部員ブログ

2018-12-5
自分の人生を生きる (山本悠樹)

 大学生になった今、様々な人に聞いてみたいことがある。
自らの夢やなりたい姿を声に出せる人はどれだけいるのだろうか。小さい頃に思い描いた理想の自分になりたいと、一体どれだけの人が言えるのだろう。

 人間は少しずつ、確実に成長すると思っている。その過程において、自我が芽生え、多くのことを学び、大人に近づく。そしていつしか理想の自分、なりたい自分と現実の自分とのギャップに気づき、失望する。そして傷付かないように、苦しまないように、何者でもない自分を生きようとする。 きっと皆経験しているだろうし、実際に僕も心が折れそうになった経験が幾度となくある。

 「プロサッカー選手になりたい」と僕はサッカーを始めた5歳のときから言い続けてきた。僕の周りにもサッカー選手になりたいと言う人や、それ以外にも夢を話す人は多くいた。しかし大人になるにつれて、口に出す人は少なくなった。僕自身も言わなかった時期があった。なぜなら、自分の言葉の重みに押しつぶされそうになり、他人の評価や顔色が気になるためである。自らの夢を叶えるためにどれだけの努力が必要になるのかを理解しているからこそ、自分に自信が持てないと、苦しい。「お前には無理だ」と言われることを恐れ、臆病になる。好き好んで傷付きたい人間はいないだろうし、潜在的にみんなが自分に自信を持ちたいと思っているはずだ。人間は誰だって、自分が一番大切で一番かわいい。

 たとえ自分に自信がなくやりたいことがなかったとしても、人生の過程で自分の価値に気づける瞬間が必ずある。それは”誰かに認められたり、必要とされる”ことである。他者に認められて、自分の存在価値や可能性を認知できる。誰かに認められれば、自分はここにいていいんだと感じられる。他者に必要とされて、自分に自信が持てるようになる。

 僕も関学サッカー部に必要とされる人間になりたかった。そして、誰もからも「あいつすげぇな」と思われるような存在でありたかった。それが自分のできる貢献だと思っていたし、実際に学年MTでも同じようなことを話した。今振り返るならば、それまでの自分は誰かありきの、他者がいないと成立しない人間だった。

 誰かに必要とされたり、他者に必要とされるのは決して悪くはなく、むしろ光栄なことである。しかしそれを求めて生きるのはきっと間違っていると、僕はある本(気づいている人もいるだろう)や同期から教えてもらった。

ある同期らと人生の幸せについて話した。「誰かに必要とされること」と答えた僕は、「必要とされなかったらお前の人生は失敗だったのか?」と言われた。常に誰かしらの他者の人生に左右されて生きるのは、絶対に自分の幸せには繋がらない。そして、他者の期待に応えて生きていく先に自分の幸せがある確率はほとんど0に近い。関学サッカー部に所属してもう3年が経過し、残り1年となったが、このことが自分にとって一番大きな気づきだった。

 関学サッカー部では、”貢献”という言葉を嫌になる程耳にするが、 僕のように誤って理解している人がいるのかもしれない。”貢献”は関学サッカー部にどうやって 必要とされるかではなく、自分の夢やなりたい姿のために関学サッカー部という組織を通して、 どう成長していくのかを考え、行動する過程に生まれるものだと思う。自分がやりたいことやなりたい姿にリンクしないといつか他者のせいにして、人任せになる気がする。決して他者の期待に応える先に生まれるものではなく、その経験が社会に出て活かせるのかどうかは明白だろう。

 僕はこの組織で自分がどうしたいのか、どうありたいのかを求め続けていきたい。この関学サッカー部の一人として、埋もれていくべきではないし、自分を見出す必要があると思っている。組織の1ピースでは意味がなく、自分がいることに価値がない。組織は個人の集合体であるからこそ、その中で自分が存在する意味を見つけなければならず、組織をどうしていきたいのかを発信しないといけない。またこれは4回生だけが責任を負うべきものではなく、関学サッカー部に所属する全員に必要なことだと僕は思う。そしてこの点において今年、4回生の存在は大きく、頼もしかった。゙日本一゙になるのは本当に厳しく、苦しいと、きっと多くの人が理解しているだろう。それでもこの1年間常に、゙日本一゙を意識することができたのは、重圧や期待と戦いながらも、発信し続けた4回生の力に違いない。そして発信だけでなく、結果や態度でも示し続けた4回生の情熱に僕は応えたいと思う。自分がこの組織の中で重要な位置にいると、ある程度理解している。自分がやらないといけないことも、嫌という程理解している。だからこそ、今ここでまずは僕が示そうと思う。

