんな強かった。
 
しかし、それだけでは選手を続けたい理由にはならないのが関学サッカー部である。個人としてサッカー部に貢献するために何ができるのか、何をしているのか、そもそもなぜサッカーをしているのか。そんなことについて考えることが関学サッカー部に所属しているうえでの責任だと感じた。
 
そのために私がやるべきことは何なのかを考えた。この組織は日本一を目指している。私は日本一に貢献したい思いが強かった。自己分析や他己分析を通して、私自身の人間性が分かった。目的や目標を達成するためには自分のすべきことは明確になった。サッカー部には私よりサッカーが上手い人がたくさんいる。そしてその人たち以上に貢献し、関学サッカー部を良くしていくためには、私はコンダクターになることだった。残りの2年を選手として貢献できないのは正直悔しかった。
 
だが、私には自信があった。どこから湧き上がってくるのかは分からないが、自分らしくコンダクターというポジションを全うできる自信があった。そのため、この決断に後悔はない。むしろ楽しみである。
 
そして私はこの組織を日本一にする覚悟ができた。この組織を日本一にする。
 
みんなにもう一度考えてほしい。どうすればこの組織に貢献することができるのか。Aチームで活躍している選手は分かりやすいかもしれないが、それより下のカテゴリーの選手は考えるのが難しいと思う。
でも、みんな同じエンブレムを背負い闘っている以上は関学サッカー部の一員である。サッカー部の一員であるからには、自分が組織の中でどういう立ち位置で、その現状を理解したうえで自分の弱さに目を背けずに、自分がチームのためにできる最高のパフォーマンスは何なのか考え続けなければいけない。
 
関学サッカー部に所属していると、成長できる機会が山ほどある。先輩の考えや他の部活動の考え、体育会本部の考え、探せばもっと出てくる。その考えを吸収し、周りに還元することで自分が成長するだけでなく組織も成長につながる。
 
私のサッカー人生はリスタートされた。今コンダクターとして約3ヶ月が経とうとしているが、前よりサッカーが好きになった。サッカーは素晴らしいものだと感じている。新しい視点でサッカーをするのは難しいことばかりで、まだまだ分からないことだらけだ。コンダクターをしていて自分が本当に必要とされているのかもまだ分からない。不安だらけだ。それでも大切な仲間がいることで練習や試合はものすごく楽しい。みんなありがとう。
 
私は日本一になる。日本一のコンダクターになる。自らシュートを打って、ゴールを決めてチームを勝たせることはできないけれど、日本一に導くコンダクターになる。
 
最後に、両親には私の決断を一番に尊重してくれた事に感謝している。

2020-4-6
自分自身(清翼空)

『自分自身』

今年C1のキャプテンを務めます。清翼空です。良ければ読んでください。

小学生の頃からサッカーをはじめて、もう少しで15年が経つが、正直これほどサッカーを嫌いになった3年間は今までなかった。

私は、昔から上手かったわけでもないし、特別背が大きいわけでもない。そして能力が高いわけでもなく、ロングキックでさえ苦手意識があった。お前はあまりものやから出てるだけや、センターバックお前はできないもんな。こんな言葉を言われる度に、絶対に見返してやる、負けない。必ず活躍する。このような強い気持ちを持ってサッカーをしてきました。まぁ何が言いたいかというと、順風満帆な人生ではないけど、サッカーはずっと好きだったし、自分はできると信じ、好きなことのためなら努力できるという当たり前の事です。

高校時代、私が所属していた高校は、1つ上の先輩達がとても注目されていて、当時のスタメン半分以上が、今年プロサッカー選手となった。そんなチームの中で2年時から試合に出ることができたが、目標である日本一は達成できなかった。

