部員ブログ

2017-10-25
As much as we can (高田 慧)

拝啓 親愛なる皆様へ

桜が咲き乱れたと思えばセミが鳴きわめき、木の葉がだんだん紅く色づき始める季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、季節の挨拶が書けるまでに成長した僕ですが、そんなこんなで大学生活も大詰めを迎えている。
時の流れは本当にはやい。

最近ふと考える。この大学生活で何が変わったのかと。
英語を話せるようになった?都会に染まった?様々な教育問題に鋭いメスを入れることができるようになった?(だめだ、どれもできてない)

一番大きく変わったのは、「自分の考えに軸ができたこと」だ。

まだ地元にスタバではなくスナバしかなかった、高校3年生の春。遠征で訪れた関西学生リーグの試合を見て、大学でサッカーをしたいと思った。
人口の最も少ない某田舎県の、サッカーでは全く無名な高校で私はプレーしていた。毎年、東大・京大合わせて10人ほど進学するような、いわゆる田舎の進学校だった。練習時間も短く、部活が終わって家に帰っても、ドラえもんをオープニングの曲から観られるような時刻であった。

練習環境はというと、グラウンドはサッカーコート半面もとれない広さで、照明もなく、もちろん土。
全国大会出場、日本一など目標にするには程遠い、そんなチームだった。なので、某有名なサッカー総合サイトすら知らなかった。

そんな僕が、関学サッカー部に入って衝撃を受けずにいられるだろうか。

1年生の時は、練習についていくこと、プレースピードになれていくことに必死だったのを、今でもよく覚えている。
そして一番驚いたのは、すべての試合における勝負へのこだわりと、その勝率の高さだ。公式戦はもちろん、練習試合でさえ勝利には妥協しない。そして、結果を残す。
優秀な選手を集めたり、環境を十分に整えたりする大学も多い中、それらを凌駕するほどの結果を毎年のように残す、そんな組織はいかにして機能しているのか。

僕はこの4年間で、その答えは次のように凝縮されるという結論に至った。
「できる人ほど必死に頑張っている」

こう書くと、なんか流行りのビジネス書みたいに聞こえるが、ここでの”頑張る”は、「努力すること」とは少し違う。当たり前のことができていたり、信頼されていたりする人ほど、泥臭くチームのために身体を張り、時間と労力を惜しまず取り組む、ということである。
Aチームの公式戦においても、上回生がピッチで一番声を出し体を張っていたり、技術レベルが高い選手ほどハードワークしたりする光景がよく見られる。今年のチームも例にもれない。

また、チームで与えられている役割・役職に対して、4回生が率先して行動している点もあげられる。俺は4回生なんだぞ〜とか、俺はサッカーが上手いんだぞ〜と誇示する選手が少なく、チームの中心となったり、学年が上がったりするにつれて、物事への取り組みの必死さが増しているように感じられる。そういう姿勢や気持ちがチーム全体に伝染し、まさに今年のキーワードである「一体感」につながっているのだろう。
関学の強さの秘訣はここにある。

この考えに至ってから、僕は何事にも出し惜しみすることをやめた。できることをできる時にとにかくできるだけやろう、と決めた。関学の強さの秘訣が、僕の中にひとつの大きな軸を作るヒントを与えてくれたのだ。

いよいよ、Iリーグのトーナメント決勝。出し惜しみすることなく、全ての力をぶつけたい。そして、Bチームの目標の1つを達成して、全国への勢いをつけたい。

…と、ここで終わるのが文章としてはかっこいいはずだが、あえて言わせてほしい。

僕は、今まで全国大会を経験したことがない。

県大会の決勝、地方大会には出場したことはあるが、大学4回生の今になって、初めて全国大会への出場が決まり、関西での決勝を迎えた。今まで経験したことのない舞台だ。こんなに嬉しく、楽しみな試合はない。
今まで緊張しすぎて、Iリーグ前日はほぼ毎回睡眠不足に陥っていたが、今回は大丈夫そうだ。
土曜日が待ち遠しい。

関学Bチームの特徴を活かしたサッカーを、Iリーグトーナメントの決勝で、思う存分表現したいと思います。
みなさん応援してください!

男子チーム4回生 高田慧

2017-10-18
意地 (宮田 昂成)

今の率直な気持ちを書こうと思う。

私はIリーグ決勝トーナメント初戦の前、練習で怪我をして離脱した。
そんな中むかえた試合当日。
1試合目B2vs関大REDGROW
寺尾のハットトリックで勝利した。
4回生の意地を見た。B2チームの気迫を見た。

2試合目B1vs関大ULTRAS
結果は2-4で負けてしまった。
しかし、劣勢に立たされても声をだし続ける姿を見た。最後まで諦めない姿勢を見た。そしてなにより、4回生の涙を見た。

怪我をして離脱している自分が情けなかった。試合に出られないもどかしさがあった。

今日で私の意志は固まった。

大好きなBチームをこんなところで終わらせない。
Bチームを全国へ連れていく。
B1の4回生を全国へ連れていく。
そして、B1チームキャプテン 川崎 隆平を全国へ連れていく。

今のB2は強い。
負ける気がしない。
絶対勝つ!