 インカレで日本一を獲りたいと、心の底から思う。それは誰かの期待に応えるためではなく、自分の将来や自分が属する組織をより良いものにするために。”日本一”を目指す過程での情熱、チームとしての繋がりや一体感は本当に価値があり、社会に出た後に体感できるものではないと思う。ガンバ大阪戦で僕は応援席から原動力をもらえた。あの経験はかけがえのないものだと思っており、この組織に属することに幸せを感じた瞬間である。僕が誰かの原動力になれたのかはわからないが、決してそれを求めることはない。ピッチに立つ立場として、ただひたすらに、日本一を目指したい。自分と自分の属する組織のために。その過程にきっと貢献は生まれ、知らないうちに誰かの原動力になれれば光栄である。

 関学サッカー部で日本一になることは、決して人生のゴールではない。誰もにその後の人生があり、大学生活がゴールであっていいわけがない。しかしその過程で得られる「何か」は、何事にも代え難く、人生を豊かにしてくれるものだとと信じている。日本一の景色を、得られる感情を、その過程を僕は知りたい。4回生より日本一に執着したい。そんなギラついた後輩でありたい。

上手くは言えないが、インカレが楽しみだ。頑張りたいと思う。

男子チーム3回生山本悠樹

2018-11-28
目の前のことに全てを懸ける(山下皓大)

このチームで日本一になりたい。この仲間と、日本一になって最高の感動を分かち合いたい。最近、ふとした時に本当にそう思う。

3年前、関学は関西で2回、全国で2回の優勝、いわゆる4冠を成し遂げた。しかし当時の私は、日本一になった瞬間、喜びや感動よりも、違和感の方が大きかった。自分が試合に出ていないとはいえ、幼い頃から目指してきた日本一をチームが達成したにも関わらず、心から喜ぶことは出来なかった。

家族や大学の友達、地元の友人に「日本一おめでとう」と言われても、何かが心に引っかかって、素直にありがとうとは言えなかった。

なぜか考えた。自分は、チームに特に必要な存在ではなかった。日本一に対して1%の力にもなれなかった。心の引っかかりはこれらからだった。このことがとてつもなく悔しかった。

この日本一を通して、「このチームに必要とされたい」と考えるようになった。そして、次こそは胸を張って「自分がいたから獲れた」と言える日本一を掴みたいと強く思うようになった。

その為、自分だけにできることを考えた。しかし、なかなか答えが見つからなかった。関学サッカー部には優れた技術を持った選手、優れた人間性を持った人がいっぱいいた。その中で自分の強みだと思っていたものが、強みだと思えなくなっていた。どうしたらいいか分からなかった。分からなかったから、毎日をがむしゃらに頑張るしかなかった。目の前の相手への勝負、試合の勝ち負けには人一倍拘るようにしたし、木鶏会や講演会では誰よりも熱心に話を聞き、メモをとった。これが何に繋がっているとかは分からない時もあったが、目の前のことに、とにかく必死に食らいついた。

すると、時間はかかったが少しずつ答えが見えてきた。自分の強みは、なにごとにも全力で取り組むことだと。サッカーでは、気持ちを見せて泥臭く闘うことだと。そしてそれを、いつでもどこでもやり続けることができる。

これが分かってからは、だんだんとカテゴリーも上がり、Iリーグに出場する機会が増え、チーム内で信頼されるようになった。「目の前のことを全力で取り組んでいたら、チャンスがくる。道が見えてくる。」これが私がこの4年間で感じたことだ。

今年はC1チームのキャプテンとしてシーズンをスタートした。不安は沢山あったが、自分のやるべきことは分かっていた。誰よりも闘い、声を出し、姿で引っ張って行こうと思った。下手くそでも、観る人の心に何か響くような試合がしたかった。観る人に勇気を与えるようなチームにしたかった。それを自分が先頭に立って体現していこうと思った。姿と結果で、関学サッカー部を底上げすることが自分の使命だと思ってやってきた。

全てを懸けてきたIリーグもあと一歩届かず、終わってしまった。正直、どれだけ皆に良い刺激を与えることが出来たかは分からないし、どれだけの人の原動力となれたのかも分からない。しかし、これまでやってきたこと、今やっていることを信じている。今年はそれだけの覚悟でやってきた。

残された公式戦もインカレだけとなった。今こそ全員が、日本一を獲る為にできることを考え、実行すべきだ。Cチームだから、Bチームだからなんて関係ない。やれることはまだまだある。全員にある。インカレに全てを懸け、日本一を獲ろう。そして日本一の感動を全員で分かち合おう。