大学では日本一になりたい。日本一になるために当時4冠を達成した関学へ行きたい。その思いで入部したが、現実はそんなに甘くなかった。

新チームはじまってAチームに呼んでもらったが、すぐBチームに戻り、4月の入学時には、C1チームにいた。なぜ自分がここにいるのか全く理解できなかった。Iリーグがはじまっても毎回スタメンではないし、結果を残しても評価されない。自分は何をしているんだろう、このままやっていても意味がない。ここまでできない自分が情けなく、部活を本気で辞めることを考えた。初めてサッカーが嫌いにもなった。それが関学の1年目だった。
いろんな意味での環境のギャップに対応できなかった自分の弱さだと思う。

日が経つごとに、同じ推薦で入った同期はトップチームの試合に出て活躍し、なんで試合出てないん?来年はでるやろ?辞めたん?と高校の同期や、知り合いに言われ、正直辛かった。いつからか自分はスポーツ推薦で入った事を隠すようになり、サッカー部であることすら周りに隠すようになった。自分のサッカーに対しての自信が完全になくなった。

2年生の時、学年ミーティングで、今後自分はどうなりたいのか。関学サッカー部でサッカーするのはなぜなのか?と考える時間があった。大学というある程度、自由な時間がある生活の中で、わざわざ体育会に入って、活動時間も長く、授業の時間も制限される。そこまでして自分は本当にこのチームに居たいのだろうか。なぜサッカーをしているのだろう。

それは、サッカーが好きだから。日本一になりたいから。日本一になれる可能性が1番高いと感じたのが関学だったから。そして、そのサッカーは自分だけでしているわけではない、家族、ここまで自分を育ててくれた監督、コーチ、仲間、自分はその人達を裏切りたくない。応援してくれるその人達のために最後までプレーする。そう心に決め、プレーする事を選んだ。

また、国際学部ということもあり、留学を経験する事ができた。自分の中でこの時間はすごく大きかった。1ヶ月間サッカーから離れる事が今までなかったから、とても新鮮で、当時の自分をすごく客観的に考える事ができたし、今までになかった考え方、価値観を得ることができ、良い刺激になった。海外の人は、コミュニケーションをとると、みんな自分に誇りと自信を持っているのが伝わってくる。(個人的なイメージ笑)

関学の下カテゴリーにはいろんな選手がいる。技術はあるけど上がれない人、能力は高いけど上がれない人、技術が足りていない人、そして自分に迷いながらプレーしている人。せっかく技術、能力があるのに、評価されない事で自分を見失い、自信を失う。
誰でも良いところはあるし、足りていない所ももちろんある。完璧な人なんていない。
どの部分が必要とされているのか、上がれないのはその求められている事が自分に足りなかっただけ。求められるものが自分にはなかった。それだけの問題であって、自分が落ちる(モチベーション、メンタル)必要はないと思う。それで自分のプレーをできない方が勿体無い。二度とない4年間なのだから。せっかく好きなサッカーができて、日本一を目指せる環境があるのに、自分でうまくいかないサイクルを作ってしまうのは、悪循環。

その中でも、評価されるためのプレーじゃなくて、結果的に評価してもらえるプレーをする事が大切であると思う。見ている人10人中9人が良い選手と判断しても、一方の1人は魅力を感じていなくて、その人のもとでプレーしていたら、評価されない。当たり前のことだが、だからといって10人全員に良い選手と思ってもらうプレーをする。これは違うと思う。自分のプレーを認めてもらうまで自分なりのプレーをすればいいと思う。良くも悪くもなるのも自分次第だけど。(あくまで個人的な意見です)その場所がAチームでも、B、C1、C2でも自信を持ってプレーする事が、誇れるものになっていくと私は思う。

私が言いたいのは、信念を持ってプレーする事。これが私ができなかった弱さであり、後悔である。特に、後輩には後悔せずに大学サッカーをしてほしい。

けど私の大学サッカーもまだ1年ある。関学の強さは、下のカテゴリーでも日本一を目指せる環境、スタッフ、選手がいることだと思う。自分らしく生き、自分らしく日本一を目指す。全力の姿を見せる。それが応援してくれる人達への恩返しであり、結果以上のものを手に入れることができると思う。