男子チーム4回生 宮田 昂成

2017-10-16
愛を持って (中倉 由佳)

私はなぜここまでサッカーを続けてきたのか。
それはサッカーが大好きだからです。

私には大切にしてきた言葉があります。
『もっと自分を愛して、もっと人を愛して、そしてサッカーを愛しなさい。』
私が小学生の時、少年団の団長が常に口にしていた言葉です。この言葉を胸に今までサッカーをしてきました。

高校二年の秋、私は関学サッカー部の試合を見て、心が震えました。一つの試合に勝つため、応援も、ベンチもピッチに立つ選手も全員がチームのために全力を尽くしていました。一人一人のチームに対する愛が伝わってきました。当時、高校で結果を出せず、サッカーから心が離れていき、苦しんでいた私に、サッカーの素晴らしさを改めて教えてくれました。

そんな関学がもっと強くなれば、より多くの人に感動を与えることができるのではないかと考えました。このチームの一員となって貢献したいと思い、入部を決心しました。

しかし、春リーグが終了したとき、今の関学は当時私が感じたような感動を与え得るチームではない、そう感じました。入れ替え戦に負けたからという結果だけの問題ではありません。部員一人一人が心からチームを愛して、チームのために戦う気持ちが欠けていました。

なぜ、私は関学でサッカーをしているのか。
仲間とチームを愛し、勝利のために全力を尽くしたい。チームを変えたい。そんな想いをチームの皆と共有し、伝えていかなければ何一つ変わりません。だから私は大好きなこのチームのために想いをこれからも伝え続けていきたい。

愛を持った言葉や行動は人の心を動かします。嫌になる時や辛い時もあります。好きの反対は嫌いではなく“無”。だから嫌いも好きのうち。嫌になったり悩んだりするのも、きっと好きだから。

『もっと自分を愛して、もっと人を愛して、そしてサッカーを愛しなさい。』

この言葉を信じ続けてきた私のサッカー人生は間違っていなかったと、私は最後に選んだこのチームで証明する。

女子チーム3回生 中倉由佳

2017-10-12
夢はグラウンドに落ちている (寺尾 洋)

米国の女性作家であるエラ・ウィーラー・ウィルコックスさんは、このような言葉を残しています。
「この世には2種類の人間がいる。努力する人と人の努力に頼る人。」
 私のサッカー人生を振り返ると、人の努力に頼り続けてきたことが多いと感じました。
大阪、関西、全国それぞれ優勝したときを思い出すと、私のゴール、アシストで成し遂げたものではありませんでした。常に私の周りにいる「誰か」がチームを勝利に導き、私はただその「誰か」に着いて行くだけでした。
 
そんな私が変わろうと決意したキッカケは2年前、関学サッカー部が4冠を達成した時にプレーしていた呉屋大翔さん(現ガンバ大阪)、小林成豪さん(現ヴィッセル神戸)、井筒陸也さん(現徳島ヴォルティス)の存在でした。
 「俺が」勝利に導くという姿勢を目の前で見て、これまでにない刺激を受けました。
 それから私は、偉大な先輩と同じ決意を持ち行動する為に副将を務めることになりました。また、ポジションもミッドフィルダーからフォワードに転向して、より多くのゴールを取ることで、チームに貢献する手段を選びました。
 フォワードでプレーしていて、私が最も大切にしていることがあります。
それは、「あと1歩」の重みです。
 
・あと1歩の距離さえ枠から外れなければ、ゴールになっていた。
・あと1歩のポジショニングが違えば、足がボールに届いてゴールになっていた。
 
サッカーだけでなく、他のスポーツでも「あと1歩」の重みを感じるシーンはあるのではないでしょうか。
 例えば、2008年北京オリンピックの競泳では、金メダルを獲得したマイケル・フェルプス選手と、銀メダルを獲得したミロラド・チャビッチ選手のタイムの差は、50.58秒と50.59秒でその差「0.02%」です。その他の陸上競技においても1位と4位の差は、ほぼ1%の差というデータがあります。
「日本からイギリスに行く」という目標を持って旅をするとします。その際、平均して1%進路からそれると、左に1%逸れたならアイルランド、右に1%逸れたならフランスに到着してしまうという話があります。
 これらから私は
 
・たった1%で自分の目標、人生が大きく変わってしまうんだ。
・その1%が自分にとって何を意味するのか。
 
を学び、深く考えて行動すべきであると感じました。
サッカーに置き換えると、その「たった1%」を改善できる行動は何かと考えました。それは、食生活、早寝早起き、身体のケア、自主練習の質などでした。
 私が練習終わりにプロテインを飲んでいたり、昼飯でささみ定食を食べていたりすると、「いつも意識が高いですねぇ~。」と部員にからかわれます。ただ、1年後の自分の身体を作っているのは、今日食べるご飯の積み重ねなどです。そうした様々な細かい1%の改善、積み重ねがサッカーの勝利、ゴールに繋がると信じてこれからもこだわりたいです。
 
