部員ブログ

2018-10-31
ひたむきにやり続ける (里岡龍斗)

中学、高校と指導していただいた沢田監督がよくおっしゃっていた言葉である。その人と出会っていなかったら、私は今でも自分の長所を見つけられないままだったかもしれない。

一言で言うと熱い監督だ。試合中は常にテクニカルエリアの1番前に立ち、大声で選手を後押しする。点が入ると選手以上に喜び、惜しいシーンはからだ全体で悔しさを表現する。感情を表しすぎて退席を命じられてしまった事もあったが、それも自チームの選手に対しての軽いプレーを許さない姿勢からだった。選手のためにあれだけ熱くなれる監督はそういない。ひとつひとつのプレーに気を抜けない緊張感、自分たちと共に戦ってくれているような安心感がそこにあった。

そんな監督のもとで、6年間サンフレッチェ広島の下部組織に所属し、常にレベルの高い中でプレーしてきた。全国優勝も経験し、それなりの実績は残してきた。しかしそれは私自身の力ではなく、チームメイトに恵まれていたからだった。試合には出させてもらっていたが、上手いわけでもなければ、速いわけでも、強いわけでもない。自分には長所がない。なぜこんな私を試合に使ってくれるのだろう。正直ずっと疑問に思っていた。

高3の春、新チームでの活動がスタートした時、私はサッカーノートに不安な思いをぶつけてみた。すると、コメントにはこんな事が書いてあった。
「龍斗はやるべき事を決してさぼらない、やり続ける力がある」
これを読んだ時、初めて自分の長所に気づけた。やるべき事とは単純で、体を張る、味方のカバーに入る、危ない時に戻るなど誰でも出来る事だ。うまくいっている時、調子が良い時にできるのは当然として、うまくいかない時にでも、同じようにできるかどうかでその人の人間性が現れる。今思うと、ひたむきさを、自分なりに体現しようとしていたのかもしれない。ひたむきさとはどんな時にでもぶれずに、やり続けられる力である。

先日、Iリーグに参加した関学チームの全ての日程が終了した。どのチームもトーナメントに行くべきチームだったに違いない。苦しい時もひたむきに、一戦一戦出来る事全てを賭けて挑み、試合に出ていなくても支え続け、応援し続けていた4回生の姿を見てきて、心を動かされるものがあった。この人達はすごいなと思ったし、羨ましかった。

私は今まで誰かのためにと思ってプレーしたり、誰かのために応援した事など一度もない。常に自分が出ていれば、自分さえ良ければいいと思っていた。しかし同時に、いつも自分の事ばかり考え、周りを応援出来ない自分が嫌いだった。思えば沢田監督や4回生のように私が影響を受けた人は、誰かのためを思い全力だった。私も誰かのために必死になり、熱くなれるような人になりたい。

大学に入り、怪我で思ったようにサッカーが出来ず、うまくいかない日々が続いているが、今やるべき事をひたむきにやり続ける。それは自分のためでもあるが、今私がチームにとってできる唯一の原動力だと思う。

男子チーム1回生 里岡龍斗

2018-10-24
エンターテイナー (森重麗)

 2018年度の主な出来事を簡単にまとめてみる。

・元旦、インフルエンザに感染する
・原付を盗まれる(見つからず)
・天皇杯でG大阪に勝利
・喉が腫れる病気になる(手術)
・足首を負傷する(手術)
・関西学生リーグで現在首位
・5ヶ月の離脱を経て、10月中旬に遂に復帰←今ここ

 この数々の出来事こそ、私が「エンターテイナー」と言われる所以である。サッカー部は天皇杯で目標であるJリーグチーム撃破を達成した。さらに現在リーグ首位で、ポジティブな話題を提供している。それに対して私は、サッカーと私生活において、なかなかポジティブな話題を提供できていない。

 しかしこの程度の事で、弱音を吐くなど許されない。同じ時期に大怪我を負い、復帰が来年になるにも関わらずリハビリに励む二回生の藪田。私が離脱中にC2チームを支えてくれた、カテゴリーキャプテンの米田とコンダクターの長澤。未だに私達を気にかけて下さる去年の卒業生。どの立場でも常に全力を尽くし、チームを引っ張る四回生の仲間。そして、私が病気と怪我で苦しい時期でも支えてくれた両親。残り少ない時間の中で、彼らに少しでも恩返しがしたい。

 残り一ヶ月のサッカー人生となった。サッカー部が日本一になるために、何ができるのかを自問自答し続けていく。そして、特大のポジティブな話題をみなさんに提供することを約束する。なぜなら私は、生まれながらの「エンターテイナー」なのだから。