だからC1のみんな、頑張ろう!
俺はみんなで笑って終わりたい!!
大学サッカーを後悔したくない。

C1、そして関学を強くし、誇れる関学を自分が創る。

2020-3-11
挑戦し続けます(徳田竣希)

私は今、18年続けてきたサッカーをやめて就職するか、サッカーを続けるか
人生で1番の大きな選択に迫られていた。
結論からいくと私はサッカーを続けることに決めた。

周り就活してる…やばい…おれもやらないと…金稼ぎたいな…やるからには自分は会社でトップに立ちたい…本気で仕事を自分はできるのか。自分はその場所で成長できるのか。18年続けてきたサッカーを辞める勇気は自分にはあるのか。辞めてまで就職する必要があるのか。将来自分がどうなりたいのか。今しかできないことは何か。結局自分って何がしたいのか。理想ってなんだろう。人生について最近考えることが多いです。

色んな人の話を聞いてみると仕事も面白いな、やるからには稼いだんねん、と思い就活をちょっとしてきて、まあいつでも就職できるやろ今しかできないことはサッカーしかないと思い、サッカーを続けることを決めました。燃え尽きるまで挑戦し続けます。(長く付き合っている彼女がいて、結婚のことを考えていたら、就職を選んでいたのかもしれません。笑)迷った時は自分が本気で楽しめる方を選ぶようにしてます。人生本気で楽しんだもん勝ち。

人生行動あるのみ。挑戦し続けよっと。他人の人生を生きず。自分なりにたのしくいこか。誰よりも楽しい人生を。私はまだまだ可能性を信じ、挑戦し続けます。

サッカーを辞めることを考えると…このままいくと大学サッカー不完全燃焼すぎて人生一生後悔すると思ってました。しかし最終学年になり、大学生活を燃えさせてくれるチャンスが自分の前にはあった。それがキャプテンという役割だった。

そして私はBチームのキャプテンになりました。
私にとっては大きな挑戦です。(※キャプテンは賢いイメージがあるが勘違いしないでください。私はアホです。アホはアホなりに壁にぶち当たりながら、挑戦していきます。)

少しだけ今までの大学生活を振り返ります。

1回生の時は、ただ必死に先輩についていこうと思い、サッカーをしていた。結果的にアイリーグ日本一という経験をさせてもらった。 全国大会では、39度の高熱が出て、仙台まで来て、1週間くらい寝たきりでした。チームにも迷惑だと思い、仙台から大阪に帰ろうとしたが、ある人から「決勝まで連れて行くから残ってくれ」という言葉をかけられました。私は残ることを決めて、仙台ではひたすら寝て少しでも早く回復することに努めました。そして予選最終戦には外出できるようになりました。(久しぶりのサッカーは楽しかったし、外の空気はおいしかった)そしてチームは奇跡的に決勝まで勝ち進んだ。そして決勝。スタメン発表。みんなも驚いていたが、自分が一番驚いていた。試合は4回生の力で勝ち、日本一の称号を手に入れた。この1年は、4回生の影響力を身をもって感じた。

