部員ブログ

2016-8-17
最高の終わり方(西岡田 渉)

「交代しても試合に出てる選手に声かけるとかはできるやろ。上級生やったらもう自分のことだけじゃなくて、もっとチームのことも考えた行動せなあかん立場やろ。」

去年のある試合で私は先発出場したものの不甲斐ないプレーのため、ハーフタイムで交代させられたことがあった。私はその事実に納得できず、ベンチから離れて、ただふてくされていた。それを見た仲間からのこの言葉が私を変えた。

その時、初めて自らの感情だけでサッカーをしていたことに気付かされた。周りのことも考えずに、自分さえ良ければいいと思っていたが、チームに何一つ貢献していなかったことを情けなく感じた。

小学2年生から始めたサッカー、15年続けてきたサッカー、こんなにがむしゃらに、真剣になれるものは他にない。私がそこまでサッカーに対して熱い想いを持っていることは、私をよく知っている周りの人たちからすると意外だと思われるだろう。しかし、私にとってサッカーとはそういうものだった。誰の為でもなく、ただ純粋にチームメイト、ライバルに負けたくないから誰よりもサッカーに時間を費やしてきたつもりだった。だからこそ、自分に自信を持っていた。

そして、関西学院大学サッカー部に入って、その自信は打ち砕かれた。積み上げてきたはずの努力や技術は通用しなかった。私よりサッカーに懸けてきた人が集まっていて、本気で日本一を目指している組織がそこにはあった。正直、自分の存在意義を見失った。

関学サッカー部で時間を過ごすうちに、自分が周りの人から刺激を与えてもらうばかりの立場であることに気付いた。どんなにきつい練習の日であっても、点差が開いて負けている試合であっても上級生が鼓舞してくれていた。4回生となり、果たして自分がその役割を全うできているだろうか。いや、完璧にできているとは断言できない。これまで私は自分の甘い考えやサッカーのプレーに関して、周りの人から指摘されることが多かった。私はその人たちに頼って、甘えていただけであった。もっと自分からチームに働きかけることができるはずだと思った。

それまでは人に頼って、甘えていたが、関学サッカー部のために自分ができることをひたむきに、がむしゃらに取り組んでいくことを決意した。このまま何も成し遂げることなく終わってしまえば、たとえ社会人になっても学生サッカーに対する後悔が残るのは間違いない。

下級生の記憶に残るような4回生となって今年を終えるためには、もう1日も無駄にはできない。現在、自分はC1チームのプレーヤーであるが、カテゴリーの枠だけに留まるのではなく、チーム全体に良い影響を及ぼさなければならない。そのために、まずはIリーグで自分がFWとして結果を残し続け、後期全勝してこのチームを決勝トーナメントへ進める。限られた時間の中で、どんな状況でも向上心を忘れずプレーすることが私の責任であり、プライドでもある。

4回生 西岡田 渉

2016-8-10
悔しさ (能塚銀也)

今までの人生の中で、何かに対して全力で取り組む原動力となっていたものは、「悔しい」という気持ちだと思う。

私は小学校1年生の時、家の近くにあった小さなサッカークラブでサッカーを始めた。小さなクラブだったため、同学年も少なく、高学年の中に入ってサッカーをしていた。しかし、高学年の相手にはならず、子ども扱いを受けていた。それが悔しくて必死に練習し、ボールを追いかけていた。

大学でサッカーをしようと決心した理由もそうだ。私は高校時代、本気でサッカーをするのは最後だと心の中で決意を持って取り組んでいた。だからこそ全力だった。しかし、高校最後の選手権で不甲斐ない試合をして負けてしまった。単に試合に負けたことより、両親や試合に出られない仲間、今まで支えてくれた人に結果で恩返しできなかったことが何より悔しかった。その悔しさが私を大学サッカーへと突き動かした。

その気持ちを晴らすことを決意してスタートした大学サッカーだったが、試合に出られない日々が続き、練習でも思い通りのプレーができないなど、上手くいかないことばかりだった。「こんな自分なんて誰も見ていない」と投げやりになり、高校の最後の選手権で感じた「悔しい」という気持ち が薄れてしまった時が度々あった。それは自分の弱さであり、自分が未熟であったからだと思う。

しかし、昨年のインカレで日本一のタイトルを取った時、同期の活躍がその気持ちを思い出させてくれた。試合に出て体を投げ出し、全力でプレーする上田や小川原。声が枯れるほど応援する能瀬や石井。試合に出られない分、他の場面でチームのために全力を注ぐ下田や寺尾。それ以外にもどうすれば日本一になれるのか考え、行動する同期達ばかりだった。