男子チーム4回生 森重麗

2018-10-17
綺麗事は好きじゃない(松井詢)

綺麗事は好きじゃない。

その理由は、自分の無力さを痛感してしまうからだ。「夢は叶う」とか、「努力は必ず報われる」といった言葉をトップアスリートが聞くと、「うん、その通りだ」と思うだろう。しかし私の場合はそうは思えない。それは私がひねくれているからではない。その言葉を信じられるような成功体験がとことん無く、どこかで自分に限界を感じ、綺麗事に胸を打たれる事のない自分になってしまっていたからである。

つまり私のサッカー人生は、全てが道半ばで夢や目標が途絶える、中途半端なものだった。

小学校1年生からサッカーを始めたが、1度もキャプテンや副キャプテンなどを任された経験もなく、輝かしい選抜経験もない。それに加え、所属していたチームが良い成績を残した際の私は、出場時間がごく僅かであったりと、チームの結果に対する貢献度も限りなく0で、これもまた中途半端だ。
そんな私でも、現在までサッカーを続ける事ができた。なぜか。
それは、「後悔はせずに反省だけを繰り返してきた」からだ。
後悔とは、過去を悔いるだけだが、反省は、過去を踏まえ未来にどう繋げるかを考える事だ。

小中高の引退試合では、毎回悔し涙を流し、「あの時こうしていたら」と後悔だけをしていたと思っていた。しかしそうではなく、反省を繰り返してきたからこそ、現在に至るまで必死になって続けてこられたのだとわかった。そして気付けば、関学サッカー部に入部していた。もし後悔だけを繰り返していたのであれば、とっくにサッカーから離れているだろう。

そして反省の末、私が中途半端なのは、あくまでも結果だけだという事に気づく。
それ以降、過程へのこだわりを強く持つようになった。
後輩や同期に、「こいつのためなら、こいつとなら頑張れる」と思われるような姿勢を口と行動で全力で示し続ける事で、本当に価値のある勝ちを求めることにした。

これまで1人で結果を出し、誰ともその結果を共有せずに生きがいを感じた人はいるだろうか。私はいないと思う。
つまり、結果が出た時に自分と同じぐらい喜び、悲しむ人が多くいる事こそが生きがいだと気づいた。だからこそ過程へのこだわりで、共有する仲間を増やし、密度の濃いものになるよう努力した。

私の所属するC1チームはIリーグ最終節を勝利で終えたものの、グループリーグ敗退が決定した。サッカー人生最後の結果も中途半端だった。だが、悔し涙は出なかった。
メンバーに入れなかったり、公式戦が無いカテゴリーで日々努力し続ける仲間からすると、この結果に後悔して号泣するぐらいの気持ちはないのか。と思うかもしれない。
だがIリーグや日々の練習を通して、自分のこだわった全力の姿勢を十分に出した。その結果、リーグ終盤に負けて涙する後輩もいてくれた。その事が本当に嬉しかった。最終節の勝ちは本当に価値のあるものだと肌で感じることができた。

C1チームの後輩は、今年の私の姿をどう感じ取ってくれていたのだろうか。
他カテゴリーにいい刺激を与えられる存在になれただろうか。
それも含め、様々な挑戦は終わってからでないとその価値が分からない事が多い。しかし過程にこだわり、共有する仲間がいればどんな結果であれ、価値のあるものになる。

綺麗事は未だに好きにはなれないが、「夢」や「報われる」の本当の意味は何か。その捉え方次第では綺麗事も素敵な言葉になるのかもしれない。そう気づかせてくれた関学サッカー部という組織と、これまで出会った人に感謝している。そして何より、私のわがままを支え続けてくれた両親に心から感謝している。

まだ可能性のある関西学生リーグ制覇、インカレ優勝という目標に対し、最後まで姿勢でチームの原動力であり続け、全員で感動を分かち合い、関学サッカー部の活動を締めくくりたいと心から思う。

男子チーム4回生 松井詢

2018-10-10
私にとっての原動力 (米田隆太)

 私は2年生の時、「原動力」というタイトルで部員ブログを書きました。まさか、この言葉が今年のチームの目的になるとは当時夢にも思いませんでした。

  前回部員ブログを書いた時は、高校最後のインターハイ予選、選手権予選共に、あと一歩で全国大会に出場できなかった悔しさが自らの原動力でした。大学でサッカーをすると決めたのも、悔しさが決め手でした。