男子チーム4回生 山下皓大

2018-11-21
仲間(西田健人)

 自分にとって、この1年は今までの人生でもっとも苦しい年だった。

 去年からコンダクター(学生コーチ)としての活動を始めた。そして今年からは、C1チームの指揮官として活動させてもらってきた。コンダクターというのは、チームの中で大きな責任がともなう役職である。その活動中、チームとしてなかなかいい結果が得られなかったり、選手との関係が上手くいかなかったりした。グラウンドに上がりたくない、やっぱり自分は向いてないのではないかと思うことが何度もあった。それでも自分は一回も練習を休まなかった。それは、責任感と、なによりもこの関学サッカー部が、そして同期が本当に好きだからだ。好きというのは、一緒にいて楽しい、仲がいいとか、そんなものだけではない。尊敬でき、心から凄いと思える人たちがいるからだ。
 
 今年のC1チームには、苦しい時にチームのために頑張れる4回生がいる。
ONとOFFの切り替えが上手く、ピッチでは厳しく言えて、ピッチ外では後輩を巻き込んでいい雰囲気を作ってくれる4回生。
練習でも試合でもいつも全力で、しんどい時もチーム1走って、頑張ってくれる4回生。
声で盛り上げるわけではないが、闘う姿勢をプレーで見せる4回生。
誰よりも勝負にこだわり、練習中に気の抜けたプレーをしたチームメイトに対して本気で怒れる4回生。
最後までグラウンドに残って自主練し、いつもチームを俯瞰的に見て、現状を指摘することができる4回生。
どんな状況でも、自分のできることを探し、チームのために行動することができる4回生。
自分の時間を削り、何時間もかけて試合のビデオを見て、チームが強くなるために力を尽くしてくれる4回生。
チームが緩んでいるときに、声をかけるだけでなく、プレーでも見せて、しっかりと引き締めてくれる4回生。
プレーで、姿勢でチームを引っ張り、「この人のために」と思わせてくれる4回生。
 
 コンダクターとして良い結果を目指す過程で、同期が今までよりも見えてきた。素直に尊敬できる部分が多かったし、自分も選手として、みんなと切磋琢磨したい。一緒のピッチで戦いたいと思うこともあった。ただ、この立場だからこそ、今まで見えていなかった同期の良さに気づくことができた。そして、より好きになれたのだと思う。選手ではなく、指揮官という立場である以上、みんなは自分のことを仲間とは思えないかもしれないが、自分にとっては、素晴らしい、かけがえのない仲間だ。
 
 C1チームは今年のIリーグで、決勝トーナメント進出にあと一歩及ばなかった。あの時こうしていれば、こう声をかけていれば、こんな練習をしていれば、など考えたらきりがない。ただ、苦しみながらも、目の前の一戦一戦をとにかく勝つために頑張った1年はとても充実していた。悩みながらも仲間とともに戦った経験は価値のあるものだと思う。
 
 関学サッカー部に残されたタイトルはインカレだけだ。Aチームの4回生もチームのために行動でき、尊敬できる仲間ばかりだ。自分にできることは少ないかもしれないが、最後まで優勝を信じて共に戦い続けたい。

男子チーム4回生西田健人

2018-11-14
関学サッカー部ありがとう(大西悠太)

このブログを書くにあたり、少し私の大学生活を振り返ってみた。少しニヤケてしまうくらいに楽しかったなぁと思う。

「自分って本当に必要?」
関学サッカー部入部当初、厳しい練習やレベルの高さについていけず、私の中にはいつもこれが渦巻いていた。ランメニューはタイムに入れず先輩をもう一度走らせ、中途半端なプレーで皆に怒鳴られた。自分の人生で最も辛い時期だったし、この先も更新することはないのではと思う。

でも1番辛かったのは「大西悠太」を誰も必要としていなかったことだ。先輩に名前も覚えてもらえないし、そもそも誰も自分のプレーに興味がない。チームは日本一になったが、その喜びを軽く上回る程、そんな状態がキツかったし悔しかった。

関学サッカー部は実力主義だ。というより大学サッカー界はそんな感じだと思う。サッカーが上手い奴は後輩であろうと堂々と胸を張り、そうじゃない奴は先輩であろうとどこか肩身が狭そうに振舞っている。

そんな環境の中ではサッカーで実力を示すこと、またはピッチ外での貢献が至上命題になる。私は「この集団の中で、どんな形であれ、認められて必要とされたい」と強く思うようになった。こんなちっぽけなことが一番の目標となった。