大学サッカー2年目と3年目は今までしてきたサッカー人生でどん底とも言えるレベルで、こんなに合わないって思う人とも初めて出会った。やり切った感もなく、ただサッカーをしているだけで、上手くなってる、強くなってる感じがしなかった。今のままでは、ただの居心地の良い場所で刺激、成長はなかった。要するに今の環境に慣れてきて、成長を鈍化させ、自分に甘えている。
3回生の時にある言葉を聞いた。「人生がうまくいかない原因は全て自分にあると思え。」自分の中では考え方が大きく変わった。自分が上手くいかないことはどこかで、周りのせいにして言い訳をしてきていたのかもしれない。今の結果は自分が招いている。自分が変わったら未来を変えられる。自分の人生は自分次第。人生がうまくいかない原因は自分にある。今まで自分が上手くいかないことはどこかで、今いる環境が悪い、成長できない。この人が嫌いだから、信頼できないからと、周りのせいにして言い訳をして逃げて、向き合うことをやめていた。今思うと、本当に勿体ない時間だったと感じる。しかし今の結果は自分が招いてる。自分が変わったら未来を変えられる。環境が悪いなら自分が良い環境にできるようにしたらいい。サボりたかったらサボったらいい。自分にツケが回ってくるだけ、苦しく、辛くなるのは自分。
このような考えを持つことは高校の頃には考えられなかった。高校から大学2回生までは自分が良ければ、楽しかったらなんでもおっけー、上手くいかないのは何か自分以外に原因があると探し続けていた。しかし、関学にいるおかげで高校の頃と比べて100倍人間的に成長できたと思っている。笑

何が伝えたいのか言うと、評価されない、この人と合わない、環境が悪いとうまくいかない時期が絶対にくると思う。それを理由に成長する努力、考える思考を止めて欲しくない。自分がチームを勝たせる選手になればいい。替えの利かない人間になれば自ずとと評価はされる。環境が悪かったら変えたらいい。日本一になりたいならば、日本一に導ける人間になればいい。原因は自分にあるかもしれない。自分の人生自分次第。

今年からBチームのキャプテンを務める。自分にとっては大きな挑戦だ。今年のチームは俺次第で変わる。本気でチームを変える。サッカーを楽しむ気持ちを大事にし、活気のあるチームを創る。Bチームは関学サッカー部で1番影響を与えられるカテゴリーだと思っている。上のカテゴリーも下のカテゴリーにも距離が近い。チームの在り方次第で関学サッカー部の全体の組織の底上げ、結果が変わってくる。本当にこの組織を色んな意味で変えたい。
Bチームのみんなこの1年間燃え尽きよ!!
笑って終わろう!!

Bチームを自分は他のカテゴリーよりも本気で楽しく、見ている人たちの心を踊らすようなチームを共創していきます。

 

2020-2-28
昨日の自分を超える(太田晃輔)

去年、準決勝で明治大学に負けてベスト4でインカレを終えた。その試合が終わると、周りも気にせずたくさん泣いた。こんなに泣いたのはいつぶりだっただろうか。インカレを通して、1試合も出場できなかった情けなさか、準決勝で負けた悔しさか、もう4年生とサッカーができない悲しさか、どの感情がそうさせたのかは自分でも分からない。

去年のチームは「日本一」を掲げて一年間戦ってきた。しかし、その日本一には届かなかった。ベスト4でも凄いという人はいると思うが、OBや大人スタッフ、現役を含む関学サッカー部に関わる人々からしたら物足りないと感じるだろう。では、どうしたら日本一は獲れるのだろうか。この問いを去年一年間、そしてインカレで負けてから考え続けていた。僕は、1年次にBチームに所属し、Iリーグ全国大会で日本一を経験しているものの、これまでAチームが日本一になったのを見たり、経験したりしていない。だから、日本一がどういうものでどれくらいの基準なのかは全くわからなかった。

去年すべてのタイトルを獲った明治大学と最後に戦ったことで日本一のプレー基準を知ることができたと思う。ベンチから見ていても、その差はとても大きいと痛感した。その基準に自分達が達したとして今年日本一は獲れるのか。どの大学もその基準以上を求めて毎日練習に励むと思う。これをやれば日本一になれるという確信的なものはどこにもないし、だれも知らないだろう。