 小学校から高校まで、ずっとキャプテンや副キャプテンを務めて来ましたが、関学サッカー部に入部してからは、どこか自分自身のためだけにプレーしていたと思います。自らに対する想い、悔しさが原動力でした。もちろんこれは今も変わっていません。この想いがあったからこそ、大きな怪我も乗り越えられたと思います。

 しかし、学年リーダーを経験したことで大きな心境の変化がありました。より多くの人の想いを背負う立場となり、内面的な気持ちに加えて、周りで支えてくれる人、同じ関学サッカー部で頑張っている部員の姿が、私の「原動力」になっています。また、競技委員の立場になって試合の運営に携わるという貴重な経験もさせて頂きました。本当に多くの人に支えられて大学サッカーが成り立っていると実感できたことも、こう思える要因です。

  4年間競い合って来た4年生、私が所属するC2チームの逞しい後輩たち、関西の大学サッカーの発展の為に活動してくれている学生連盟の好光幹事長、今まで私を指導してくれた指導者の方々、コンダクター、リハビリでお世話になった病院の先生、トレーナーの方々、そして、ここまでサッカーを続けさせてくれた家族、本当に多くの人に支えられているし、全ての人が今の私を突き動かす「原動力」です。
だからこそ試合では、誰よりも声を出してチームを盛り上げ、体を張ってシュートブロックします。そして、チームを勝たせる為に出来ることを全うし、一つでも多くの勝利に貢献します。

小学校2年生から始まったサッカー人生もあと少しになりました。
私は今、「オーバートレーニング症候群」になり、サッカーができていません。「勝ちたい」「C1に上がりたい」という気持ちが完全に空回りし、周りが全く見えなくなっていました。日常生活に支障が出るほど症状が酷く、大好きだったサッカーが嫌いになりかけました。

しかし、2週間サッカー部から離れさせてもらっていた間でも、気づいたらYouTubeでサッカーの動画を見て、ゲキサカやツイッターで関学の記事を読み、PS4でサッカーゲームをしている私がいました。私はやっぱりサッカーが好きだし、プレーしてこのチームに貢献したいんだと強く思いました。持病の咳喘息の影響もあってまだジョギングくらいしか出来ませんが、必ずこの病いと弱い自分に打ち勝って、一回り成長した姿でピッチに戻りたいです。自分自身の「真面目すぎる」という弱みと向き合いながら、最後まで上のカテゴリーで活躍することを目指して努力し続けます。そして、今度は私が誰かの「原動力」になれるように、全てを出し尽くしてチームの日本一に貢献します。

男子チーム4回生 米田隆太

2018-10-2
愛する関学サッカー部のために (藤本裕豪)

 私は今年、副将を務める事になった。
だから、真面目にこの大学生活を振り返ろうと思う。

 私のサッカー人生は大学に入るまで順風満帆だった。そのほとんどが、小さい頃に思い描いていた理想的なサッカー人生だった。だから大学サッカーでも、きっと上手くいく。そう思っていた。

 しかし、そんな甘い世界ではなく、何一つ上手くいかなかった。

 今まで、なんだかんだで見逃していた部分が顕著に表れたのだと痛感した。
これまで大した挫折も味わった事のない私にとって、この大学生活は苦痛でしかなかった。
同期は上のカテゴリーで奮闘し、高校時代のチームメイトは他大学で活躍をしている。
本当に苦しく、悔しかった。

 しかし、私はこの組織に所属して良かったと思える。
なぜなら、Aチームはもちろん全てのカテゴリーが目的や目標に向かって必死に練習をやっているからだ。特にC2、C3チームは公式戦が無いのにも関わらず、がむしゃらにボールを追い続けている。関学サッカー部の誇りと言えるその姿には何度も刺激を受けてきたし、私の原動力となった。

 今年から副将となって、以前より組織全体を客観的に見るようになった。また、自分自身と向き合い、「存在価値」というものを考える機会も増えた。
私の存在価値を証明するには、立場的にも部員全員に刺激を与え続け、影響力のある人間にならないといけない。
その為に、必死になって、この組織のために頑張ってきたつもりではある。正直、私は部員のみんなからどう思われているか分からないが、残りの数ヶ月も関学サッカー部の為にもっと必死に頑張り続けたいと思う。

私は、この関学サッカー部に入部できた事を本当に感謝してる。恩返しをする為にも、最後に必ず笑って終わりたい。いや、終わってみせる。

どんな困難が待ち受けようとも死力を尽くす。愛する関学サッカー部のために。

男子チーム4回生 藤本裕豪

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