私は関学サッカー部で、4回生になった今でも圧倒的雑魚キャラである。足遅い、ブス、貧乏、豆腐メンタル、小者臭、これらが私に対する周りからの評価である(愛されている証)。

こんな男が今まで通りやっていては、何も変わらない。まっすぐ進んで突き抜ける実力はない。「周りと比較し、自分だけの強みは何か?」を常に考えるようになった。

サッカーでは、「やりたいプレー」ではなく、「通用するプレー」を考え、実践した。
サッカー外では、一般入試組の自分がミーティングなどでいっぱい頭を使おう、Iリーグ運営や役職リーダーをやろうと決めた。

結果は出た。サッカーはめちゃくちゃ上手くなり(自己評価)、カテゴリーも少しずつ上がった。チームメイトからも認めてもらえるようになった(自己評価)。

「組織の中で、どう自分を表現するのが最も良いのか考え、少しの勇気を持ち実践する」
私が大学四年間で大切だと感じたことだ。

結局、このブログを通して私が伝えたかったのは『関学サッカー部ありがとう』だ。
もし関学サッカー部に入っていなかったら?
おそらく、特に苦しいことをせず、特に挑戦もせずに、それなりに楽しく過ごして大学生活を終えたと思う。
私は母によく言われる。毎日サッカーばかりでかわいそうだと。
しかし、私は真逆に感じる。こんなに充実した大学四年間を過ごせて本当に幸せだ。

とてつもなくサッカーが上手い奴らについていこうと、必死に試行錯誤した日々。酸欠で視界がなくなってしまうほどキツい練習。遠征での夕食前の一発ギャグ。
全てが最高の思い出だ。

互いに切磋琢磨し、ああだこうだ言い合いながら共にチームを前に進めてきた同期。
いつも頼りになり、この人達の為に頑張ろうと思えた先輩。
バカなことばかりして、でもサッカーには全力で、勝たせてあげたいと思える後輩。
全てが私の原動力だ。

これら全てが自分を成長させてくれ、かけがえのない四年間を過ごすことができた。

もう私が関学サッカー部に恩返しできることは少ない。C1のIリーグはあと一歩が届かず終わってしまった。全力を注いだイヤーブックも完成した。

しかし、残された期間、モチベーションがないなんて言ってられない。目標は日本一である。B、C1、C2、C3チームが必死こいて頑張るから、Aチームがもっと頑張れる。それが関学サッカー部の素晴らしさだろう。

この先、私がAチームで試合に出ることは正直に言って、ない。しかし何が日本一に繋がっているかなんてわからない。もしかしたら、私の日々の頑張りがそうかもしれない。日本一を獲るのに不要なことなど何もない。

とことんやって、笑って終わりたい。
そして日本一になって、大声で叫びたい。
『関学サッカー部ありがとう』と。

男子チーム4回生 大西悠太

2018-11-7
一部に昇格するということ(児嶌彩)

4年生となり、授業も少なく、フリーな時間が増えた今日この頃、テレビをつけたらフィギュアスケートの織田信成選手が映っていた。引退後テレビに引っ張りだこな彼だが、その凄さはフィギュアスケートの成績のみならず、感情を豊かに表現できることだと思う。

彼は、悲しいとき、悔しいとき、嬉しいとき、感動したとき、隠すことなく感情に従い涙を流す。NHK杯で自らが優勝したとき、鈴木明子選手が優勝したとき、日本人選手がワンツーフィニッシュしたときも号泣していた。

プラスの感情で涙をあまり流すことのなかった私が、初めて嬉し涙を流したのは、2015年6月21日春季リーグの最終節で2部リーグ優勝を果たし、一部昇格が決まったときだ。

まだ入部したてで、自分のなすべきこと、価値を発揮する方法を模索していたころだった。
目的目標に向かって日々部活動に取り組むチームメイトとともに、優勝を掴めたのに強い喜びを感じた。そして、このチームはこんなにも愛されるのだと感じた。親だけじゃなく、祖父母からいとこ、友人、他大学のサッカー部員までも試合を観に来てくれ、心強い応援と『観に来てよかった』、『頑張ろうって思えた』、『自分のチームよりも本当に応援してる』などの温かい言葉をくれる。
こんなにも愛され、観る人の心のこころを動かせるチームは多くないだろう。

11月11日のポッキーの日、女子チームは一部昇格をかけた闘いに向かう。優勝して、嬉しい涙を流すだけじゃなく、私たちを支える多くの人々の心を動かしたい。

女子チーム4回生児嶌彩

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