日本一という漠然とした暗闇の中を走るような挑戦をしている中で頼りにできるのは自分しかいない。自分の中にしか測りはない。『昨日の自分を超えること』、これしか僕達が勝つためにできることはないのだと思う。もちろん、勝負の世界は競争であるため、周りと比べないといけない時もあるだろう。しかし、周りと比べるのは自分の現在地を知る時だけでいいのではないかと思う。周りと比べて落ち込む必要はないし、満足する必要もない。それよりも昨日の自分と比べてどうなのかを考える必要がある。誰もが弱い自分をわかっているし、やり続けることができない自分をわかっている。毎日もがき苦しみながら、その弱い自分に日々打ち勝つことが成長と言えるだろう。一本でも多く走る、一歩でも距離を詰める、一本でも多くシュートを打つ、一回でも考える回数を増やす。このちょっとした積み重ねが自分を大きく成長させ、このチームが終わる時に日本一を獲っているのだと信じたい。

人間は考える葦であると言われるように、考えて生きている。考えがあることによって、行動できている。そのため、考えを忘れたら行動できなくなる。日本一になるという考えを私生活のどこまで落とし込めるか。また、一人一人が関学サッカー部の一員であるという意識をどこまで持てるのか。これは、他の誰かが強要するものではないし、できない。自分で考えを忘れないように意識し続けないといけないし、それは必ず行動に現れるだろう。そして、誇れる自分、誇れる関学を創っていきたい。

僕は、関学サッカー部に入って、活動できていることに幸せを感じているし、正解だったと入部当初から思っている。これまで多くの選択肢がある中でその一つを選んで人生を送ってきた。そして、これからもより多くの選択肢の中から選んで人生を歩んでいくが、この世に正解なんてないと感じる。『自分が選んだ道を正解にしていくこと』が大切である。僕自身がより関学サッカー部で活動できたことが正解だったと感じられるように、そして部員全員が関学サッカー部を選んで良かった、正解だったと思ってもらえるように大学最後の一年、僕は覚悟を持って闘う。みんなで日本一を獲ろう。

2020-2-15
「関学サッカー部とは」(杉山天真)

3年前、プロの世界にいくことが出来なかった自分は、安堵した気持ちと少しの悔しさが入り混じる中、関西学院大学サッカー部に入部した。当時の自分は、先の見えない世界に足を踏み出す勇気がなく、プロを目指しながら滑りの効くチームでプレーしたい、という考えのもと関学を選んだ。

入部した当初はすぐにAチームに上げてもらい、公式戦にも出場することが出来ていた。あの頃は、常に自分のためだけにプレーしていたことを覚えている。自分が良ければそれでいい。自分が出ていなければ、チームの勝敗はどうでも良かった。そんな自分が入学当初、ずっと疑問だったことがあった。それは、”なんで下のカテゴリーの人達がこんなにAチームを応援できるん。なんでスタンドの先輩たちは知らん俺を応援してくれるんやろう。” 関学のエンブレムを背負い、Aチームでプレーする価値を理解できていなかった自分は1年の最後にはBチームに落ちる事となった。当然だった。今思うと、よくこんな選手をAチームで使ってくれていたなと思う。

Bチームに落ちるとすぐにIリーグの全国大会が控えていた。1年間死に物狂いで戦ってきたBチームの思いも知らず、Aチームだった自分は試合に出れると考えていた。しかし、蓋を開ければ、30人にも登録されず、偵察として帯同した。同じタイミングで落ちた青木駿はスタメンで自分はメンバー外。理解に苦しんだ。あの一週間は本当に地獄だった。それでも、与えられた役割は全うしようと、相手のビデオを撮り、帰って慣れない編集を行い、選手に伝える。それの繰り返しだった。チームは見事勝ち進み、日本一を掴んだ。スタンドで泣く4回生の姿を横目で見て、自分は何も感情が出てこなかった。そんな中、ホテルに戻ると、当時試合に出ていた4回生のある2人から、「お前のおかげで日本一になれた。ありがとう。」こんな感じの言葉をかけられた。その時初めて、自分がプレーする以外での貢献の仕方を学んだ。