もちろん自分もチームの日本一のためにできる限り貢献したいと行動していたつもりだったが、その活躍をみて、「自分は何をしているんだろう」「もっとできることがあったのではないか」という「悔しさ」を感じた。だからこそ、この感情の大切さを身に染みて感じ、絶対にこれだけは忘れないでいようと決心した。そして、この悔しさがどんな状況でも、どんな環境でも、全力でサッカーに取り組ませてくれたし、チームの日本一のために自分には何ができるのかを本気で考え、行動するようになった。

今の自分にできることは「悔しさ」と向き合い、必ず上のカテゴリーでプレーするという目標を達成することであると思う。そして、「悔しさ」を与えてくれた同期たちに、今度は自分がその感情の大切さを気付かすことができる存在となる。

残りの大学サッカーではこの感情を忘れずに、真摯にサッカーに向き合い、ピッチの内でも外でも全力を尽くし、日本一になる。それが今まで自分を支えてくれた全ての人への恩返しになることを信じて。

3回生 能塚銀也

2016-8-3
感謝の心をもつかどうかで、その人の値打ちが決まる(中本 樹)

「自分一人の力で立っているのではない。気がつかないうちに、多くの人が直接間接の協力者として、自分を支えてくれているのである。こんにち、この社会に生きているというのはそういうことなのである。それに気がついて感謝の心をもつかどうかで、その人の値打ちが決まる。」

この言葉は、パナソニックを一代で築き上げた松下幸之助氏による言葉です。

人は傲慢になると、他人に感謝ができなくなり、ワガママばかりを言うようになります。その結果、すぐ他人のせいにして人間関係や物事が上手くいきません。

私が今まで以上に本気で仲間に感謝し、サッカーをやり切ろうと決心したのは、2016年1月13日の学年ミーティングの時でした。そのミーティングは、選手を辞め、チームをサポートするコンダクターを選出するという目的がありました。自身がプレーヤーとして続けるならば、どのようにチームへ貢献するのかを各4回生が発言しました。

私は、「4回生という立場を大切にして、練習や試合は受け身にならず、主体的にやっていきます。また、役職では副リーダーとして、リーダーと常にコンタクトをとって、サッカー部が日本一になるために必要なことを、周りに供給できるような係を自ら作っていきたいので、プレーヤーを続けます。」と訴えました。

ところが、周りの反応は厳しいものでした。どう主体的にやっていくのか、必要なことを周りに供給する手段は何なのかなど、4回生としてチームのため、具体的に何をするのかが全くわからないと厳しく指摘を受けました。さらに、「自分自身でそれがわかっていないのに、コンダクターを他人にやってほしいと言うなんてふざけるな。」と言われたのです。最初は、なぜこんなに責められないといけないのかと思い、人間不信になりそうでした。

しかし、振り返ってみると自分の詰めの甘さ、抽象的すぎる目標を指摘してくれた仲間と、頑張っているつもりだった私のサッカーに対する熱量に大きな差がありました。その日以来、プライベートの時間を削り、サッカーの優先順位を変えることで目的を明確化できました。そして、さらにはっきりとした考えを意見することで、初めて人に影響力を与えることができるのだと学びました。これも私のサッカーに対する熱量を変えるために、仲間が本気でぶつかってくれたおかげであり、非常に感謝しています。

これらの経験から、サッカーと私生活において、「考える力」が私にとって一番の課題であることが発見できました。それまでは、何においても自分の直感で行動してきました。もちろんそれで良かったことも多いのですが、「惜しい」で終わることも多くありました。

だから、今年の前期はフィーリングで行動することに加えて、考えて行動するというのも意識してやってきました。例えば、今日の練習ではこれをやろうという目標を設定し、達成すれば、次の日は昨日できたことを継続し、さらに新しい目標を立てて、取り組んでいます。これを地道にコツコツとやった人がプロとなり、大抵の人が続けられないから「三日坊主」ということわざがあるのだと思います。

気付くのが遅かったかもしれませんが、サッカーだけに限らず、社会人になっても大事になる心構えなので続けていきます。また、感謝も忘れずに行動していきます。

未来は誰にもわかりませんが、行動次第で自分の未来は変えられるはずです。

4回生 中本 樹

2016-7-29
最高の形で(中牧圭啓)

