部員ブログ
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
これは甲斐の戦国大名、武田信玄の言葉だ。この言葉は、人の力がないと城があっても役に立たない。信頼できる「人」の集まりは強固な「城」に匹敵する。そして、人は情をかければ味方になる一方で、権力で抑えつけたり不信感を与えると、必ず反発し悪意を抱くようになるという意味である。この信頼関係があったからこそ、武田‘‘家”は戦国最強と謳われた。
この言葉は現在の自分と関学サッカー部に通じるものがあると思う。昨年、関学サッカー部は悲願の全国優勝を果たした。そして今年も全国優勝を成し遂げるために日々活動している。しかし昨年の成績のプレッシャーもあってか、今年は結果を出せない苦しい時期が続いている。そんな中で昨年とは明らかに違う出来事があった。それはAチームのほとんどの選手が、他のカテゴリーの応援に駆けつけた事だ。それも関学で行われる試合だけでなく、他大学で行われる試合にも駆けつけた。全部員がAチームの応援に行くのは当たり前であったが、BやCチームの応援にAチームが来ることはほとんど無かった。上のカテゴリーの選手に応援される事で、チームの士気が上がっているのを私は肌で感じた。そしてそんなAチームを心から応援したいと思えた瞬間だった。
誰かの為に何かをする。それは簡単なようで難しいことだ。だが、今年の関学は全員がカテゴリー関係なく、仲間を思いやることができる。素直に応援することができる。一人ひとりの結びつきが強いからこそ、感情を行動に移せば更に団結できるはずだ。自分がどんな立場であっても個々が自分の役割を本気で果たすことで、関学サッカー部という‘‘家”は更に強くなる。そして昨年をも凌駕する組織になれるはずだ。
私自身も今一度この言葉を心に留めながら、自分がチームに出来る事全てに本気で取り組んでいきたい。
3回生 福田風太
私には夢がある。プロサッカー選手になりイングランドプレミアリーグでプレーし、家族を喜ばせることだ。
私は幼少の頃からサッカーをしてきた。高校では1年生の時に全国をかけた試合で途中出場し、決定機を外して負けてしまった。
そのことで当時、父がコーチであったため容赦ない批難を浴びた。それと同時に自信を失くしてしまった。そんな時に支えてくれたのが家族であった。特に父の言葉が心に残った。「サッカーで取り返せ。」この一言だった。とても心に響いた。それから必死に努力を積み重ねた。
そして高校3年生の時、全国優勝をして恩返しすることができた。優勝した時の家族の顔が忘れられない。みんなで喜び分かちあった。素直に「また成功したい。家族を喜ばせたい。」そう思った。
関学に進学し、成功できると確信していた。しかし大学の厳しさを痛感させられた。試合に全く出られずカテゴリーを行き来することばかりであった。また自信を失ってしまった。そんな時に支えてくれたのはやはり家族の存在だった。どんな状況に陥っても翔ならできると応援してくれる。特に母は富山からわざわざ兵庫まで頻繁に試合を見に来て支えてくれた。だから信念をぶらすことなくやってこれている。
関学サッカー部の個性が強い部員たちからも毎日刺激を受けている。特に同期が試合で活躍する姿はいい刺激なっている。だからその悔しさをバネに頑張ることができる。
そして3回生となり未だに思うような結果が出ない。だが夢と家族の支えとライバルの存在がある限り、前に進んでいける。今はまだ助走の段階であるとしたら、どれだけ大きく飛躍できるのか楽しみで仕方がない。自分が所属するカテゴリーでチームを引っ張り、オンザピッチ、オフザピッチの切り替えの部分を大事に全力で毎日の練習に取り組んできたので、これからも継続してやっていく。後は、天地がひっくり返るまで努力を続けるのみだ。
3回生 大塚翔
今年でサッカーを始めて15年になる。
なぜ続けてこられたのか。その答えは「楽しい」この言葉に尽きると思う。
足でボールを扱うから出来ないのは当たり前。でも、それが上手くできた瞬間の喜びが大きくてその虜になった。そんなサッカーの楽しさは他の何事にも代え難くて、ただただ上手くなりたかった。だから何よりもサッカーに賭けて、これまでの人生の多くをサッカーに費やしてきた。
今の自分を見ている人からは想像できないかもしれないけど、小中高はオフを返上して練習するのは当たり前、なんならオフなんていらないと思っていたし、遊びの誘いを断って練習する事だってよくあった。ボールに触らない日は殆ど無かった。それぐらい自分の中でサッカーは大きいもので、誰よりも打ち込んできた自信とある程度の結果もついてきていたことによる自信もあった。
だけど、その自信は大学に入って消えた。
自分よりも圧倒的にうまい選手がいて、その差は全てにおいて歴然だった。自分自身と今まで自分がしてきたことが何だったのか分からなくなった。悪い言い方をすれば諦めてしまったのかもしれない。ただ、サッカーをやめる事は出来なかった。そこまで無力な自分が悔しくて堪らなかった。でも、その悔しさを上手くサッカーで表現できなくて、手を抜いたり、自分の都合良くやりたいようにする事で他の人たちとの違いを出そうとしていた。今思うと、とても恥ずかしく思う。それまでのサッカーの楽しさは”自分本位のもの”でしか無かった。
転機は3回生の春だった。試合で自分勝手な軽いプレーをした。それまでだったら「あいつに何を言っても変わらないから」、となって誰かに何かを言われてきたことは無かった。でもそんな自分に対して初めてぶつかってきた奴が現れた。当時、初めてC1チームを任される事になった坂口だった。ボロクソに言われた悔しさの中に何か嬉しさのようなものがあった。案の定、すぐC2に行くことになったけど、そこでもそんな自分を試合に出させてくれた霧嶋コンダクターがいた。こんな自分に期待してくれる人がいて、そうした人のために頑張ってみようと思った。そしたらプレーもいい方向へ変わっていった。同時に少し考え方も変わっていった。初めて自分以外の人のために頑張ろうと思った経験だった。