2回生の1年間は、足首の手術もあり、半年間以上サッカーをすることが出来なかった。あの頃は、コンダクターミーティング(選手を辞めてスタッフになる選手を決めるミーティング)をやっていた事もあり、何のためにサッカーをしているのか。自分にとってサッカーとは何なのか、いやというほど考えた。また自分はこの組織にとってどんな存在価値があるのか。常に試合に出続けてきたサッカー人生において、初めてプレーヤーとしての価値を見失いかけていた。そして当時、サッカー選手を辞めようか一度は考えたが、1人のサッカー選手として、このまま終わってたまるか、という小さなプライドが続ける決断を後押ししてくれた。このプライドがなければ、今Aチームにいることは無かっただろう。今でもこの小さなプライドには感謝している。

そして1年前、怪我から復帰し、勝負の1年と意気込んでスタートしたシーズンだったが、自分のカテゴリーはC1チームだった。初めの頃は、すぐにBチームに上がって、Aチームで活躍してやる、と意気込んでいた。しかし、いつまで経っても声はかからない。そしてIリーグも始まり、試合会場では、かつての仲間から「何でCチームなん?」と聞かれ、返答に困っていた。この4ヶ月間は本当に苦しかったし、辛かった。1回生はどんどんBチームに上がっていってしまう。自分がAチームでプレーしているイメージがどんどん消えかかってきていた。それでも見返してやりたい、Aチームのピッチに戻りたいという気持ちだけで必死に自分を支えていた。そんな中、Aチームのサテライト戦に招集された。当時の自分にとって、この試合に懸けるしかなかった。この試合で活躍してもAチームに上がれるとは思っていなかったが、今の自分を90分間で表現するしかなかった。結果的には、この試合を機に、Aチームへ飛び級昇格することが出来た。それから、およそ2年ぶりにAチームのピッチに戻ることができ、後期の1節目には学生リーグでの初得点も記録した。この時の感情やスタンドの声援、景色は一生忘れる事はないだろう。この頃から、自分にとってプレーする事の捉え方が変わり始めていた。2年ぶりにAチームでプレーした事で、改めて本当に多くの人の支えがあって、今の自分があるんだなと思えるようになった。自分のプレーを通して、自分、そして関学に関わるすべての人たちの心を動かしたい。こんな風に思うようになっていった。

自分にしか興味がなく、マイペースでとっつきにくい自分が、大学サッカーを通して、常に周りを見て、相手の考え、価値観、感情を理解しようとし、人の心を動かしたいと思うようになるなんて、想像もしていなかった。人ってこんなにも変わるものなのかと、びっくりしている。それに加え、先の見えない世界に足を踏み出す勇気がなかった自分が、主将にまでなっている。

関学サッカー部には、多くの部員が所属し、そしてその一人一人にストーリーがある。ずっと思い通りのやつなんて誰1人いない。常に何かと戦いながら生きている。自分自身、この3年間で様々な経験をしてきたが、後悔している時期はどこにも無い。なぜなら、どんなに苦しくても常に考え続け、歩みを止める事はなかったからだ。だから、選手として這い上がることが出来たし、人として変わることが出来た。これこそ大学スポーツの価値だと思う。正直、普通に生活していたらこんな経験絶対にできないし、したくない。なんなら、自ら苦しみに行ってるようなものだとも思う。だけど、大学サッカーの魅力に気づき、関学サッカー部の魅力に惹かれていったから、今も所属し、主将にまでなったんだろうなと思う。

ひとりで生きている奴なんて、どこにもいない。ひとりで日本一を取れる奴なんて、どこにもいない。だけど、まず自分が誇れる人間になろうとしないと、誰も助けてはくれない。誰の心にも響かない。一人一人が自分の価値観や信念に従い、行動し続ける。そしてお互いを理解し合い、その個人と個人が繋がることで輪が生まれる。その輪が大きくなればなるほど、大きな力を生み、大きな成果を得ることができる。関学サッカー部はこんな組織で在りたい。

男子チーム 新4回生 杉山天真

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