「友達がやっているから。」という単純な理由で始めたサッカーは、次第に自分の生活の中心となっていきました。小中高で所属していたチームは、日本一どころか全国大会出場すらも狙えるチームではありませんでした。だから、大学では日本一を狙えるような高いレベルの中でサッカーをやりたいと思い、関学のサッカー部に入部することを決めました。

入部後は、自分が当初思い描いていたサッカー生活とは、大きく異なるものとなりました。周りとのレベルの差を感じ、試合に出場できず、苦しいことが多かったですが、サッカー部に入部してよかったと思っています。それは、サッカーに本気で打ち込める環境があり、多くのことを学ぶことができたからです。

部員一人ひとりが自らの置かれた立場で真剣にサッカーに打ち込むだけでなく、チームの日本一という目標を達成するために何ができるのかを考え、本気で日本一を目指しています。このような環境でサッカーをできているからこそ、どんなに苦しい状況の中でも、サッカーを続けることができました。さらに、置かれた立場で真剣に取り組むことの大切さや、日本一を目指すことの難しさや楽しさを学べました。

そして今、本気でサッカーに取り組める時間も残り半年をきりました。入部してからの時間はあっという間に過ぎていきましたが、特に4回生になってから今までの時間は本当に一瞬でした。この半年を振り返ってみると、個人としては何も満足できるような結果を出せていません。また、チームとしてもIリーグでなかなかうまくいかなかったり、関西選手権で負けて総理大臣杯出場を逃すなど、結果を出すことができず、苦しい状態です。

しかし、そのような苦しい時期を経験しているからこそ、後期に結果を出すことができれば、嬉しさも大きく増すと思います。最後に全員で喜べるようにするためにも、私はサッカーに真剣に打ち込むのはもちろん、役職などのサッカー以外の活動に自覚と責任を持って取り組み、目的・目標達成の力となります。そして、最高の形で終われるようにしようと思います。

4回生 中牧圭啓

2016-7-27
魅力 (松井 竜治)

今、サッカーは非常にメジャーなスポーツになっている。そのため、多くの人がサッカーを観戦したことがあると思う。サッカーをテレビやスタジアム、グラウンドに行って観戦するとき、多くの時間やお金を費やして試合を観たことがある人もいるだろう。私もサッカーを観戦することが好きなので、チケットを購入したり、時間をかけて観に行ったりしている。

あるとき私は、なぜこんなにもお金や時間を費やしてまでサッカーを観戦しているのか疑問に感じた。「あの選手のプレーが見たい」、「友達、兄弟がいる」、「そのチームのサッカースタイルが好き」などといった様々な理由が挙げられるだろう。そして、お金や時間をかけるだけの「魅力」があるからだと考えた。

バルセロナというチームを例にとって考えてみたい。バルセロナの「魅力」とは何か。それは、一貫性のあるパスサッカーやメッシらの高い技術だと思う。現在、世界の多くの人がバルセロナの試合を多くのお金や時間を費やして観に行っている。それだけの「魅力」がバルセロナにはあるからだ。

では、関学サッカー部はどうだろうか。私は、試合に出ている11人はもちろん、ピッチに立てない他の選手も含めたチームのメンバー全員が主体性を持ち、目標・目的の達成に貢献する姿勢こそが、関学の魅力だと思う。

私はその「魅力」のあるチームに所属している。だが、所属しているだけではいけない。リーグ戦を含め、関学サッカー部に魅力を感じ、お金や時間をかけて観に来てくれる人が一人でもいる限り、私たちはその魅力を観ている人に魅せつけなければならない。そして、私たちはそれらを全うする義務があるのだ。

魅力とは、人の心をひきつけて夢中にさせる力と辞書にある。今、関学サッカー部は総理大臣杯出場を逃したり、リーグ戦が上手くいかない時期があったりと結果を残せていない。昨年のチームを超えるためには、こういう厳しい状況下だからこそ、一つ一つの行動を大事にしていかなければならない。果たして何をしていけばいいのか。与えられている立場から考えると答えは自ずと出てくるはずである。

私自身はサッカーとサッカー以外の両面で「チームに対して自分がどう貢献できるかを考え気を配る」ことだと考えている。チームへの帰属意識を高め、昨年を超えるために、昨年よりも魅力的なチームになるために、部員全員が同じベクトルを向き、「主体性」という魅力を応援してくれる人に感じてもらえるように、私たちは行動していかなければならない。

3回生 松井 竜治

Copyright(c) 関西学院大学体育会サッカー部 All Rights Reserved.