今年C1のIリーグでゲームキャプテンを任せてもらった。最初は「俺が?」、と思ったけど任されたならやるしかないと思えるようになった自分がいた。そうしていく中でサッカーの新しい楽しさを知った。うまく言えないけど多分それは「人のため」とか「仲間と信じ合う」とか「全員で苦労して乗り越えていくこと」、その先にある成長とかだと思う。”自分本位”での楽しさではなくなっていた。すごく遠回りしたけど本当に大切な事に気付けたと思うし、遠回りした分、それを噛み締めているし楽しくてたまらない。
しかし、私は自分を大きく変えてくれた関学サッカー部、仲間、サッカーをさせてくれている両親に何も返せていない。そのためには結果だと思う。最後に去年を上回る喜びをチーム全員と味わいたい。今年はAチームが総理大臣杯を逃して、自分が今いるC1チームも崖っぷちな状況。でも、ここから巻き返せたら去年以上の価値と喜びがあると思う。関学ならできると思う。ダメだった自分を変えるほどの人間が集まっているから。私は自分の持てる全てを出してその力になる。これまで支えてくれた人に恩返しをするために。
4回生 坂下 泰士
私は、2002年日韓ワールドカップで大活躍したドイツ代表GKオリバー・カーン選手のプレーに一目惚れし、小学3年生からずっとキーパーをしている。
皆によく言われることがある。『何でキーパーをしているの?キーパーって何が楽しいの?』と。誰が何と言おうとキーパーは魅力的なポジションである。なぜなら、スタメン11人のうち唯一、手を使用することができ、チームのピンチを何度も救えるヒーローになれるからだ。ピンチを防いだ時にチームメイトから『サンキュー!』と言われ、チームのヒーローになったときほど嬉しいものはない。
しかし、そんな魅力的なポジションでもあるゴールキーパーは一人しかピッチに立つことができない。チームにどんなに多くの優秀なキーパーが存在しようと、ピッチに立てるのはたった一人だけなのだ。
私は、小学生、中学生と必ず試合に毎回出場し、守護神として奮闘していた。だが、高校三年の時にサッカー人生で初めてポジション争いに負けるという挫折を味わった。チームが全国大会ベスト4という素晴らしい成績を残す中、私は素直に喜ぶことが出来なかった。こんな悔いの残る形でサッカーを終わらせたくないという想いから、両親の承諾のもと心機一転で親元を離れた。関西の大学に行って自分磨きをし、大学でサッカーを続け、良い形で終わらせることを決意した。
入部してから関学サッカー部に私は大きな衝撃を受けた。全部員が自分の果たすべき役割をしっかり理解していて、チームの目標を達成するために自分ができることを最大限全うする。試合に出場している選手は裏でサポートをしてくれている部員のために感謝の心を忘れず全力でプレーし、チームに『勝利』という最高のプレゼントを届ける。このように関学サッカー部員は一人ひとりが違う形でチームに貢献していると言える。
そんな主体性を持った部員の姿を目にすることで私は気づいたことがある。高校の時の挫折は、試合に出場できなかったから悔いが残ったのではなく、チームに何一つ貢献することが出来なかったから不甲斐無い気持ちに終わったのだと。
そして、私は少しずつではあるが、以前に比べてチームのために行動することが出来るようになった。試合には出場していないが、去年、四冠という偉業を成し遂げたとき高校時代とは違い、素直に喜ぶことができた。これは、関学サッカー部が私を大きく変えてくれたおかげである。
今年は去年を上回る喜びをチーム全員と味わいたい。そのために私は、自分の役割を全うし、チームの目標を達成するための行動をする。私を大きく変えてくれた関学サッカー部、そして、チャンスを与えてくれた両親に『恩返し』をするために。
4回生 北村征也
思い返せば、私が関学で大学サッカーをしようと思ったのは、サッカー部に高校時代の先輩がいたからである。高校の時から仲良くさせて頂いていた、その先輩から関学サッカー部について教わり、一緒にサッカーができると思い、私は関学サッカー部に入部したのである。
しかし、私が入部してまもなく彼は選手を辞め、コンダクターというチームの為に働く役職に就いた。私はそのことを聞いたとき、とても寂しく、関学サッカー部を恨む気持ちも少しあった。しかし、彼はその役職に全力で向き合い、練習でも試合でも応援でも枯れるまで声を出し続けている。そんな彼を見ていると、選手の時よりも輝いて見えた。
時々、その熱さゆえに周囲の人に言葉が上手く伝わらなかったり、冷やかな目で見らたりすることもあるが、そんなことは気にせず、自分の信念を貫く姿勢に私は尊敬している。しかし、私はというと、サッカー部のレベルの高さから、なかなか自分に自信が持てず、チームへの貢献もできずにいた。そんな私に対して彼は、時には全力で怒り、時には全力で褒めて下さった。そして、3年目になる今年は1、2年の時よりは、少しチームへの貢献もできるようになっている気がする。
私は今年も彼が率いるカテゴリーに所属している。去年、トップチームは四冠を果たした一方、私たちが所属するチームは、後一歩のところで次のステージに進めず、とても悔しい思いをした。おそらく、チームの誰よりもチームを率いた彼が悔しかったと思う。
彼にとって4年目になる今年は、大学サッカー最後の年になる。高校の時は彼がPKを外し、涙ながら引退した。その時私は何も返すことができなかった。今年こそは、少しでも恩返しがしたい。その為に、自分の与えられたところで全力を尽くすつもりである。
次は、笑顔で引退できるように。
3回生 川田立希