 いよいよ、関西王者、全国への切符を懸けたIリーグの決勝トーナメントが始まります。
この日を迎える為に、2017年が始まった1月から日々の練習に全力を尽くし、試合で勝利を積み重ねてきました。また、全国制覇する為に、これからも勝利し続けます。
 
 4回生、これからの時期が最も俺らの力の見せ所です。
 3回生、いつも一番近くで支えてくれて、本当に力になっています。
 2回生、いつもグラウンドに残り練習をする、トレセンで鍛えるなどサッカーの努力をしている人が多くて、もっと頑張らないといけないと刺激を受けています。
 1回生、4回生の掲げた目的を言葉に出し、行動に移し、100%を出し切る姿勢は本当に頼りになっています。
 
 生きていくことの絶対条件がサッカーではないと思います。それでも、サッカーを続けてきた理由は、最高な仲間に出会い、その仲間と最高の瞬間を味わい、多くの人を巻き込んで喜び、感動する「魅力」、「チャンス」がサッカーにはあるからです。
 何十年間の「青春」を注ぎ込まないとこんな経験は絶対に出来ません。今後の人生、社会に出たとしても、サッカーでゴールして勝利し、皆で喜び合うこと以上に楽しいことはないのかもしれません。
 だからこそ、勝利という結果で証明していきたいです。
試合を決めるゴールは「誰か」ではなく「俺が」決めます!!!

男子チーム4回生 寺尾 洋

2017-10-11
虹色のカラス (鈴木 浩一郎)

都会にひしめくサラリーマンやカップル、主婦たちを一瞬にして立ち往生させるゲリラ豪雨が今年は特に多かった。そんな豪雨も止んでしまえば今度は雲間から突き刺すような日差しが現れる。ふと、僕はその燦燦と降り注ぐ陽光の下で珍しい鳥を見た。ガードレールに降り立ったその鳥は黒い影のように見えたが、虹色の羽をもっていた。
その時初めて、カラスの羽が黒色ではないことを知った。

僕は大学生になって本(その大半は小説である)を読むようになった。本はまさしく言葉の宝庫だ。言葉は僕たちが他の動物との差別化を図るうえで欠かせない要素である。ちりばめられた数多くの言葉から、僕はある一冊の本に書かれたこんな言葉と出会った。

「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。」

この言葉によって、僕は、何か自分の中にあった霧が一気に晴れていくような衝撃を覚えた。
なるほど。だから僕はサッカーをしているのかもしれない。
・ゴールまでの道筋を逆算しながら戦術を組み立てる。
・繊細なドリブル、華麗なパス、豪快なシュートに陶酔する。
・目の前の相手との駆け引きに勝つ。
・これらすべてのためにただひたすらボールを追いかける。
サッカーの本然についてはおそらくこのようなことなのであろう。
しかし、ここから先はこれまでサッカーを続けてきた僕の主観的視点によるものであるが、サッカーの本質とは結局、
・隣にいる仲間と喜びを分かち合い、苦しみを共有すること。
・関わる全ての人の前に、考え、感じられることの共存があること。
にあると思う。
人と人のつながりが年を重ねるごとに複雑に絡み合い、これらが連鎖して人間関係の輪が構築されていく。競技人口や認知度等を鑑みると、これほどまでに贅沢なスポーツはないのではないか。
僕はやっとここまでたどり着き、この贅沢に気づくことができた。

 これを書いている僕は今、大学四年生だ。そう、もうすぐ終わりを迎える。大学サッカーと、そしてサッカーとの別れが近づいている。
 なぜか僕はキリスト教の大学へ進学した。おそらく僕以外の部員もこのような感じで入学していると思う。その経緯はさておき、キリスト教と密接に関わる生活は四年間でほとんどなかった。これではせっかくの新しい宗教文化を一瞬にして忘れてしまいそうである。そこで、最後にヨハネによる福音書の第十二章二十四節にある言葉を残そうと思う。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」

僕たち四年生はここにあるような一粒の麦だ。ただ何となく、特に何もせずして過ごせばそこには形だけの存在しか残らない。一方で自分の持っている力を惜しまず出し切り、胸を張ってやり遂げたといえるほど尽力した時、そこには多くの人たち(ここでは観ている人すべて)の心に感動や憧憬が引き継がれていく。それは決して形だけの存在ではない。ただ一粒の麦であるか、豊かに実を結ぶ麦であるか。とにかく、残り数か月という限られた時間でやるしかない。

カラスが虹色に見えたのは羽の表面に構造色を持つためであるそうだ。構造色とは光の波長あるいはそれ以下の微細構造による発色現象のことだ。動物園で目を引く孔雀も同じく構造色を持つ鳥である。
孔雀のあの羽は単に美しさを表すためではなく、求愛行動のためであるという。つながりを求め、実を結ぼうとする孔雀の目的は、目で見て美しいと思わせるさらに一歩先にあるのだ。それは五感を越えた、第六感によって、気づくことができるのかもしれない。

男子チーム4回生 鈴木 浩一郎

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